翌日――――フェイル達が数日ほど寝泊りしていたその屋敷は、昨日の騒動の余韻を全く
 感じさせず、強い日差しを浴び、湿った空気を運んでくる南風を受け、静かに佇んでいた。
「それじゃ、帰ります。カバジェロさん、お世話になりました!」
 そんな屋敷を見上げながら、勇者リオグランテは声高に叫び、門の前で見送るカバジェロに一礼した。
 リオグランテの視点で今回の騒動を語るならば――――自分の作った借金の返済が可能な
『マンドレイク』と言う宝物を求めてこの地を訪れ、無事それを入手し、以前来訪した際に作った
 疑惑もカバジェロとの戦闘で晴らし、一件落着の元にこの【アルテタ】を離れる、と言う事になる。
 実際、リオグランテの顔は実に晴れ晴れとしていた。
 いつもの表情と言えばそれまでだが。
「ああ。自分も良い刺激を受けた。また会う事があれば、再び剣を交えたいところだ。その時は、
 貴女とも一度合間見えたいと思っているが、如何だろうか」
「そうね。その自信たっぷりな鼻っ柱を叩き折るのは、それなりに面白そう……くしょん!」
 まだ風邪が完治していないフランベルジュの自信に満ちた言葉に一つ頷き、カバジェロは
 門前の中央にその身を移し、両の足をピタッと揃え、直立不動のまま深々と頭を下げた。
「勇者候補一行への数々の無礼、どうか許されたし。そして、またこの【アルテタ】に足を運ぶ際には
 是非この屋敷をまた利用してくれ給え」
「わかりました。その際には立ち寄ります。色々とありがとうございました」
 その礼に、ファルシオンも頭を下げる。
 元々――――カバジェロが熱望したと言う『勇者候補との一対一の戦い』に対して、最初に受理したのは
 このファルシオンだったと、フェイルは今朝フランベルジュから聞いた。
 その後の、緊迫した場面を作り出す為の数々の演技にも、割と積極的に参加していたとの事。
「意外と、そう言うの好きなのよね、あの子って。クールそうに見えるけど」
 とは、フランベルジュの弁。
 実際、鬼気迫る演技を見せられた立場のフェイルは、その言葉に首肯する事に抵抗はなかった。
 策士。
 そんな言葉が脳裏を過ぎる。
 尤も、あの騒動は全て、カバジェロの別の意図――――マンドレイク強奪と言う目的が裏にはあった為、
 実際には大きな策の中で翻弄されていた事になるのだが。
「……どうかされましたか?」
 視線に気付いたファルシオンが眠そうな目を向ける中、フェイルは静かに首を横に振った。
 そして、視線をもう一人の女性に移す。
「それより、風邪は大丈夫なの?」
「ええ。もうクシャミだけ。誰かさんの作った薬草が運よく効いたみたいね」
 捻くれた言葉も混じってるが、一応は感謝の念を込めたらしく、フランベルジュは照れ隠しにそっぽを向いていた。
「それじゃ、馬車乗り場まで行きましょうか。カバジェロさん、さようならー!」
「またのお越しを」
 恭しく一礼。
 その姿は、騎士然とした姿が似つかわしい男の表層そのものだった。
 しかし、その中には――――全く別の『騎士でなければならない』と言う強迫観念に苛まれている
 哀れな男の悲哀も含まれている。
 フェイルはそれを思い、内心で嘆息しながら頭を下げた。
 それを見たカバジェロは、何かに気付いたように、微かに目を見開く。
「フェイル殿。弓を忘れているのではないか? 確か、応接間に置いてあったと記憶している。
 自分が取りにいっても良いが……」
 そして、そこで少し間をおいた。
 言うまでもなく、昨日切断された弓は既に使い物にならない。
 その剣で切ったカバジェロ自身が誰より知っている。
 と言う事は――――
「あ、自分で行きます。悪いけど、先に行ってて。直ぐに追いつくから」
 フェイルは勇者一行にそう告げ、ゆっくりとした足取りで屋敷に戻る。
「……実は舞台役者でも目指しているんじゃないですか?」
「王宮にいれば、嫌でも身に付くものだ。それは貴殿も知っているだろう」
 そのフェイルに並行していたカバジェロは、玄関の前で立ち止まり、その扉の開閉の邪魔にならない
 ポジションで直立したまま動かなくなった。 
「で、何? 話があるから呼び止めたんでしょ?」
「自分は昨日、十分に語り合った。貴殿に用があるのは……」
「あたしよん。やっほ♪ 薬草屋ちゃん♪」
 扉が、ゆっくりと開く。
 そして、そこに――――市民が目にする事は滅多にないと言われている、流通の皇女の姿があった。
 傍らには、相変わらず白一色のローブで身を包んだ魔術士の姿もある。
 全くの予想外。
 フェイルは、思わずこめかみに親指を当て、揉み解す。
 実は。
『流通の皇女』と呼ばれるこの女性を、フェイルは数日前の元町長宅での邂逅よりかなり以前から知っていた。
 正確には、幼い頃に眼前の赤毛の女性と数回ほど面識があった。
 その当時から既に強大な権力を有している彼女は、ヴァレロンの一角を実質的に
 統治しているシュロスベリー家とも面識があり、屋敷にも何度か足を運んでいたのだ。
 その屋敷で遊んでいたフェイルが彼女と出会うのは、必然だったと言える。
 尤も、子供の頃に目にしただけの関係なので、語るまでもない事だし、なにより
 その関係性を勇者一行に悟られれば、ビューグラスとの関係を知られる要因となり、
 更には『裏の仕事』まで知られるきっかけになりかねないので、数日前にカラドボルグと言う名の
 医師が『スティレット』の名を出した際や元町長宅の前で出会った時には、内心焦りつつも
 無反応を決め込んでいた。 
「あら? もしかして、あたしの事覚えてない? だとしたらショックよね。
 一応、殆どの殿方があたしを一目見たら忘れない、って言ってくれるんだけど」
 スティレットはカバジェロに視線を送り、同意を求める。
 しかし、特に返答はなかった。
 そう言うやり取りは、日常的に行われているのだろう。
「……確かに、数日前にお会いしました。でも、余り親しげに話すのは失礼だと思いまして」
 一方、フェイルは努めて距離のある話し方に終始する。
 普通なら――――流通に絶大な影響力を持つ大富豪の彼女に親しげに話しかけられたなら、
 商人の誰もがその僥倖に感謝する事だろう。
 もし親しくなれれば、末代まで安泰と言っても良いくらい、スティレットの持つ力は大きい。
 流通と言うのは、全ての商人にとってのライフラインなのだから。
 しかし、フェイルにとっては余りにリスクが大きい。
 ビューグラスとの関係が現在も良好なのか、そうでないかも定かではない。
 自分自身の事をどれだけ知られているかも、わかったものではない。
 権力者には、他者の秘密を知る力がある。
 だからこそ、フェイルはなるべくそう言った人物とは関わらないようにしている。
 勿論、かと言って粗相をしでかせば、帰る頃には薬草店【ノート】は店ごとなくなっているだろう。
 それだけの力が、流通の皇女にはある。
 昨日の戦闘よりも遥かに大きな危機を、フェイルは感じていた。
「あ、そ。まあ、それでもいいわ。それより、頼みごとがあるのよね。このおウチに
 泊めてあげた事だし、聞いてくれないかしらん?」
 そしてそれは、早くも具現化しようとしている。
 この『カバジェロの友人』が直接現れたと言う事は、武力行使を権力行使にシフトチェンジし、
 更に強引な手段でマンドレイクの強奪を行使すると言う事。
 実際、既に何日も世話になっている手前、もし要求されれば、フェイルは断れない。
 商人として生きていくならば、この流通の皇女に不義理は働けないからだ。
 恩義がなければ、断る事に問題はない。
 適正価格で売る事も出来るだろう。
 しかし、相手への借りがある以上、それは出来ない。
(やられたな……)
 フェイルは、心の内で白旗を上げた。
 元村長宅を訪れていた際には、既にマンドレイクの在り処を探っていたのだろう。
 或いは、もっと前から。
 カバジェロを使って自分の屋敷に招いたのも、この為の布石だった――――
「カラドボルグって言う名前のお医者さんに届け物をして欲しいの。確か彼、
 今はヴァレロンにいるのよね。あたし、今はちょっとココを離れられないから、
 お使いをお願いできる?」
 と、そう一人で納得していたフェイルは、思わず膝から崩れそうになるのを辛うじて堪えた。
「……はい。それくらいなら」
「ありがと♪ 助かるわん」
 赤毛の女性は、唇の端を釣り上げながら、人差し指をそこ寄せ、ウインクしてみせた。
 その姿に、フェイルは思わず瞼が落ちそうになる。
 手の内が読めない。
 非常にやり辛い相手だった。
「てっきり、マンドレイクを譲渡する事になると思ってたんですけど」
 仕方ないので、自ら切り出す。
 それで腹の底を探れるとは思っていなかったが、何かしらの意図は掴みたかった。
 でなければ、気になって眠れそうにない。
「そんな事はしないわよん。マンドレイクは薬草士にとってはお宝ですものね。
 でも、あたし達にとっては、もう価値がない物になっちゃったから」
「え?」
 フェイルは思わず首を上げる。
「実は、ついさっき知ったんだけど、【バケーロ】でマンドレイクが大量に見つかったんだって♪
 それで価値が暴落、って訳にはならないけどん、あたしには必要ない物ね」
「……え?」
 そして、そのまま固まった。
【バケーロ】とは、エチェベリアから南西に数百kmほど下った所にある大国。
 そこでマンドレイクが大量に見つかったとなれば、直ぐに国内にも入ってくるだろう。
 少なからず薬草としての、或いは毒草としての価値もあるが――――もしその話が本当ならば、
 希少性が価格の大半を担っていたマンドレイクの市場価格が暴落する可能性は、極めて高い。
 そして、この場でスティレットが嘘を吐く理由も、特に見当たらなかった。
「は、ははは……」
 フェイルは乾いた笑いを浮かべ、空を仰ぐ。
 マンドレイクを入手した理由は、あくまでもヴァレロン・サントラル医院長グロリアの課した
 試験に合格する為であり、市場価値の下落は特に問題はないのだが、大量発見となると話は別。
 この試験自体、希少価値の高い薬草を見つけられるかどうか、と言う所に目的があるのは
 明白であり、もしこのマンドレイクを【バケーロ】に行って買い取ったと見做されれば、
 試験の意図する部分が無意味になってしまう。
 故に、反故にされる可能性も十分あった。
「残念だったわね。でも、こう言う事って結構よくあるものよ。気を落とさずに頑張ってね。
 応援してるから。じゃ、これをお願いね♪」
「はあ……」
 気落ちするフェイルに、スティレットは自身の真っ赤な服の袖についていたボタンを一つ
 ちぎり、それをフェイルに差し出した。
 そこで――――思い出す。
 そして同時に、それを伝えるかどうかを思慮する。
 結果、特に隠す事で生まれるメリットもないと判断し、フェイルは皮袋の中から
 一つのボタンを取り出した。
「これ、そのカラドボルグって人から貰ったんですけど。何か関係が?」
 その医師は、『困った事があったら、これをスティレット=キュピリエに見せるといい』と
 言っていた。
 尤も、薬草店を構える人間にとって、流通の皇女と対面する事は、それ自体が『困った事』だ。
 よって、実際は『会った時に見せろ』と言っているに等しい。
「あら。ボルグちゃんからもお使いを頼まれてたのね」
「……お使い?」
 フェイルはその言葉に一瞬戸惑った。
 そして次の瞬間には、気付く。
 まんまと、お使いに使われた事に。
 つまり――――あの条件の中の三つの薬草、少なくとも『マンドレイク』に関しては、
 グロリアではなくカラドボルグが出した事になる。
 スティレットがマンドレイクを探しており、そして彼女の屋敷が【アルテタ】にあり、尚且つ
 勇者一行が【アルテタ】でマンドレイクらしき物を見つけた、と言う事を知っていて、
 それを利用し、スティレットにボタンが届くようフェイルに預けた格好だ。
 単に『スティレットにボタンを渡してくれ』と言えば、フェイルは確実に断っていただろう。
 余りに妖しすぎるし、流通の皇女と接点は作りたくない。
 その心理を逆手に取り、スティレットに会った際の保険的な意味合いをボタンに持たせ、
 フェイルに預けた――――そう言う推測が成り立つ。
 かなり面倒な手順ではあったが、実際にこうして届いたのだから、実際にそうだったのだろうと
 フェイルは呆れ気味に確信した。
「それなら話は早いわ。って言うか、ボルグちゃんの事を知ってたのなら、そう言ってくれれば
 よかったのにん」
「いや、もう知ってたんでしょう。じゃないと、わざわざ僕に預ける必要性がない」
「うふ。偉いわね。賢い子はあたし大好きよ♪ あなた、気に入ったわ♪」
 まるで、幼い子供を褒め称えるような語調で、スティレットは笑顔を覘かせた。
「ビューグラスのオジサマとも縁がある事だし……特別サービス! 良い事を幾つか
 教えてあげるわ」
「……スティレット様」
 その瞬間。
 それまでずっと沈黙を守り続け、存在感を消していたヴァールが突然口を開いた。
「お戯れは程々に」
「もー、ヴァールは堅物なんだから。それじゃ、一つだけにしちゃう。なら良いでしょ?
 お使いのお礼なんだから」
「……はい」
 そして、主君の言葉に素直に頷く。
 その表情、そして佇まいには、以前ファルシオンに喧嘩を売った際の冷たさは微塵もない。
 ただ、無。
 ファルシオンもかなり無表情な方だが、それより遥かに徹底して表情が無い。
 良く訓練された暗殺者を見ているようで、フェイルは気分が滅入るのを自覚していた。
「勇者一行には、あまり気を許さない方が良いわよん♪」
 そんな中、それ以上に気の滅入る助言が、フェイルの耳に届く。
「あの子達は、いずれいなくなる存在だからね。情が移ると、後悔する事になると思うわ」
 それは、既にフェイルも知っている事だった。
 とは言え、折角の好意。
「そうですか……わかりました。頭入れておきます」
「素直で可愛いわね♪ ますます気に入っちゃった。どう? あたしの下で働く気はない?
 お給料かなり弾むわよん」
「遠慮しておきます。ボタンは確かに預かりました。それでは失礼します」
 フェイルは即答で断りを入れ、深々と頭を下げて踵を返した。
 確かに、あの女性の下につけば、生活は安定するだろう。
 しかし、薬草店【ノート】はなくなる。
 その選択肢は、フェイルの中にはない。
「ざんね〜ん。気が変わったらいつでも言ってね♪」
 そんな、明らかにその気もなさそうなスティレットの言葉にもう一度礼をして、
 フェイルは数日ほど世話になった屋敷を後にした。
「あと、アニスちゃんにもヨロシク♪」
 背後から聞こえて来たそんな言葉を、背中で受け止めながら。





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