雨音が遠くに聞こえる中、フェイルは応接間の隅で一人ローズヒップの実を丁寧に
 すり潰しながら、中央のテーブルに視線を向けた。
 ここは――――アルテタの中央に位置する巨大な屋敷。
 それも、つい最近建てられたと思しき新しい建築物だ。
 アニスやビューグラスの住むシュロスベリー家と比べ、大きさでは一歩譲るものの、
 その高級感溢れる外装は、より高い価値を推測させるに十分のものだった。
「この屋敷は自分の所有ではない。とある有力者の別荘の一つでね。自由に使って良い
 と言う許可を得ているので、雨宿りに利用させて貰った」
 応接間の下座に座る青年は、正面のリオグランテと、その左右に位置する
 ファルシオン、フランベルジュを同時に視界に納めながら、自身の立ち位置を述べている。
 フェイルにとっては初見のその青年だったが、勇者一行は以前会っていたらしく、
 顔見知りと言う様子は伺えた。
 しかし、余り親しい雰囲気はない。
 寧ろ、リオグランテ以外の二名には、先程襲撃された際とは質が違うものの、警戒感、
 あるいは緊張感と言った空気が漂っている。
 それを察してか、青年は微かに破顔し、身を竦ませた。
「先程の連中は、この街でも特に素行の悪い賞金稼ぎだ。警吏の自分も少々手を
 拱いていたところだったから、取り締まる良い口実を得て助かった。感謝致す。
 この屋敷は長居しないのであれば、自由に使ってくれて構わない。礼と思って欲しい」
 礼――――つまり、勇者一行の再訪を知った賞金稼ぎを返り討ちにした報酬が、
 この高級な屋敷での滞在許可、と言う事だ。
「何か聞きたい事は?」
「私達がこの街を去ってから、人形のような物が拾得物として届けられませんでしたか?
 或いは、警吏が回収したと言う話はありませんでしたか?」
 ファルシオンの問いに、青年は静かに首を横に振る。
「心当たりはない……が、自分の知る範囲外でそう言った物が届いている可能性もある。
 調べてこよう。暫くはこの屋敷に留まると良い」
 余り多くは語らず、青年は説明を終えると同時に席を立った。
 屋敷への滞留を念押ししたのは、勇者一行の現状、要するに宿が確保出来ずに
 困っている状況を把握していると言う可能性が高い――――とフェイルは読んだ。
 尤も、それが高度な推測によるものか、襲撃した賞金首同様、勇者お断りの札を
 掲げた宿から情報を得た事による知識なのか、それは定かではない。
 あの場にあのタイミングで現れた事を考えると後者の可能性が高いのだが、
 青年は自分の身分を『警吏』と発言した。
 警吏とは、街の安全と治安を守る存在。
 一般人自らが結成する自警団とは違い、警吏は国が運営している組織の人間だ。
 何か街中で揉め事があれば、まず警吏に話が行く。
 偶々詰め所が近くにあった可能性もある。
 現時点では、どちらかに確定する程の材料はなかった。
「……」
 そんな事を考えていたフェイルの傍に、青年が歩み寄る。
 テーブルから扉の直線上にはない位置にいるフェイルに近付いたと言う事は、
 何か用事があると言う事だが――――
「お初にお目に掛かる。自分はカバジェロ=トマーシュ。この街の警吏に殉じている。
 何か不自由を感じる事があったら、自分に遠慮なく言って欲しい。出来る限りの事はする」
 結局、只の自己紹介に終始し、そのまま扉の奥へと消えて行った。
「……はー」
 それを見計らうように、フランベルジュが大きく息を吐く。
「あいつが話してるの見ると、何か気疲れするのよね。堅苦しいって言うか……」
「でも、良い人ですよ。こうやって、雨の凌げる所を只で案内してくれましたし」
 一方、堅い空気が苦手そうなリオグランテは特に疲労の様子はなく、割と珍しい
 窓ガラスに視線を向けて笑顔を覗かせていた。
「今の自己紹介の通り、彼はこの街の警吏です。以前ここに来た際に色々と関わりを
 持ってしまった経緯があるんです。まさか今回も出会う事になるとは思いませんでしたが」
「不本意にも、って言い方だね。親切にして貰った割に」
「否定はしません。理由はフランと同じです」
 一緒にいて気疲れする人間――――意外にも、ファルシオンもそう言うタイプが苦手らしい。
 得意な人間も余りいないだろうが。
「それに、誤解を恐れずに言えば、警吏と言う存在自体が余り信用出来ません」
「王様から勅命を受けてる勇者一行の科白とは思えないけど……」
「それ程長い期間じゃないけど、それなりに旅をしてると、悪い噂が嫌でも耳に入って
 くるのよ。警吏のね。権力を振りかざして市民から搾取したり、裏で悪党と組んで
 甘い汁吸ったり……やりたい放題みたいよ」
 フランベルジュの補足は、不快感ばかりが前面に出ていた。
 ただ、それは内容によるものばかりではない。
 フェイルはそれを察知し、そろそろ出来上がった『それ』を木紙に乗せる。
 羊皮紙は高いので、普段は木を薄くスライスした木紙を使っているのだが、その
 主な用途と言うのは――――
「はい、これを飲んで。風邪のひき始めには良く効くから。人差し指の第一関節に
 乗るくらいの量を、一日三回。食後が一番消化がいいかな」
 薬草の包装。
 突然それを差し出されたフランベルジュは暫くキョトンとしていたが、
 次第に理解したかのように表情を和らげた。
「そう言えば、薬草士だったっけ。すっかり忘れてたけど」
「要らないなら返して」
「冗談よ。ありがたく飲ませて貰う」
 素直にではなかったが、受け取り、直ぐに言われた量を飲む。
「……苦」
「普通は水で流し込むんだけどね」
「最初に言いなさいよ! ったく……」
 と怒鳴りつつも、それくらいは常識だと言う事も理解していたらしく、
 フランベルジュは赤面しながらファルシオンから水筒を受け取っていた。
「これからどうします? この雨じゃ、流石に探せませんよね。マントドラゴン」
「マンドレイク、もしくはマンドラゴラね。そんなドラゴンがいたら見てみたいけど……
 ま、宿泊費も浮いた事だし、雨が止むのを待って探した方が良いんじゃない?
 さっきの警吏の人の回答待ちって所もあるし。って言うか、これだけ世話になってる相手に
 気疲れするから気に入らないって、外道だよね、考え方が」
「ですよねえ。僕もそう思います」
 男二人の珍しい意気投合に対し、女性二名は両者とも明後日の方向を眺めていた。


 雨は降り続ける。
 時折、弾くように。
 時折、吸い込むように。
 音は跳ね、そしてまた墜ちる。
 その様相は、日常でありながら、どこか幻想を揺り起こすような響きを含んでいた。
 そして――――


「ここにおられたか。フェイル=ノート殿」
 一つの雨粒が砕けたような音を聞き、フェイルは作業を中断し、静かに振り返った。
 雨雲の影響もあり、光が差し込む隙間のない応接間は、ランプの光が普段以上に
 強調され、床の色をより濃く見せている。
 その床を踏みしめるように、カバジェロ=トマーシュは明かりを掲げながら
 仁王立ちしていた。
「……自己紹介しましたっけ?」
「いや。しかし、貴殿の名は知っている。自分はこの職に就く前、王宮騎士団【銀朱】
 に所属していたからな」
 音が消える。
 そこにあるのは、決して届かない雨の雫のみ。
 フェイルには決して届かない筈の。
「宮廷弓兵団の最年少所属記録を塗り替えた有名人。そして、噂では【銀朱】副師団長の
 デュランダル=カレイラと繋がりがあった、とも言われていた。あの決して他者と
 深く関わらない、孤高の天才剣士と……知らぬ筈がない。その顔も、何度も見たよ。何度も」
 カバジェロは感情を込めず、淡々と告げている。
 フェイルはそれが作為的なものと直感的に判断した。
「勇者一行にあのフェイル=ノートが加わっていた事は驚きだが……何よりまず、
 お逢い出来て光栄だ」
「そう言って貰えるのは、素直にありがたいですけど……生憎、僕は勇者一行って
 訳じゃありませんよ。偶々、巻き込まれる形でここに来た。それだけです」
 その言葉は紛れもない事実だったが――――カバジェロには届いていないらしい。
 雨はどれだけ降ろうと、屋敷の中には入ってこれない。
 不可侵の領域。
 それは、この世の至る場所に存在している。
「宮廷弓兵団の貴殿が勇者と共にある。それは貴殿のどんな言葉よりも説得力を
 有していると判断する」
「でも、その認識も誤りですよ。僕は宮廷弓兵じゃありませんから。元、と付くのなら
 否定はしませんけどね。ただし肯定も出来ない」
 その領域を、カバジェロはフェイルの発言で理解した。
 そして同時に、先程の言葉が真実だと言う事も悟る。
 宮廷弓兵団は、【銀朱】と並び立つまではいかないものの、王国エチェベリアにおいて
 重責を担う存在であり、その最年少所属者が離脱した場合、一切の情報が遮断される。
 理由は二つ。
 ある種のプロパガンダとしての要素も多分にあったその人間が辞めたとなれば、
 求心力が低下する事は避けられないから。
 そしてもう一つ。
 機密漏洩に繋がるから。
「つまり、貴殿には常に監視が付いている――――」
「ええ。僕が余計な事を話さないように、ではなくて、話した時にそれを直ぐに
 抹消する、もしくは軌道修正する事が出来るように」
 例えどんな監視を付けても、その対象者の発言までは制御出来ない。
 だが、発言された言葉を無効化する手段は、幾らでもある。
 その為の監視。
 それが自分に付いている事は確信していた。
 ただ、フェイル自身、それが誰と言う心当たりはない。
 探ろうともしていなかった。
 それが無意味な行動だと確信しているから。
「成程。つまり、貴殿は栄誉ある最年少の宮廷弓兵を何らかの理由で辞め、今は
 勇者一行に巻き込まれる形で行動を共にしている、と。そう言う事なのか」
「ええ。そう言う事です」
「では、今は一体何をして生計を立てている?」
 疑心暗鬼――――それは、暗い場所に現れる。
 カバジェロの目を見る事なく、フェイルは作業を再開しながら、軽妙に告げた。
「薬草士です。今作っているのも、薬の一種ですよ。尤も、毒って言った方が
 正しいのかもしれませんけど、ね」
 フェイルは敢えて、それを言葉にした。
 自身を知る、この男。
 その素性がまだ定かではない。
 元騎士団、現警吏。
 そこまでわかっていても、まだ警戒の必要は多分にあった。
 敵か、味方か――――ではなく、害を成す者か、否か。
 それが明らかにならない限り、自分の過去を知るこの男は、フェイルにとっては
 紛れもなく要注意人物だ。
「成程。警戒を促す為に敢えて攻撃性のある発言を」
 そして、カバジェロは瞬時にそれを理解した。
「その意図は十分に理解る。貴殿の立場は極めて危険だ。貴殿は自身の過去を語る事は
 出来ない。それは即ち、王宮弓兵団、そして国そのものの求心力の低下に繋がる。
 恐らく、弓兵団を去る際に契約した筈だ。自分も、そうだった」
 その理解の早さの背景には、自身の経験も含まれていた――――そう主張し、
 同時に自嘲の笑みを浮かべる。
「尤も、自分は負傷が災いし、ほぼ解雇と言う不本意な形だったが。それでも
 辞任の際には幾つもの契約事項を宣言させられたものだ」
「そうでしたか」
 カバジェロの話に余り関心を持たなかったフェイルは、適当に返事をしながら
 薬草の練り込みを行っていた。
 その様子に、元騎士団の青年は微かに瞼を下げる。
「貴殿が自身の過去を勇者達に話していないのであれば――――
 それはやはりそのまま話すべきではない。それが国に使えていた者の最後の勤めなのだから。
 無論、自分がこの件に関して彼等に何かを話す事はない。騎士の名に賭けて誓おう」
「助かります。カバジェロさん、貴方が勇者一行に親切な理由は、何ですか?」
 敢えて自分に『元』と言う冠を乗せなかった、その男に対し――――フェイルは
 初めて視線を合わせた。
 少し垂れ下がった目は、どこか夜の衣以上の深淵を含んでいるように見える。
「無論、国の為、国王の為だ。国が育てようとしている勇者を助けるのは、
 騎士ならば当然の事。それ以外に何か理由が必要かな?」
「例えば、再起の踏み台にしようと考えている、とか」
 その黒い炎を覗きながら、フェイルは少し低い声で告げた。
「それは……どう言う意味かな?」
「そのままの意味ですよ、カバジェロさん。貴方があの場に駆けつけるのが、
 少々早すぎた。ずっとその事が引っかかっているんです」
「成程。確かに懸念材料としては納得出来るものだ。だがそれは杞憂だ。自分は
 この街において独自の情報網を築いている。賞金稼ぎが貴殿等の居場所を掴んだ頃には、
 自分も既に把握済みだった。それだけの事だ」
 フェイルは、その言葉に対して――――笑顔だけを返した。
 ならば逆に遅過ぎた――――その言葉を飲み込んで。
「そうでしたか。では本当に杞憂だったみたいです。疑うような事を言って、申し訳ありません」
「気に留めないで頂こう。誰にでも早合点や先入観はある。しかしそれは悪ではない。
 悪でない以上、責める気持ちは微塵もない。それが騎士道というもの。その洞察力に
 寧ろ感心した次第だ」
 饒舌だった。
 その様子を確認し、フェイルは視線を外す。
「ありがとうございます。そう言えば、人形の件ですが……」
「残念ながら、詰め所にもなかった。力になれず申し訳なかったが、今後も捜索を
 続けるのであれば、協力は惜しまないつもりだ」
「……ありがとうございます」
「では、部屋に戻る時は明かりを消して頂けるとありがたい。良い夢を」
 フェイルの言葉に満足げに頷き、踵を返し――――そこで立ち止まる。
「そう言えば……先の賞金稼ぎ襲撃の件で一つ、妙な事があった事を思い出した。
 剣士フランベルジュに伸された三名、魔術士ファルシオンに伸された一名とは
 かなり離れた場所で、一人気絶していた者がいたそうだ。ちなみに、自分は
 その男をずっとマークしていた。この街でも指折りの賞金稼ぎでね。
 特に、徒党を組む連中の影から暗殺業を施行する事を得手とする、非常に
 厄介極まりない人物だったが、あっけなく捕まえる事が出来た。有難う」
 斯くして――――カバジェロは応接間の扉を閉じた。
 勇者一行が捜索している『人形』の詳細を聞きもせず。
 この街で騒動を起こした原因となった『呪いの人形』との関連性を尋ねもせずに。
 ただ、礼だけを残して。
(警吏……か)
 その勤めについての疑問を胸に、フェイルは薬作りを再開した。
 雨音が、急激に小さくなっていく事を感じながら。





 

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