「スティレット様は、この国の経済を牛耳るお方だ。にも拘らず、実に寛容な
 器を持っている。ここを使わせて貰っているのも、それ故なのだ」
 宝物庫――――持ち主にそう称された屋敷に帰ったフェイル達を待っていたのは、
 豪華な食事と、家の主を褒め称える賛美の語群だった。
 スティレット=キュピリエ。
 別名、流通の皇女。
 このエチェベリア全土を、或いは国外を結ぶ無数の流通経路において、この
 スティレットは強大な影響力を有している。
 物資は、生産と消費によって成立するものだが、その中間には常に流通が存在する。
 例えば、薬草店【ノート】にある薬草もまた、流通によってヴァレロンまで運ばれて
 来るからこそ、販売する事が出来る。
 ただ、重要なのはそのような物理的な距離ではない。
 流通とは、生産者から消費者へ物資が移るまでに、どれ程の金銭価値が生まれるか。
 それに尽きる。
「……あれって、どう言う意味だったんですか?」
 食事を終え、部屋に戻ったフェイルは、リオグランテに捕まっていた。
 通常、こう言った解説を行うのはファルシオンの役割の筈なのだが――――
『マンドレイクを手に入れた以上、もしトレジャーハンターがこの屋敷を襲撃して来たら
 私達にとっても他人事ではありません。今日は寝ずに警戒を行いますから、
 私に話しかけない下さい』
 いつもと同じ無表情でそう告げられたリオグランテに選択の余地はなかったようだ。
 尚、顔はいつも通りでも、声はまるで地面の底から聞こえてくるこの世の終わりを
 告げる終末の呪文を連想させるような、低い声だった。
 それを二人で思い返しつつ、広い廊下をひたひたと歩く。
「えっと……例えば、炭鉱に行って、鉄鉱石を取ってきたとするよね。10kgくらい」
「はい」
「その時点で、鉄鉱石の価値って言うのは、10kgだとまあ100ユローくらいかな?
 それくらい値段で、商人に売る。これが言ってみればスタート。それじゃ、
 最終的にこの鉱石が一般人の手に渡る際、10kg100ユローで取引される?」
 フェイルの問いに、リオグランテは指を咥えてボーっとしている。
 余り要領を得ていないようだ。
「鉄鉱石って、売ってるの見た事ないです」
「ああ、言い方が良くなかったかな。要するに、鉄。鉄を使った商品だよ。
 一番身近なのは……剣? リオグランテが使ってる剣は、多分鉄を1kgくらい
 使ってるのかな。その剣、10ユローくらいで買えた?」
「いえ。もっとずっと高かったです。正確な値段は覚えてませんけど」
「そうだよね? じゃあどうして、その剣は10ユローじゃ買えないと思う?
 10kg100ユローだったのに」
 リオグランテは、小首を傾げて思案顔を作っていた。
 まるで小動物。
 フェイルは森の中で始めて見かけた野うさぎを思い出していた。
「それは、剣を作った人にお金をあげないといけないからじゃないでしょーか?
 ただで剣を作る人はいませんし」
「その通り。普通は、そう言う加工に関しては、技術料と制作費用が発生する。
 でも、このお金も、実は大きな視点で見ると、流通料に含まれるんだよ」
「? ? ?」
 勇者はこんらんしている!
「まあ、難しく考えないでも良いよ。要するに、鉄鉱石が鉄になって、その鉄を
 剣にして、その剣が戦士の手に渡る。それまでに釣りあがったお金が、
 流通料って事になるんだ」
「はあ……よくわかりませんけど、わかりました」
 その意味するところはわからないまでも、定義は覚えたらしく、リオグランテは
 コクコク、と頷いた。
「あの赤毛の女性は、その流通料を上げたんだ。ただし、誰も損をしないように。
 それで利益を生み出したんだ。いわば、魔法だね」
 フェイルは苦笑いを浮かべながら、ふと窓の外を眺めた。
 流通革命――――そんな言葉が脳裏を過ぎる。
 これまで幾度か行われて来たその革命に、フェイルはリアルタイムで接した事はない。
 ただ、最新の変化が近年起った事は、薬草店を始める際に聞かされていた。
 その革命は、一つの変化だけではない。
 例えば、このエチェベリアに他国から大量の木材が輸入された事も、その一つ。
 持久力の飛び抜けた馬が運ばれたのも、そう。
 検査機関が誕生したのも、その一環。
 運搬作業の効率化と、中間搾取の増加。
 簡単に言えば、それこそが最新の流通革命の骨子だった。
 結果として、物流から魔法のように、お金が生まれる事となる。
 スティレットと名乗った女性は、そう言った幾つかの創意工夫で、
 国王にすら一目置かれる経済の権威へと上り詰めた――――と、カバジェロは
 揚々と語っていた。
「ま、要するに単なるお金持ちじゃなくて、この国にあるお店と言うお店に
 偉い顔が出来る人、って事」
「それじゃ、フェイルさんもあの人にヘコヘコしないといけないんですか?」
「……ま、そう言う事になるのかな」
 苦笑から笑みを取り除き、フェイルはようやく到着した部屋へと入った。
 マンドレイクが見つかった以上、この日がここに泊まる最後の日となる。
「何かお礼を考えておかないとね」
「そうですね……とっても良くして貰いましたもんね。今日のお料理も最高でしたし。
 お肉、柔らかかった〜」
 恍惚の表情を勇者が浮かべる中、フェイルは一足先にベッドに寝転んだ。
 そして、冷静に今後の事を考える。
 かなりあっさりとしていたものの――――マンドレイクが見つかった。
 その市場価値は、10万ユローとも言われている。
 しかし、それを売る事は出来ない。
 もしそうすれば、フェイルは今後、薬草店を構えられなくなるだろう。
 マンドレイク程の稀有な宝物を市場に出すと言うのは、その界隈に住む薬草の権威の
 顔に泥を塗るも同然。
 その程度の権力、影響力しかないと言いふらすようなものだ。
 つまり――――ビューグラスへの裏切りとなる。
 また、ヴァレロンにはグロリアと言う医学の権力者もいる。
 結局、条件の通り彼に上納するしかない。
 それによって、彼らが提示した見返り――――薬草店【ノート】から
 仕入れを行うと言う約束が現実のものとなれば、どうにか資金源は得られる。
 しかし――――その保証は、ない。
 権力者は、非権力者に対して平気で嘘を吐く。
 それが例え、生命を左右する事項に対してでも。
 フェイルは、マンドレイクを楽しげに眺めているリオグランテに視線を移した。
 勇者候補。
 その身の上は、国王と少なからず繋がりがある。
 これ以上ない、強力な背後。
 とは言え、その勇者候補とフェイルの関係性は、極めて薄い。
 既にその事実を調査しているかもしれない。
 果たして、どの程度の効力となるか。
 無邪気な勇者の笑顔を見ながら、フェイルは静かに溜息を――――
「……ん?」
 ふと。
 その息が、別のものに代わる。
 窓の外に一瞬、違和感が発生した事による、意識なき呼吸に。
「フェイルさん……何か嫌な予感がします」
 それを見ている訳ではないのだが――――リオグランテが突然、そんな事を呟いた。
 笑顔も、いつの間にか消えている。
「急に、どうしたの? 何でそう思うの?」
 どの予感に同意しつつも、フェイルは問う。 
 その必要があった。
「勘です」
 勇者としての、勘。
 それは、ある意味勇者として最も必要な要素。
 理屈を超越した、危機管理能力――――
「フェイルさん、僕ちょっとフランベルジュさんのいる部屋に……」
 それは、確実に起動していた。
 刹那――――窓の割れる音が、室内に響く。
 この部屋の窓は全く変化なくそこに在る。
 しかし、音は決して小さくはなかった。
「……!」
 その音とほぼ同時に、リオグランテが扉を乱雑に開けた。
 これまで、フェイルが一度も見た事のない表情。
 あのバルムンクと対峙した時すら、そんな緊張感を伴う顔は見せていなかった。
「フェイルさんはここにいて下さい!」
 そう言い残し疾走する勇者の背中を見送ったフェイルは、直ぐにその言葉に逆らい、
 弓と矢筒を手に取る。
 敵意のある何者かが侵入してきた事は明らか。
 放置しておく訳には行かない。
 今、フランベルジュは体調不良で倒れている。
 ファルシオンも平常心ではない。
 胡坐をかける状況ではなかった。
 考えられるのは――――トレジャーハンターの襲撃。
 勇者を狙う賞金稼ぎの残党と言う可能性もあるが、それならこの部屋を
 最初に襲撃するだろう。
 トレジャーハンターの可能性が高い。
 ただ、だからと言って自分たちが安全と言う保証はない。
 まして、この屋敷を守るカバジェロには世話になっている身。
 フェイルは意を決して、廊下に出る。
 視界に、これまでと違う変化は見られない。
 灯りもそのまま。
 その廊下を8割の力で走り、気配を探る。
 建物内では、風の動きは読めない。
 物音と、違和感。
 それで察知するしかない。
 しかし、窓を割って進入するような襲撃者が物音を気に留める筈もなく、
 直ぐに足音が聞こえて来た。
 襲撃者は――――フランベルジュのいる部屋の更に奥へと侵入していた。
「何!? どうなってるの!?」
 その部屋から、剣を手にしたフランベルジュが息を切らして出てくる。
 しかし、その身に普段のプレートアーマーはなく、絹の服をまとっているのみ。
 体調も含め、戦闘態勢とは程遠い。
 とは言え、そんな事を理由に大人しくしているような気性ではない。
「事情は後で話すけど、何者かが侵入してきた。リオグランテが追ってる」
「ファルは!?」
 苦悶の顔で問われたその言葉に、フェイルは思わず目を見開いた。
 そう。
 ファルシオンが見張っている筈だった。
 にも拘らず、襲撃者が建物内に入って来たと言う事は――――
「君はあっちに走ってリオグランテを加勢して! 僕はファルシオンを探す!」
 有無を言わせず捲くし立て、フェイルは疾走を再開した。
 敵を追う事を病人にさせるのは、本意ではない。
 しかし、仮にファルシオンが襲撃者にやられたのなら、必要なのは薬草士である
 自分――――そう判断せざるを得ない。
 エントランスを挟んで西館へ向かったフランベルジュの背中が微かに見える中、
 フェイルは玄関の方へ向かった。
 そして――――
「ファルシオン!」
 目的は、そこで果たされた。
 ファルシオンは――――息を切らせ、丁度今館内へと入って来たばかりだった。
「すいません、私の失態です。考え事をしていて……」
「それは良いから! ケガはない!?」
「は、はい」
 フェイルの声の大きさに、ファルシオンは瞬間的に身を竦ませていた。
 襲撃者を発見すらしていなかった、と言う事らしい。
「良かった。今、リオグランテとフランベルジュが西館へ行ってる。
 僕達も行こう」
「わかりました。フェイルさん……落ち着いていますね」
 ファルシオンの声に応えず、フェイルは先陣を切って西館へ向かった。
 しかし、直ぐに異変に気付く。
 先程までの足音も、喧騒もない。
 様々な可能性が脳裏を過ぎる中、フェイルはそれを打ち消し、警戒心を
 前面に出しながら、西館の廊下を走った。
「フェイルさん、あの部屋!」
 背後からファルシオンが叫ぶ。
 それと同時に、フェイルは一室だけ扉が開いている部屋を視界に納めた。
「結界を!」
「はい!」
 ファルシオンが、指輪を光らせる。
 魔術士としての準備。
 そして、暫時の後、フェイルとファルシオンの体が薄い霧のような光で包まれた。
 移動している人間に対して張る事の出来る結界【霧状結界】。
 ただ、余り効果は高くない。
 魔術に対してはある程度抵抗力があるが、思い切り剣を振り下ろされれば、
 その勢いを完全には消せず、負傷する可能性が高い。
 それでも、何もしないよりは遥かに安全だが――――その結界の効力を
 試す機会は、訪れなかった。
 部屋に入ったフェイルが最初に目にしたのは、息を切らしたリオグランテと
 フランベルジュ。
 そして、次に視界に収まったのは、床に倒れた、二名の黒ずくめの人間。
 最後に――――まるで昼下がりに紅茶を堪能している紳士のような面持ちで、
 血液の付着した剣を拭う、カバジェロの姿だった。
「申し訳ない。驚かれただろう」
 カバジェロは、落ち着き払った声でそう告げる。
 リオグランテとファルシオンは、緊張を解かないままに対峙していた。
「……見越していた、って事? この事態を」
 唯一、事態を把握していないフランベルジュがポツリと呟く。
 彼女だけが、この屋敷にあると言う宝の存在も、トレジャーハンターの事も
 知らされてはいない。
「そう。珍しい事ではないんでね……ただ、貴殿達を試す必要があったので、
 敢えて黙っていた」
「……どう言う事?」
 カバジェロの言葉に対してか、或いは風邪に対してか――――頭を抱えるフランベルジュに
 カバジェロは真剣な表情でフランベルジュを見た。
「貴殿達が本当に勇者一行かどうか。その見極めをした。呪いの人形の件では
 余りそれが出来なかったものでな。だから、おめおめと見過ごしてしまった」
 その言葉を終えた瞬間。
 カバジェロの身体が、隆起した。
 劇的な変化ではない。
 警邏に使用する制服が、微かに動いた程度。
 だが――――その変化は、勇者一行に全く異質の緊張感を有させるには十分だった。
「しかし、どうやら自分に運命は味方した。いや、これこそが天命か……
 この場にいる事こそが、自分にとっての天命。騎士として生まれ、騎士として
 生きてきた自分の、果たすべき責務」
 カバジェロは、剣を拭い真っ赤になった布を、背後へと放り投げる。
 それは――――合図だった。
「勇者候補リオグランテ。或いは、剣士フランベルジュ。自分と立ち合え。
 貴殿らに拒否権は、ない」
 刹那。
 膨大な敵意が、屋敷の一室を包み込んだ。






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