香水店と言う場所に、男性が単身で現れると言う事は、まずない。
 その所為もあってか、フェイルが来店した瞬間、店内には妙な空気が
 瞬時に発生し、同時に店員が総じて怪訝な表情を隠せずにいた。
「あの……【サドンデス】の店主の知り合いの者で、フェイル=ノートと言います。
 こちらの代表の方は……」
 その空気に、居心地の悪さを超えた有害領域的なものを感じ取りつつそう問うと、
 カウンターの前にいた女性が更に顔を曇らせる。
 一応笑顔の部類に入る表情で留まっているのは、社員教育の証でもあったが。
「えっと、どのようなご用件でしょう」
「はい。実は……」
 フェイルは不安を覚えながらも、商品共同制作案を恐る恐る説明した。
 そもそも――――こう言う役回りをする人間も、本来なら別にいた。
 当然、その人物は、ファルシオンに他ならない。
 説明口調が最もしっくり来る上、理路整然とした物言いには貫禄すら感じ取れる。
 また、その隣に気品のある顔立ちのフランベルジュと、この店に顔が利く
 強面のウェズがいれば、より話はスムーズに進んだ事だろう。
 しかし、それが全て叶わない事態となってしまった。
 それは、本日早朝の出来事。
 勇者一行が泊まっている宿屋に、一人の少女が尋ねて来た。
 外見から、15、6歳くらいと推測される女性。
 名前は不明との事。
 名乗らなかったらしい。
 その少女は空き部屋の状況を尋ねたが、主人は敢えて満室と答えた。
 理由は単純。
 明らかに怪しいからだ。
 勇者一行の泊まる宿屋『カシュカシュ』は、表向きには鍛冶屋になっているので、
 普通は少女が一人で近付いて来ると言う事すらない。
 しかも、早朝。
 夜なら、寝床を探すのはおかしい事ではないし、主人としても、年端も行かない
 少女の身の安全を考える必要もあるだろう。
 だが、こんな時間帯に宿屋を訪ねて来ると言うのは、かなり不自然だ。
 宿屋『カシュカシュ』は、隠れ宿と言う性質上、訳アリの人間が集っている。
 とは言え、余りに主人がこの人間は危険だ、ヤバいと感じた場合は、泊めない様にしていると言う。
 その少女は、余りにも危険な香りがした。
 そして、その僅か一時間後――――その予感が的中していた事が判明する。
 この区域を統括する貴族、スコールズ家の一人娘、リッツ=スコールズが家出をしたらしい。
 理由は不明。
 ただ、捜索隊が表立って宿屋を訪れた辺り、かなり切羽詰っている事態と言う事は
 確かだったようで、実際宿屋の主人は『見つけたら相応の褒美を与える』とまで
 言われたらしい。
 当然、勇者一行はその貴族の一人娘の探索に打って出た。
 もし、見つける事が出来れば、あっと言う間に目的以上の金額を得られる事は
 間違いないだろう。
 と言う訳で、勇者一行はフェイルと行動を別にしている。
 一方、ウェズの方も、別の理由でリッツの捜索に加わっていた。
『あの子とは知り合いでよ。放っとけねぇんだ。悪ぃな』
 そう言う事らしい。
 傭兵時代に、護衛をした事があるとか。
 フェイルも捜索の加勢に名乗りを上げたのだが、役に立つとは思えないと言う
 にべもない意見により、結局一人で予定通りに動いている。
 貴族の娘の家出と捜索。
 大きな事件に発展しそうな気配が濃厚な、大きなイベントだ。
 それに早速絡む辺り、さすが勇者候補――――等とのんきな事を考えられる余裕もなく、
 蚊帳の外で一人、説明に励む。
 無論、このことは一切説明とは関係ないのだが、フェイルの表情に不条理さに対する
 疲労感や悲壮感が出ていたのか、店員は聞きながら、徐々に怪訝そうな顔を同情的な
 顔に変えて行った。
 或いは、薬草店【ノート】の境遇に同情しているのかもしれないが。
「話はわかりました。では、主任を呼んできますので、暫くお待ち下さい。
 大丈夫です。主任は優しい方ですから、きっと力になってくれますよ。
 元気を出してくださいね」
 初対面の、少し前まで顔をしかめていた女性に、凄く励まされた。
 フェイルは感謝よりも物悲しさを抱きつつ、空白の時間を埋めるべく
 店内を見回す。
 やはり女性をターゲットにしていると言う事で、装飾には軒並み
 白や淡い赤が使われていて、華やかな印象が強い。
 そして、香水店と言うだけあり、その香りは店内のみならず、店の外にまで
 漂っている。
 飲食店が、周囲に敢えて美味しそうな匂いを流すのと同じで、これも一つの
 戦略と言う事なのだろう。
「お待たせしました」
 そんな思考に耽るフェイルに、落ち着いた女声が届く。
「香水店【パルファン】、主任のマロウ=フローライトと申します。
 どうぞ、こちらへお越し下さいませ」
 マロウと名乗った中年の女性は、低姿勢でフェイルを応接室へと案内した。
 売り場の奥には居住空間と作業場、倉庫くらいしかない【ノート】とは
 比較にならないほど、広く、そして高い。
 フェイルは応接室に行くまでの廊下を歩きながら、既に敗北を痛感していた。
 こんな規模の店が、【ノート】と共同開発する意義など何処にもない。
 身の丈に合わない商談と言う事がハッキリした。
「実は、先客がおりますの。ですから、少しお待たせするつもりだったのですけれど、
 その先客の方が同席でも構わない、と言っておられて」
「そうだったんですか。貴重な御時間を割かせてしまって申し訳ありません」
 更にいたたまれなくなる。
 薬草店と言う一つの店舗を持ち、商売の世界に身を投じ、わかった事。
 それは、自分自身がどんどんちっぽけな存在になって行く事を日に日に実感する事だ。
 かつて、宮廷弓兵として城で生活していた頃は、自分自身がまるで宝物であるかのような
 錯覚を抱いていた。
 しかしながら、それが幻想であると言う事を知るまでに、そう時間は要さなかった。
 それどころか、存在力が一般人の水準にすら達していないのでは、と言う
 自らを卑下するような精神状態に陥っているのが現状。
 特に、勇者一行と絡んでからは、それが一層顕著になっている気がしてた。
「こちらです……どうされました?」
「いえ。広いなあ、と感心していただけです」
 そんなフェイルの自嘲気味な苦笑に小首を傾げつつ、マロウは応接室の
 扉をゆっくりと開けた。
 その広さは、以前見たアルテタのあの屋敷の応接間程ではない。
 ただ、フェイルにはこれと同じくらいの広さの部屋に見覚えがあった。
 応接室とは少し違うが、いつもそこで屋敷の主と話をした。
 そう。
 その主が。
 ビューグラス=シュロスベリーが――――そこにはいた。
「……!」
 フェイルにとって、失態を犯して以来の邂逅。
 その予期しない瞬間に、様々な思いが駆け巡る。
 フェイルにとって――――この薬草学の権威は、紛れもなく恩人だった。
 ただ、その記憶に一番残っている事項に関しては、自身の弓術と暗部を買われて
 雇用された事よりも、遥か昔の――――子供時代まで遡らなければ辿り着けない。
 かつて、フェイルが幼かった頃。
 シュロスベリー家において、アニスと無邪気に遊んでいた頃。
 フェイルは、誤ってエントランスに飾っているガラス彫刻の置物を落としてしまった。
 鷹を模した美しい彫刻が、見るも無残に粉々になる様は、子供心に大きな傷を残すには
 十分な程の壮絶さがあった。
 ガラスの価値は、国によってある程度異なり、隣国デ・ラ・ペーニャにおいては
 裕福な家庭であれば、入手する事はそう難しくはない。
 一方、このエチェベリアにおいては、宝石に匹敵する価値を持つ。
 そのガラスで作られた彫刻には、それこそ財宝と同等の値が付く事も珍しくなかった。
 ただ、その頃の知識でガラスの価値など知る筈はない。
 フェイルは、単純に美しい物が粉々に砕け散る様に多大なショックを受けていた。
 同時に、その家の主――――ビューグラスに怒られると言う恐怖も湧き出る。
 幼いフェイルは、身動き一つせず、蒼褪めた顔でその場に立ち尽くしていた。
 程なく使用人が駆けつけ、怪我がないか聞いて来た時も、首肯するだけで
 その問いの意味すら理解出来ずにいた。
 そんな中――――彼は穏やかな顔で近付いて来た。
 ビューグラスは、フェイルではなくガラスの欠片に視線を向け、その中の一つを
 手で摘む。
 使用人が負傷を懸念し制止するのも聞かずに。
 そして、厳かでもなく、険しくもなく――――
『形はいずれ崩れる。だが、崩れた後もまた、それは在り続ける。それを忘れるな』
 ただ力強く、そう教示した。
 それは、子供には余りに難解な高説。
 当時のフェイルに理解出来る筈もない。 
 しかし、言葉は記憶に残った。
『怪我がなくて何よりだったな』
 その次の言葉と、笑顔と共に。
「……あの」
 そんな記憶が脳裏を蠢く中、フェイルは言葉に迷う。
 視線に迷う。
 心の置き場に、迷う。
 それは、ガラスの彫刻を壊したあの時と、酷似していた。
 そして――――
「掛けなさい」
 ビューグラスは今日も、穏やかに言葉をかけて来た。
 しかし、フェイルは違う。
 子供の頃から今に到るまで、様々な事を知った。
 様々な経験を積み、造詣を深め、そして――――弱くなった。
 当時は呆けただけだったフェイルは、今はその言葉の持つ幾重もの意味を
 理解する程度には成長している。
 そして、瞑目し、小さく頭を下げた。
「マロウ殿。この時間を使って熟考したのだが……やはり、例の件は辞退させて
 頂きたい。力になれず、申し訳ないのだが」
「そうですか……仕方ありませんね。無理を言える立場でもありませんし」
「すまない。では、失礼する」
 ビューグラスは、話を長引かせる気はなかったらしく、直ぐに席を立つ。
 それがどのような商談で、どう言った経緯を辿ったのかは知る由もないが、
 フェイルはなんとなく、それが大きな破談である事を空気で悟った。
「あの……!」
 とは言え、そんな他者との商談より、フェイルには気にすべき事は腐るほどある。
 致命的な失態の後、お詫びすらしていない。
 それが例え、依頼人へ危険が及ぶ事を防ぐ為の常識的な行動であるとは言え、
 当然いたたまれない気持ちは宙ぶらりんのまま。
 フェイルはこの機会に、それだけは伝えたかった。
「すいませんでした」
 手短、かつ最小限の言葉。
 ビューグラスは――――視線だけで応えた。
 何も言うな、と。
「……」
 俯くフェイルを見届け、ビューグラスは応接室から出て行った。
「やはり、お知り合いでしたのね」
 そんなやり取りを黙ってみていたマロウは、上座にあるソファに腰掛けながら
 納得した様子でそう呟く。
「貴方の名前が出た途端に、表情が変わりましたから。あの御仁が人前で
 顔色を変える事は、殆どありませんのに」
「長い付き合いなんですか? 彼と」
 フェイルの言葉に、マロウはコクリと頷く。
「このお店を構えて直ぐだから、10年になるかしら。持ちつ持たれつ、
 良くして貰っているのだけれど……今回は縁がなかったみたい」
「すいません。何か僕が話の腰を折ったみたいで」
「良いのよ。寧ろ、貴方が来てから機嫌が良くなったみたいだし……ね。
 それで、その貴方はどう言ったご用件? 確か、ウェズさんのお知り合いと
 言う事でしたけれど」
「はい。実は……」
 その後、フェイルは自分がここへ来た目的を簡潔に説明した。
 当然、断られるだろうと踏んでいたが――――
「成程ね。薬草は香水には欠かせない材料だし、悪くはないと思うけれど。
 どのような商品プランがあるのか、お聞かせ願える?」
 マロウは、特に悩む様子もなく、乗り気を示した。
 そして同時に、その理由をフェイルは悟る。
 結局――――ここでも、決め手となるのは自力ではなかった、と。
 とは言え、これは偶然の産物。
 ここにビューグラスがいて、そのビューグラスとの関係性を考慮し、
 繋がりを持っていた方が有利とマロウが判断したとしても、それは偶発的なもの。
 それならば、敢えて拒否する事もないと、フェイルは思い切り嘆息したい衝動を
 辛うじて抑制した。
「薬草と言うのは、やはり人を癒してこそ、だと思います。ですから、
 コンセプトとしては『人を癒す香水』と言うのを考えています」
「良いじゃない。最近、刺激ばかり強くて個性のない香水ばかりだったから、
 丁度良いんじゃないかしら。具体的な材料と製造はこちらが受け持ちますから、
 使用する薬草と方向性をまとめて、またいらっしゃい。後で店の者に
 正式な契約書を作らせます」
 斯くして――――商談は成立。
 フェイルは笑顔なく、その場で一礼し、感謝の意を示した。
「良い顔ね。ところで……貴方は【メトロ・ノーム】を御存知?」
 席を立とうとしたフェイルに、マロウは突然脈絡のない質問を投げ掛けてくる。
「え? いや、知りませんけど」
「あら、そうなの。私達は正式な契約の際は『そこ』を利用するのだけれど……
 どうしましょうかしら」
 戸惑うフェイルを他所に、マロウは一人で悩み出す。
 メトロ・ノーム。
 その言葉に、フェイルは聞き覚えが――――あった。
 ただし、形骸的な記憶に過ぎない。
 中身に関しては何一つ知らない。
 ただ、一度耳にした事のある言葉ではあった。
 この街ではなく、城にいた頃に。
「……ま、良いでしょう。契約を交わす以上、我々は同列であるべき。
 私が貴方を【メトロ・ノーム】へ導きましょう」
 そんな記憶を辿る暇もなく、マロウはそう結論付けた。
 そして、おもむろに席を立つ。
「いらっしゃい。案内して差し上げます。このヴァレロンのもう一つの顔、【メトロ・ノーム】に」
 その言葉に導かれるまま――――フェイルもまた、席を立った。





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