マロウの導くまま、香水店の奥――――階段を下って行く。
 階段は通路へ繋がっている訳ではなく、直に地下倉庫へと辿り着いた。
 本来、薬草店も出来れば地下に倉庫を持っておきたいところなのだが、
 フェイルの経済力ではどうにもならないだけに、その広大な倉庫に思わず
 羨望の眼差しを向ける。
 尤も、どれだけ広くても、それに見合う在庫を揃える事は出来そうにないのだが。
「こちらよ」
 そんなフェイルの複雑な心境など知る由もないマロウは、淡々と歩を進める。
 倉庫の更に奥へ行くと、明らかに関係者以外は立ち入り禁止と思しきロープで
 前方を遮られた重厚な両開き扉が見えて来た。
「……あの、質問しても良いですか?」
「ええ。【メトロ・ノーム】の事でしょう? 構いませんよ」
 そのロープを跨りながら、マロウは少し声のトーンを落とし、フェイルに
 その目を向けた。
 妖艶――――そんな言葉が良く似合う。
「どうぞ」
 誑惑的な微笑みと共に、誘う。
 フェイルは瞼を半分落としながら、ロープを跨ぎ、扉の前に立った。
 鍵穴や錠前はない。
 両方の扉には、取っ手もない。
 開ける術すらわからずにいる中、マロウは右手の人差し指を唇に寄せ、
 真っ赤な舌を出し、妖艶に弄った。
「【メトロ・ノーム】。このヴァレロンの地価に存在する、もう一つの街。
 そして同時に――――」
 その指には、指輪が嵌められている。
 瞬間的に、フェイルはそれを魔具と判断した。
 魔術を行使する為の道具。
 それが、淡い光を帯びる。
「地上の全ての権力を放棄する、我が物顔の空閑地」
 マロウの指が唇を離れ、扉に触れる。
 すると、それを合図に、指輪の光が扉へと移る。
 そして――――扉に光の文字が瞬間的に現れ、そして霧散し――――扉が
 突然力感をなくした。
 それを確認し、マロウが他の指も扉に密着させ、前面へ腕を押し出す。
 あれほど重厚感を有していた扉は、あっさりと開いた。
 更に地下へと潜る為の階段が露見し、マロウは無言のままその階段を下る。
 人が辛うじてすれ違う事が出来るくらいの幅。
 左右の壁には、等間隔で
 その階段を、フェイルも続いて下りた。
「……魔術士、だったんですか」
「正確には『元』ですけれど。本来はもう使いたくもないのですが、
 ここへ来るには封術を解かないと行けないので」
 淡々と語るマロウの背中に、フェイルも続く。
 封術――――それは、魔術の一種。
 魔術や物理攻撃を防ぐ為の結界とは違い、封術は『箱』を守る魔術だ。
 その箱は、宝箱から建物まで、封をする要素があれば何でも良い。
 その中身を守る為の、鍵のようなもの。
 ただ、鍵とは違い、封術を施した扉や蓋は、魔術によって破壊するが
 ほぼ不可能となる。
 刃が通らず、火にも溶けない重厚な金属で出来た扉に封術を施せば、
 部外者の侵入は限りなく10割に近い確率で防ぐ事が出来ると言われている。
 つまり、今フェイルが歩いている階段は、そこまでして部外者の立ち入りを
 拒む必要がある場所、と言う事だ。
「そろそろです」
 それ程長い時間歩いていた訳ではなかったが、マロウは目的地が近い事を示唆した。
 そして――――階段が途切れる。
 石畳がそのまま広がる先には、また扉があった。
 今度は大きな錠前が確認出来る。
 マロウは、腰に下げていた皮袋から鍵を取り出し、錠前を外した。
 ゆっくりと、扉が開く。
 その先の光景には――――フェイルは瞬間的な違和感を覚えた。
 この場所が、香水店【パルファン】の地下である事は間違いない。
 通常は、地下水路がある筈の空間。
 ヴァレロンの中心街となる新市街地は、ナンナ川の流域とは少し離れており、
 天然の水掘が存在しない為、市民の生活用水としては主に井戸が多めに
 掘られているが、それだけでは心許ないと、スコールズ家とバラック家、
 そして教会が共同で出費し、大規模な地下水道を建設した。
 しかし、その地下水道は一般市民には使用を許されず、貴族や一部の富豪が
 使用する、『権力者専用の水道』となっている。
 その地下水道となる空間は、確かにそこにあった。
 扉を開けた目の前には、水路がある。
 質の高い水が上流から忙しなく流れており、どこか川のせせらぎを
 連想する、耳に優しい音が聞こえて来る。
 ただ、その音は、本来地下ではもっと響くべき。
 にも拘らず、自然界に近い音となっているのは――――天井が高いからだ。
 フェイルは思わず、空なき天を仰ぐ。
 遥か上方――――自身の店の三倍ほどの高さの空間を隔てた先に、
 天然の天井が薄く確認出来た。
 不思議な事に、それはフェイルの『梟の目』を使用せずとも、見える。
 この地下水路には、光が存在していた。
「驚いたでしょう? 灯りもないのに、視界が確保出来るなんて」
「ええ……理屈は解説して貰えるんですか?」
「残念ながら、詳しい事は私にもわからないの。魔術学と生物学、そして
 薬草学の粋を集めた技術との事だけれど」
「……薬草学?」
 薬草士として、その言葉は無視出来ない。
 しかし、そんなフェイルの反応をマロウは無視し、歩を進め始めた。
 前言の通り、詳細はわからない、と言う事らしい。
 フェイルは好奇心を捨て、その背中を追う。
 水路の脇の舗装路を暫く進むと、今度は水の流れとは異なる方向へと向かう
 岐路があり、マロウはそっちの路へと進んだ。
 沈黙のまま、フェイルはその後を追う。
 音が余り響かない為、足音も殆ど聞こえない。
 路も、寧ろ街路以上に整備されており、足への負担は少なかった。
「……この地下水道は、今から300年ほど前に完成したと言われています。
 そして、極一部の人間にのみ使用を許可された」
「お金持ちの人達のライフライン、ですか」
「ええ。最初はそう言う目的だった」
 最初は――――それは当然、別の目的がある事を伝える言葉。
 フェイルがそれを聞くまでもなく、マロウは続けた。
「でも、途中からこの空間は別の用途でも使われ始め、次第にそちらがメインとなった。
 先程言いましたね、地上の全ての権力を放棄する場所、と」
「覚えてます」
「その意味がわかりますか?」
 歩きながらの問いに、フェイルは暫し考え、その答えが一つしかないと確信する。
「権力の放棄――――つまり、表と別の顔」
「聡明ですのね」
 マロウはその回答に正解を与えた。
「ここは、権力者が本来の人間関係や勢力図を無視し、表の顔に縛られない
 自分の目的、欲望、夢、理想を求める為の場所として利用されるようになりましたの。
 例えば、領主と使用人の逢瀬や敵対する組織同士の会合。そして……分野の垣根を越えた
 学術の融合、などね」
「……」
 その正解に対し、フェイルは驚く事はなかったが、思わず周囲を見渡してしまった。
 権力者が、表の顔では出来ない事を行う為、光の当たらない場所を有し、
 そこで裏の自分を出すと言う事は、全く珍しい事ではない。
 寧ろ、良くある事。
 ただ、それをこれだけ広大な空間で行うとなると、他の国でも前例はないと
 自信を持って言えると、フェイルは半ば呆れていた。
 そして、同時に先刻の発言を思い返す。
「街、って言いましたよね。さっき」
 もう一つの街――――マロウは確かにそう口にした。
 それが事実であれば、この地下水路は『隠れ家』の水準を遥かに超える事になる。
「ええ。そう言った、権力者やその関係者が集うようになり、次第にそれは
 別の地域、別の国の権力者の耳にも届くようになった。ある種の治外法権地域として、ね」
「そんな人達が集まり、一つの体系が確立して……街になった」
「そう。そして私達が向かっているのは、その街の管理人がいる場所。
 この【メトロ・ノーム】に出入りするには、そこで登記して貰う必要があるのよ」
 役所のようなものを連想し、フェイルは思わず首を捻った。
 そして、そもそも何故ここに来る必要があったのか、と言う根本的な疑問を抱く。
 正式な契約の際は『そこ』を利用する――――マロウはそう言っていた。
 そこ、とは当然この【メトロ・ノーム】。
 好意的に解釈するならば、人気香水店と貧乏薬草店と言う不釣合いな表の顔を
 捨てて、フラットな状態になれるこの場所で契約を結び、対等であると言う事を
 実証する――――と言う事が推測出来る。
 ただ、それだけではないだろうと、フェイルは半ば確信めいたものを感じていた。
 余りにも、事態が綺麗に流れすぎている。
 とは言え、そんな疑念を口に出せば、契約が流れる可能性がある。
 流石にここまで来て、そんな失態は犯せない。
 生活が掛かっているのだから。
「そろそろ、ですよ」
 薄暗い中を歩くマロウが、ポツリと呟く。
 その言葉から、約五分程歩いたその先に、フェイルは奇妙な、余りに奇妙なモノを
 視界に納めた。
 そこは、まるで遺跡。
 石畳が積み重なり、段々を作って、その中央へ向かう毎に天井へと伸びている。
 それは、石畳の山。
 そして、その山の頂に――――女性が立っていた。
 ハッキリとは見えないが、フェイルはこっそりと右目を塞ぎ、暗闇を見渡す
 梟の目だけを露見させる。
 その女性は、驚くほどに長い髪を有していた。
 足元まで伸びている。
 その髪は美しく、艶のある栗色をしていた。
 当初は魔術士のローブと思われた衣服は、修道服である事が判明。
 ただし、頭部には帽子もヴェールも被っていない。
 しかも、かなり着崩している。
 尤も、肌を露見させる事はなく、印象としては『横着』。
 そんな言葉が似合う格好の女性が、フェイル達の気配を察してか、ゆっくりと振り向く。
「アルマ。暫く振り」
 その女性に対し、マロウはそんな名を呼び、小さく手を振った。
 アルマ――――そう呼ばれた女性は、フェイルが驚くほどに、美しかった。
 絶世の美女。
 そう表現して差し支えない。
 目鼻立ちがハッキリしていて、同時にし過ぎていない。
 目も、細過ぎず、大き過ぎず。
 唇も、厚過ぎず、薄過ぎず。
 睫毛の長さから顎先に到るまで、全てが計算されつくした黄金率。
 身長も、驚くほど高い訳ではなく、やや高め。
 体型は修道服の上からは確認し辛いが、崩れている事はないと断言出来る造形は見て取れる。
 見惚れるより、肌が粟立つような美しさだった。
「美人でしょう? ここに来る男性は誰もが、あの子に恋すると言われてるくらいですから」
「……」
 フェイルは、マロウのその言葉に答えられなかった。
 女性の美しさに圧倒されていた――――訳ではない。
 無論、恋をした訳でもない。
 対象は、寧ろマロウ。
 彼女の言葉から、ある種の確信を得たからだ。
 光があるとは言え、決して視界良好とは言えないこの場所。
 加えて、アルマと呼ばれた女性は、かなり上方に位置している。
 見える筈がないのだ。
 この場所から、彼女の顔がハッキリと。
 フェイルの特徴を知らない限り。
 とは言え――――フェイルが香水店【パルファン】を訪れると言うのは、
 つい先日決まったばかりの事。
 何故、そんな店の代表が、フェイルの目の事を知っているのか。
 それに対して、フェイルは明確な回答を持ち合わせていた。
『お前には監視がつく事になる』
 かつてのデュランダルの言葉が、何度も脳裏を過ぎる。
 つまりは、そう言う事だ。
 尤も、彼女自身が監視役、と言う訳ではないだろう、と踏んではいたが。
「どうされました?」
「あ、いや。確かに極端なくらい美女ですね」
 体裁を整えつつ、フェイルは改めて石畳の山の頂に目を向ける。
 既に、そこに女性の姿はなかった。
 ゆっくりと、階段を下りるように、石畳の段を下がってくる。
 そして、山の麓まで来ていたフェイル達と対峙する場所まで
 静かに下りて来た。
「この殿方の登記をお願いしたいと思って」
「……」
 アルマは――――そんなマロウの言葉に対し、何も答える事なく、
 値踏みするでもなく、ただじっと、フェイルの顔を眺めていた。






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