翌日――――見事なまでに、空は晴れ上がっていた。
「くしょん! うー……行ってらっしゃい」
 その空の下、同じように青い顔色で、フランベルジュは他の三人を見送るべく
 屋敷の玄関口で震えながら立っていた。
 薬草の服用も空しく、完全に風邪を引いたらしい。
 とは言え、そもそも薬草に劇的な回復効果、予防効果はない。
 どんな薬草士が処方した薬でも、悪化している体調をいきなり良好な状態に戻す事は
 出来ないというのが実情だ。
 この場に立っていられる程度の症状に抑えただけでも、それなりに価値のある
 薬だったのだが――――余りフランベルジュをはじめ、勇者一行にその価値は伝わって
 いなかったらしく、フェイルは割と肩身の狭い思いをしながらその見送りに背を向けた。
「では、行きましょうか」
 澄み切った空を綿のような雲が泳ぐ中、ファルシオンを先頭に、マンドレイクの
 調査が開始される。
 行き先は、かつてそのマンドレイクがあった家。
 その近くで捨てたらしい。
「で、捨てた場所は正確に覚えてるの?」
「……あはははは」
 フェイルの問いに、リオグランテは乾いた声で笑う。
 尤も、当時は価値のある物と言う認識がなかったのだから、それを捨てた場所を
 覚えていなくても、それは責められない。
 記憶とは、印象の薄い物から順に削除されていくものだ。
「正確とは行きませが、ある程度の目星は付いています。では、そこに着くまでに
 当時の消化イベントについて、詳しく説明しておきましょう」
「あんまり消化イベントってのも良い表現じゃないと思うんだけどね……ま、聞くよ。
 捜す時の参考になるかもしれないし」
 フェイルは嘆息しつつ、ファルシオンの解説に耳を寄せた。
 勇者(候補)一向が、エチェベリア国王ヴァジーハ8世の命を受け、
 隣国デ・ラ・ペーニャに親書を届けにいく旅に出たのは、今から二ヶ月ほど前だと言う。
 そして、その旅を開始して二週間後に、このアルテタに辿り着いた。
 その時、既にこの街では『町長の家が呪われた』と言う噂が立っており、
 実際に勇者達が行ってみると、そこは幻が支配する家となっていた――――と言うのが、
 序盤のあらすじらしい。
「マンドレイクの幻覚効果は、無臭に近い臭いが強烈に脳を刺激するって言う点に
 おいて、他の幻覚系の薬草とは大きく違う。僕が持ってるそう言う効果のある薬草は、
 磨り潰して数日容器に入れて臭いを閉じ込めて、それを発散させるくらいしないと
 効果が出ないんだけど、マンドレイクはそこにあるだけで、しかも殆どその予兆を
 臭いで感じさせない程の微香で、強力な幻覚作用を生むんだ」
「私達もあえなく、その幻覚作用でパニックに陥りました」
「僕はフランベルジュさんが鬼みたいな顔になる幻覚を見て、逃げ出したんですよね……」
 それはきっと心の中で抱いているイメージが具現化しちゃった結果だ、とフェイルは
 補足しようとしたが、後々面倒な事になりそうなので控える事にした。
「その後は色々ありましたけど、どうにか原因を突き止めて、呪いの人形、つまり
 マンドレイクを回収して、事なきを得たんですが……」
 その説明の途中、ファルシオンは立ち止まる。
 その直ぐ先には、広大な野原があった。
 ファルシオンの背丈より高く伸びた野草も多い。
 全く整地されていない、荒れた空間。
 ヴァレロンでは殆ど見かける事はないが、こう言った土地は街中であっても
 然程珍しくはなく、アルテタも例外ではなかった。
 ただ、流石にそう言った土地は、所有権を持つ者がいない、或いは
 半ば放棄した状態の、いわば遊んでいる状態の場所。
 にも拘らず――――そんな荒れ放題の野原に囲まれた中心に、町長宅はあった。
「……どう言う事?」
 通常、街の長を務めるような人間は、その界隈でも特に大きな家に住む事が殆ど。
 このような土地の中に家があること自体珍しいのに、そこに家を構えているのが
 町長となると、世界的にも余り類を見ない事例と言えるだろう。
「元々は、この辺りは住宅地だったそうです。でも、商業施設が少し遠くに集中して
 建てられてしまって、民家も徐々に移動して行き、取り壊され、結果的に町長の家だけが
 残ってしまったようですね」
 ファルシオンは野草を掻き分けながら、淡々と説明を続けた。
 周囲の家が消えていく中、それでもこの家を町長が離れられなかったのは――――
 その地下に、先祖代々から受け継いできた宝が眠っていたからだと言う。
 しかしその宝は、実は呪いの人形だった――――と言うのが、勇者一行の調べで
 判明した事実。
 その為、既に町長も引越しを行ったらしく、この野原の中央にある家は正しくは
『元』町長の家、らしい。
「でも、結局は町長さんのご先祖様が正しかった、って事になっちゃいましたね」
 リオグランテが自身の剣を振り回して道を作る中、フェイルは顎に手を置いて
 考え事をしていた。
「どうしました?」
「いや……それだったら、もしマンドレイクを見付けられても、所有権はその町長に
 あるんじゃないか、って思って」
「それなら大丈夫です。既に町長は呪いの人形の所有権を私達に譲渡していますから。
 仮に価値のある物だとわかっても、もう手元には置きたくないでしょう。
 その旨の事を言っていました。彼は静かに暮らしたいみたいです」
「静かに、か。それなら、確かに必要のない物かもね」
 徒労に終わる杞憂がなくなり、フェイルは安堵した。
 しかし――――町長の家に着くまでの距離が予想よりかなり長かった事もあり、
 その安堵も直ぐに消える。
 野原に足を踏み入れて、15分。
 ようやく『元』町長の家に辿り着いた。
「ここから、街の大通りに出るまでの間の何処かで、リオが投げ捨てた事は間違いありません」
「どの辺りで?」
「……」
 リオグランテが押し黙る。
 記憶を巡回させているようだ。
「た、多分ですけど、あの辺かな……もうちょっと歩いたかも」
 しかし、既に忘却の彼方にあるようだ。
「虱潰しに探すしかない、って事? この距離を? この野草の群れの中を?」
 フェイルの目には、慣れ親しんだ筈の野草がまるでそう言う形の悪魔のように映る。
 実際、とても一日や二日で捜索出来るような環境ではなかった。
「そこで、フェイルさんに質問があります。私達がここにマンドレイクを投げ捨てて、
 一月以上が経過していますけど、その間に野犬や蟻等に持っていかれた可能性はありますか?」
「……いや。ないと思う。マンドレイクには動物の食欲を刺激する成分は
 含まれていないんだ」
 人間以外の生き物が、マンドレイクに他の野草以上の価値を見出す事はない。
 よって、ファルシオンの懸念は一つ消える事になる。
「では、次の質問です。もしこの近くにマンドレイクが落ちていた場合、
 近付くと幻覚作用は発生しますか?」
「……いや。それもないね。これだけ野草が多いと、その臭いも混じるし、
 何より密閉されていない空間では、臭いはかなり拡散してしまうから」
 事実、家までの道のりを歩いて来たフェイル達は、幻覚を一切見ていない。
 もし、フェイルが逆の意見を唱えていたら、ここにはもうマンドレイクはないと言う
 証拠になってしまい、絶望的な展開が待っていただけに、ファルシオンは安堵の
 表情――――こそ浮かべていないが、小さく一つ頷いてみせた。
「では、まだここに残されている可能性は……」
「ある、だろうね。君達がここに『呪いの人形を投げ捨てた』って事を、誰かに
 言い触らしていない限りは」
 フェイルの言葉に、ファルシオンとリオグランテが同時に首を横に振る。
 フランベルジュも、恐らくは同じ。
 この荒地に、10万ユロー以上の価値のある宝物が眠っている可能性は、十分ある。
 とは言え、問題はその捜索方法。
 勇者一行も、フェイルも、そう何日も滞在している訳には行かない。
「何か、マンドレイクの性質について特徴的な事があれば、教えて下さい」
「特徴的? 幻覚効果や外見以外に?」
 その言葉に、ファルシオンがコクリと頷く。
 マンドレイクの特徴――――フェイルは文献の中の文章を記憶の中から
 探し、それを回想した。
「うーん……確か、春と秋に青い花が咲くんじゃなかったかな。後、根を切ると
 強力な毒素が出て来て、持っていた人の手を腐らせるとか言う伝説もあるけど、
 こっちは迷信の説が濃厚……」
「役に立ちそうな情報を」
「……って言ってもね。後はせいぜい、寒さに強いくらいしか」
「それです」
 フェイルの半ば匙を投げたような言葉に、ファルシオンは反応を示した。
 そして――――まるでオルガンを弾くように、両手を前に突き出す。
 適度に肘と手首を曲げ、リラックスしたような態勢。
 その右手の人差し指には、指輪が嵌められている。
 魔具。
 そう呼ばれる、魔術を施行する為の道具だ。
 ファルシオンは、ゆっくりと瞑目した。
 神経――――集中。
 すると、それを合図とするかのように、指輪が薄く輝き出す。
 同時に、ファルシオンの指が、波打つように動く。
 宙に文字を綴っていた。
 ルーン。
 魔術を発動させる為の文字。
 その文字が二つ、指輪によって綴られた。
 それが、始まり。
 ファルシオンの指がピタリと止まる。
 しかし、文字の羅列は止まらない。
 既に指は動いていないが、文字は自動的に綴られて行く。
 驚異的な速度で。
「魔術……?」
 フェイルの呟きが空中を伝う中――――文字は24つ並び立てられた。
 そして、消える。
 魔術は発動を許可された。

【氷海】

 ファルシオンを中心とし、周囲が一面、青い光に包まれていく。
 その後、徐々に地面が凍って行った。
 本来は、足場を凍らせて敵を足止めする魔術。
 しかし今しがたファルシオンが発動させたのは、当然ながらそれが目的ではない。
「ま、まさかマンドレイク以外の植物を凍らせて、枯れさせるとか?」
 フェイルは自分でそう唱えつつ、余りその行動には意味がない事を把握する。
 幾ら温度を下げても、植物が枯れるのには相応の時間が必要だ。
「いえ。違います」
 案の定、ファルシオンはそれを否定した。
「昨日の雨で、地面は緩んでいます。その水分を凍らせました。土と土の間に
 細かく付着した水分は、そのまま細かく凍ります。そうする事で、土の粘着性が
 弱くなり、パラパラな状態になります。そして……」
 半径10m程の範囲を凍らせた後、ファルシオンは別の魔術を綴った。

【風巻】

 緑魔術と呼ばれる、風を基調とした魔術の基礎と呼ばれるそれは、ただ単に
 上空に巻き上がる風を生み出すというもの。
 竜巻ほど強くはなく、人を持ち上げるほどの威力はない。
 ただし――――
「脆くなった土と、それによって地面との接合が弱くなった野草くらいなら、
 巻き上げる事が出来ます」
 ファルシオンの言葉通り、その風によって、範囲内の殆どの野草が上空へと舞い上がった。
「そっか! あのマンドレイクは、確か割と重かったですもんね!」
 リオグランテが驚いたように叫んだ通り、人形と呼ばれるほどに太い
 マンドレイクの根は重い。
 それを巻き上げない程の力を調整した風が、広大な野原の一部を荒らす。
 この【風巻】も、【氷海】も、規定通りに使用すれば、文字数はかなり少なくて済む。
 しかし、力加減を変えた場合、その威力が低下しているにも拘らず、必要文字数は
 かなり多くなってくる。
 それを使いこなす事は、そう簡単ではない。
「……」
 しかし、ファルシオンは特に苦悶を見せるでもなく、巻き上がる野草を眺めていた。
 これは、単純に魔術士としての技量の問題ではない。
 オートルーリング。
 予め魔具にその力加減の魔術を登録しておけば、確実にその力で出力できる。
 微妙な加減をしなくて済む。
 程なく――――風に乗った土が、ファルシオン達の頭上から落ちてきた。
「わっ、わっ、わ……あうっ!」
 リオグランテの脳天に、小さな氷の飛礫が落ちて来た。
「先に避難させといてよ」
「私だけこの惨状の被害にあうのは不本意なので」
 理不尽な理由ではあったが――――幸い、フェイルの頭に氷が当たる事はなかった。
 そして次に、野草が落ちてくる。
 その間、ファルシオンとフェイルはずっと地面を探索していた。
「この辺りにはなかったみたいですね。次はあっちを探しましょう」
「魔力は持つ? これだけの範囲を指定するのって、結構魔力使うんじゃない?」
「大丈夫です」
 フェイルは、余り魔術には詳しくはない。
 敵対する相手として、魔術士は想定していないからだ。
「オートルーリングは、同程度の魔術を使用する場合でも、制御に使用するエネルギーを
 最小限に抑えられるので、魔力消費を抑える効果もあるんです。だから、問題ありません」
 だから、オートルーリングと言うものがどう言う技術なのかは余りよく理解していなかったが、
 ファルシオンのその言葉でメリットを一つ知る事が出来た。
「へえ、便利な技術なんだなあ。半自動的に魔術が支えて、消費魔力も抑えられる。
 この技術を開発した人は、凄い人だったんだろうね」
 そんな素直な感想に対し――――
「フェイルさん、今とても良い事を言いました」
 驚いた事に。
 ファルシオンは、これまで決して見せなかった笑顔を見せた。
 それも、目を爛々とさせた。
 あまりの事に、フェイルは思わず目を擦った。
 が、視界に変化はない。
「オートルーリングの技術は魔術士において歴史的な出来事であると共に拠点となりました。
 魔術における最大の弱点であった施行までの時間の長さがほぼ完全になくなり改善され
 魔術の有効性が飛躍的に増しただけでなく魔力の消費が抑えられる事で一人ひとりの持続性まで
 改善される事になりそれは魔術士が戦闘時において弱点とされていた部分を殆ど解決するに
 到ったばかりか魔具を全体的に取り替える必要が出て来たことでデ・ラ・ペーニャ国内と国外から
 経済の流れにも多大な貢献をした技術なんです。オートルーリングの確立は魔術士がこれまで
 騎士や近距離戦を得意とする戦士の保護の下でしか戦えないと言う点を改善する事に成功し
 魔術士の地位を引き上げる事にも成功してそれが結果的に魔術士の価値を全体的に押し上げる事にも
 貢献した事から非常に高い評価を得てそればかりか一個の研究としての価値も高くてこれまでは
 どうしても無難な研究ばかりを行っていて発展性と言う点で閉塞感すら漂っていた状況を打破する事も
 実現すると言う非常に優れた実績を残して……」
「わかった! わかりました! もう十分凄さはわかったから、次、ほら早く次を探そうよ、ね」
「……まだ触りのところすら言い切っていませんけど」
「良いから!」
 次々に湧いてくる言葉の羅列は、或いはオートルーリングの編綴以上にスピーディーだった。
 ファルシオン=レブロフの意外な一面。
 何処か病的な程に、オートルーリングの創始者を崇拝している事が、これ以上ない程に伝わってきた。
「わかりました。不本意ですが、続けましょう」
「当初の目的だけは見失わないようにしようね……」
「う、うーん……あれ?」
 気絶していたリオグランテがむっくりと起き上がる中、ファルシオンの魔術によるマンドレイク捜索は
 青空の下、再開された。




 

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