ローズヒップの実を乾燥させ、粗挽きして焙煎すると、上品且つ豊かな香りが
 口中に広がるローズヒップティーの出来上がり。
 その香りは、日頃の嫌な事を忘れさせてくれる。
 過去の思い出に浸るには丁度良い。
 それはつまり、現実逃避と言う、ある意味人間にとって非常に重要な作業だった。
(薬草……か)
 まるで懐かしい物を脳裏に浮かべるような心持ちで、フェイルはそれを思い浮かべる。
 ここはフラワーショップ【ノート】。
 色とりどりの花々に囲まれた、壮美な空間が目に優しい、【レカルテ商店街】の
 新たな名物店だ。
 甘美な匂いに誘われ、朝は蜜蜂や蝶々が舞い込み、昼は近所のマダムが立ち寄り、
 夜は家庭を彩る為にホロ酔いの労働者が訪れる。
 通常、花屋と言うのは、余り多くの客に恵まれる事はない。
 それは、花と言う商品の需要が、必ずしも高くはないからだ。
 日用品でもなければ、短期的消費物でもない。
 かと言って、必需品でもない。
 まして、山や森、あるいは野原へ赴く時間があれば、然程大した労力を伴う事なく
 入手出来る。
 特別な知識は必要ない。
 気に入った花を摘めば良い。
 その為、このレカルテ商店街には、花屋は他にない。
 また、貧民街の名物でもある少女の花売りも、柄の悪い店主の多いこの商店街には
 殆ど見受けられない。
 そう言った要因もあってか、フラワーショップ【ノート】は中々の繁盛を見せ、
 フェイル等が帰還した後も、順調な売り上げを記録している。
「ありがとうございましたー!」
 勇者リオグランテの挨拶が店内に響き渡る中、また一つ、花が売れた。
 お見舞い用の花束。
 それ一つで、焙煎ローズヒップを2kg売るのと同じ価格。
 まとめ買いこそあれ、加工以外は工夫が難しい薬草と違い、花はアレンジメントを
 施す事で、単価の高い商品に早変わりさせる事が出来る。
 客の数が増えた事以上に、その点が大きかった。
「これなら、私達の出した損失も十分埋められそうね」
「このペースが続けば、1年3ヶ月程で充填可能です。見通しが立った、と言っても良いでしょう」
 客の去った店先を掃除しながら、フランベルジュとファルシオンはフラワーショップ【ノート】の
 看板を眺め、そして同時に数度頷いた。
「やっぱり、薬草なんて流行らないって事よね」
「……うわーん!」
 フェイルは泣いた。
 割と本気で。
「泣いても仕方ないじゃない。これが現実なんだから。もう、貴方の店は変わってしまったのよ。
 二度と戻ってこないの、薬草店【ノート】は」
「別れた嫁さんを遠い目で語るみたいな言い方は止めてよ……」
 フランベルジュは、哀れみの顔で首を振っている。
 実際、切実な悩みではあった。
 このフラワーショップ【ノート】は、明らかに薬草店よりも業績が良い。
 今後どうなるかは不透明だが、勇者一行共が出した損失を補う上では、十分な期待が持てる。
 無理に軌道修正するより、暫くこのままでいた方が、現状の問題を解決する上では有効だ。
 だが――――フェイルがこの店を構えた目的は、利益を出す為ではない。
 妹の治療に必要な薬草を入手する為だ。
 その薬草は、現在の世界の気候では生えて来ない。
 手に入れるには、既に採取された物を探すしかない。
 だが、元々絶滅種に近い薬草とあって、市場には残っておらず、誰が持っているか見当もつかない。
 その為、フェイルは薬草士の権威がいるこの故郷に帰ってきた。
 そして、その権威であり、幼なじみの父――――ビューグラス=シュロスベリーと懇意になるよう
 尽力した。
 決して社交的ではないその性格を捻じ曲げて、取り入った。
 直接問い質す事は出来ない。
 その薬草は、マンドレイクやロイヤル・パルフェ以上に希少なものであり、ある種別格の薬草だからだ。
 この世界には、六つの『不可侵財貨』がある。
 世界共通の法律で、その財貨を個人で取得する事を禁止していると言う、異例の存在だ。
 世の中にある様々な財宝、芸術品よりも価値の高い六つの貨物。
 その中の一つに、フェイルが切望している薬草は指定されている。
 それを探している事を悟られれば、警戒される事は必至だ。
 まして、フェイルには元宮廷弓兵と言う経歴まである。
 幾ら本当の理由を話しても、信じて貰えないだろう。
 悟られないよう、静かに探すしかない。
 だが、好機を得る前に、離れざるを得なくなった。
 フェイルは――――内心焦っていた。
 こんな、商店街の中の一商店に過ぎない薬草店に、その薬草が流れてくる可能性は
 限りなく無に近い。
 それでも、フェイルにはそれしか手段がない。
 薬草の権威の近くにいれば、その可能性は微かでも伸びる筈だった。
 だが、距離は離れ、薬草すら遠ざかって行く。
 ただでさえ厳しい条件の中で、更に事態は悪化しているこの状況を保持するのは、
 余りに苦しい。
 とは言え、現在の経済状況で薬草店を続けるのが厳しいのも事実。
 ジレンマの中で、フェイルは弱りきっていた。
「……そんなに花屋はイヤなの?」
 先程まで鼻で笑っていたフランベルジュが、瞼を落としながら聞く。
 フェイルは言葉では答えず、視線だけで回答した。
「それじゃ、仕方ないですよね。今あるお花を売り切ったら、また看板を変えましょっか」
「以前の商品や看板を捨てておかなかったのは幸いでした」
 リオグランテとファルシオンも店主の意思を感じ取ったのか、嘆息しつつも理解を示す。
 フェイルにとっては、意外な反応だった。
「良いの? 僕が花屋を続ければ、もうここから旅立てるのに」
 無論、損害分働いた訳ではない。
 ただ、勇者達には国王命令の使命がある。
 再建の見通しが立てば、そちらを優先するのはこの国の倫理としては正しい。
 だが、ファルシオンは静かに首を横に振った。
 それは――――
「路銀がありません」
 極めて利己的な理由に他ならなかった。
「……あっそ。でも、ここにいてもお金が出せないよ」
「ええ。だから、私がコレに出るのよ」
 エル・バタラ――――国内最大の武闘大会。
 その宣伝広告を記した紙を手に、フランベルジュが不敵に微笑む。
「よくよく考えたら、どうせ隣りの国に行くには結構なお金が掛かるのよね。
 それを稼ぎながら進んでいくのって、嫌でも時間掛かるでしょ?
 だったら、ここで長期滞在する事になっても、一気に路銀を稼いだ方が今後の為にも
 なるって言う、高度な判断よ。フフン、腕がなるったら」
 そこにあるのは、金欲ではなく自己顕示欲と自己探求。
 自分が今、どの程度やれるのか。
 自分には、どの程度の才能があるのか。
 自分の力はどれ程の歓声を受けられるのか。
 フランベルジュの顔は、それを知りたいと言う欲求で満ちている。
 フェイルには、そう言う感覚は全く理解出来なかった。
 しかし、別の理由に関しては、共感出来る。
 そして、それが最大の理由だろうと確信していた。

 ――――畏れを抱いた自分への失望を打ち消したい

 フェイルが見張り塔で見た、あの畏怖の表情。
 高い矜持を有すフランベルジュが、忘れられる筈がない。
 バルムンクに対しての恨みではなく、弱味を見せた自分への苛立ち。
 そして、失望。
 それを消すには、確固たる自信が必要だ。
 フェイルにも、似た経験がある。
 そして、大会と言う舞台は、それを満たす格好の機会と言えるだろう。
「そう言う事なら、止めはしないけど」
「止められる謂れもないけど?」
 全てを理解したフェイルの忠告にも似た言葉は、あっさりと流された。
「ま、そう言う訳で、暫くこの街に滞在する事になったから。あと、大会に向けて
 修練が必要だから、働くのは今日までにさせてね。その代わり、賞金の一部は
 くれてあげる」
 不遜な言葉には、自信ではなく責任が覘いた。
 自分を追い詰めている。
 フェイルは、そう取った。
「了解。そもそも、大して役に立たないし……っと!」
 飛んで来る加減された拳を交わし、フェイルは思わず苦笑した。
 決して、長い付き合いではない。
 ただ、フェイルは徐々にこの女性剣士の人となりを理解しつつあった。
 からかい甲斐がある、と。
「フランの分は、私が働きます」
 一方、仲間の尻拭いをすると断言したファルシオンの言葉に、フェイルは目を細めた。
 先日――――流通の皇女が放った一言が脳裏を掠める。
『勇者一行には、あまり気を許さない方が良いわよん♪』
 許さないとすれば――――この女性だと、そう感じていた。
「この好調なフラワーショップを畳む以上、経営状況の悪化は免れません。となれば、テコ入れに
 新たな試みが必要となる筈です。薬草店としてこの水準の売り上げを確保する方法を模索しましょう」
「それなんですけどっ。花屋さんと薬草屋さん、一緒に出来ないものなんですか?
 花と草って、結構似てますよね?」
 リオグランテが首を傾げながら問うその内容は、至極尤もなものだった。
 花と薬草。
 相容れないと言う事はない。
 実際、薬草として使用する植物の多くは、花を付ける。
 既に花を扱っているようなものだ。
「ダメ」
 であるにも拘らず、フェイルは断言した。
「言いたくないけど、この状況で花と薬草を同時に扱えば、客の殆どは花を売ってる店に
 薬草をついでに置いてると見做す……よね、きっと。結果的には花屋さん、って事に
 なっちゃうんだ」
 店の種類は店主が決める――――と言うのは、表面上の事であって、実際には客こそが
 その店を決める唯一の存在だ。
 もし、花と薬草を同時に売れば、より売れて、より存在感のある花がメインの店と
 見做されるだろう。
 そうなれば、レアな薬草が流れて来る可能性は一気に減る。
 行商が売りに来る薬草や、流通で流れる薬草の多くは、純正の薬草店に辿り着くからだ。
「そうですか……それじゃ仕方ないですね。僕はお花の方が綺麗だし良い匂いだしで
 好きだったんですけど」
 勇者の何気ない素直な一言に、フェイルは微妙に傷付いた。
「と言う事なので、私なりに考えてみました」
 そんなフェイルの隣にいつの間にか移動したファルシオンが、安物の羊皮紙を
 木板の上に乗せ、カウンターの上に立てる。
「……予め用意してたの?」
「こうなる予感はしていたので」
 やはり、気を許せない人物だとフェイルは改めて確認した。
 同時に頼もしさも抱きつつ、耳を傾ける。
「薬草店が成功するビジネスモデルとしては、やはり稀有な薬草を置くのが一番です。
 先日苦労の末に手に入れたマンドレイクが市場価値を暴落させた以上、別のレアな
 薬草を入手するのが最も好ましいのですが……流石に二度目はない、と思います。
 よって、別の手段を講じる事が好ましいと判断しました」
 そこまで発言した後、ファルシオンは羊皮紙を裏返す。
 そこには――――絵が描いてあった。
「わっ、紙芝居ですね! 久々に見ます、ファルさんの紙芝居」
「……そんなスキルを隠し持ってたんだ」
 割とどうでも良い情報だったが、内容は気になる為、フェイルは視線を紙に移す。
 そこには、4つの工程に分かれた絵が描いてあった。
 一つ目は、髪を結った気弱そうな男が、物乞いのような出で立ちで誰かに助けを請う場面。
 二つ目は、髪を結んだ細身の男が、浮浪者のような格好で何者かに助力を願う場面。
 三つ目は、髪の後ろで尻尾を作った貧弱な男が、貧民のような姿でとある人物に介助を訴える場面。
 四つ目は、髪を縛った脆弱そうな男が、路上生活者のような装いで不特定人物に扶助を祈る場面。
 それぞれに構図は大胆に異なっているが――――要は全部同じ場面だった。
「……これ、苛め? 執拗な苛め?」
「そう言うつもりではなかったんですが……わかり易くと言うか、単純に筆が進んだと言うか」
「また上達しましたねー!」
 リオグランテが感心するのも無理はない程に、絵は上手かった。
 ただ、それだけに現実感も一入。
 自分がモデルである事は明らかな上、連続で四度も弄られた格好となった事で、
 フェイルの精神は崩壊寸前に追い込まれていた。
「お伝えしたいのは、この商店街をもっと利用すべき、と言う事です。沢山の人達に
 協力を仰ぐ事で、もっとお客さんは増えると思います」
「だったら最初からそう説明してよ! 何この惨状の四乗!」
「これくらい、いろんな所にお願いすべきと言う主張です」
「主張してるのは僕のボロボロの姿ばっかりじゃないか……」
 項垂れる。
 ただ、協力と言う言葉には、少なからず興味を抱いてはいた。
 同意見なのか、フランベルジュも身を乗り出してくる。
「協力、ねえ。この貧相な薬草店を助けてくれる物好き、いるの?」
「最初の一つを探すのは難しいかもしれませんが、それさえクリアすれば、徐々に
 価値は上がっていきます。勝算は十分あると思います」
 それから――――ファルシオンは自身の策をわかり易く解説した。
 協力と言うのは、出資などのような直接的なものではなく、
 そのお店と共同でお互いの店の要素を加えた新商品を開発する、と言うもの。
 例えば、飲食店と共同で、ハーブティーを開発する、等の手法だ。
 そうすれば、【ノート】の名前はその飲食店の客にも知れ渡る。
「と言う訳で、今日はどの店と協力し合うかを検討しましょう」 
 こうして――――フラワーショップ【ノート】は新たな試みに挑戦する事となった。
「……取り敢えず、看板だけは外しておこう」
 薬草店【ノート】は、新たな試みに挑戦する事となった。




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