ヴァレロン・サントラル医院は、巨大な外壁に囲まれていた。
 それはまるで、他国の敵から王族を守る為の城のように、雄大で、
 何処か下品でもある。
 実際、その壁は別に外敵から中の医師や患者を守る為、ではない。
 重病患者が無闇に外に出歩かない為――――と言うのが、表向きの理由だ。
 特に、伝染病を患った患者の場合、隔離する必要がある。
 その為の壁。
 乗り越えられない壁だ。
 ただ、実際問題として――――この病院へ赴く病人が隔離されるメリットは
 社会的には全くない。
 何故なら、この病院の利用者であるところの貴族や要人が感染する伝染病が
 あるとしたら、既にその伝染病は国の殆どの一般人が既に感染しているからだ。
 金持ちのいる所まで病気が届くと言う事は、その前にまず食べ物や公共浴場等で
 一般市民に届いていると言う事。
 つまり、このヴァレロン・サントラル医院には伝染病の予防対策は必要ない、
 と言う事だ。
 では、実際の目的は何なのかと言うと――――この病院と周囲の街との
 乖離に他ならない。
 立地こそ、エチェベリアの都市の一つであるヴァレロンに属しているものの、
 実際にはこの病院はある種の独立国家だった。
 勿論、治外法権が認められている訳ではないし、この病院内部だけエチェベリアとは
 異なる国と言う認定がなされていると言う訳ではない。
 ただ、貴族や要人が利用するこの病院は、特別でなければならない。
 それが、壁の理由だ。
 周囲の街並とは違うのだ、と上から宜う事が、その高壁の存在理由に他ならない。
「……嫌な威圧感ね」
 それを感覚的に察したフランベルジュは、顔をしかめて眼前にそびえる壁を
 じっと眺めていた。
 その隣では、リオグランテが口を開けたまま壁の高さを目算している。
「で、ここまで来たのは良いけど……どうするの?」
 その二人の様子に不安を覚えつつ、フェイルは隣のファルシオンに白い視線を
 投げかけていた。
 言われるがままに付いて来てはみたものの、未だに具体案の提示はない。
 一見、利発そうに見えるこの魔術士が何を考えているのか、全く
 読めていなかった。
「このヴァレロン・サントラル医院は、高貴な身分の人達しか利用出来ないし、
 そう言う身分の人達からの紹介がないと、入る事も出来ない。つまり、
 僕達にはその手段がないって……わかってる?」
「ええ。この街の事についてはある程度調べています。主要な施設に関しては
 全て記録してあります。ここに」
 淡々とそう述べながら、ファルシオンは手持ちの蝋板を見せてくる。
 確かに、そこには細々と街の地図と施設が書き込まれており、施設毎に
 薄い木板を張って、そこにト書きを記していた。
「じゃ、どうやって入るのか、そろそろその方法を教えてよ。誰か権力者の
 アテでもあるの?」
 数日前までなら、或いはビューグラス=シュロスベリーを頼る事で紹介状を
 入手出来たかもしれないが、現状ではそれは叶わない。
 つまり、勇者一行独自の繋がりが頼りと言う事になるのだが――――
「勿論。私達の誇る勇者、リオグランテをおいて他にはいません」
 ファルシオンは堂々と、そう宣言した。
 つまり、リオグランテをヴァレロン・サントラル医院への入館にふさわしい
 身分の人間である、と目していると言う事だ。
「……本気で言ってるの? 色々な意味でマズい気がするんだけど」
 フェイルの表情は晴れない。
 それは当然の事だった。
 何しろ、この勇者一行はあくまでも『候補』。
 仮に、勇者として病院内に招かれる事に成功しても、その事がバレたら
 詐称と言う事になりかねない。
 そうなれば、勇者一行だけでなく、加担した形になるフェイルにも被害が及ぶ。
 寧ろ、今後街を出て行く勇者一行より、フェイルへの非難が強くなりかねない。
 加えて、リオグランテが病院内へ入れる保証もない。
 国王直々の身分証明こそあっても、それが『貴き身分』と言う証明に
 なるかと言うと、微妙なところだ。
 通常、勇者と言う称号を得た人間なら、まずどんな施設であっても
 利用出来ないと言う事はない。
 だが、普通はまず疑う。
 幾ら証明書を提出しても、まだ殆ど実績らしい実績のない勇者一行を
 簡単に中に通すほど、ヴァレロン・サントラル医院の警戒網は薄っぺらくは
 ないだろう。
 確認を取るまで数日、或いは数十日を必要とする可能性が高い。
「あのね、ここであーだこーだ言ってても仕方ないでしょ?
 まずは行動。その後に色々考えればいいのよ」
 そんなフェイルの懸念を、フランベルジュは見事に軽視し切った。
「そんな訳には行かないよ。主にそのリスクの向き先は僕じゃないか」
「どの道、このままだったらアンタの薬草店は閉店でしょ?
 だったら、イチかバチか、私達がこの街にいる間に私達の事を利用して
 逆転を狙うしかないんじゃない?」
 辛辣――――しかし、事実。
 その主な原因となった本人から言われるのは腹立たしい事この上ないが、
 フェイルは思わず口を噤んでしまった。
「ったく、誰の所為でそこまで追い詰められたと……」
「ですから、その償いも兼ねての今回の妙案です。リオ、行きましょう」
「はーい」
 まるで引率者と子供のような構図で、ファルシオンとリオグランテは
 制止を訴えるフェイルを尻目に、病院の門へ赴いた。
 巨大な壁に囲まれているだけあり、門構えもかなり立派。
 壮観とさえ言えるその巨大な門の直ぐ傍には、門番と思しき男が1人いた。
「本当に城みたいね……」
「そりゃ、病院だからね。診療所や施療院とは訳が違うよ」
 感心するフランベルジュを追いかけながら、フェイルは諦観じみた嘆息を
 2つほど落とす。
 実際問題として、ファルシオンの行動は表面上の拒否反応ほどは
 嫌がっていないと言うのが、フェイルの本音だった。
 まず上手くはいかないであろうこの活動だが、形にする事で得られる
 メリットもその実確かに存在する。
 それは、『勇者一行を名乗る妙な人物達が薬草店【ノート】で働いている』
 と言う事が、公になる点だ。
 もし本当に勇者一行だと言う事がレカルテ商店街の面々にバレれば、
 妬みや嫉みで酷い目に合わされる可能性が高い。
 だが、今回の試みを失敗すれば、リオグランテ達は『勇者一行を名乗る不審な一行』
 と言う認識がなされる。
 そうなれば、周囲から白い目で見られるどころか、同情されるかもしれない。
 あわよくば、そんな偽者臭い連中を見に客が押し寄せるかもしれない。
 そう言う目算があった為、フェイルは余り積極的には制止しなかった。
「勇者一行だと? 確かにこの街を訪れると言う話は出ていたが……」
 案の定、門番は半信半疑でリオグランテの自己申告を聞いていた。
 ただ、その場で直ぐにあしらうと言う、文字通りの門前払いにはなっていない。
「では、責任者の方に合わせて頂けますか? 直接その方と交渉をしたいので」
 リオグランテの隣で、ファルシオンは堂々と訴えかけていた。
 その態度は、確かに本物の勇者一行のように見える。
 一方で、傍目で見ると勇者一行と言うよりは、子供の『勇者ごっこ』にも見える。
 門番は熟考していた。
 もし、門番が2人だったならば、門前払いだったかもしれない。
 人間の心理として、2人いる場合は万が一の際の責任が分散する事もあって、
 決断が早い。
 しかし1人だと、そう言う訳にはいかない。
 保身が判断を遅らせ、そしてその矛先はより責任を負える人間へ向けられる。
「……わかった。少し待っていてくれ」
 その結果、責任者へのコンタクトに成功した。
 そして、5分後――――
「全員、入館を許可する。ただし、案内に従い移動するように」
 なんと、院内への移動許可があっさりと下りた。
 これには、フェイルも驚きを隠せない。
「……入れてしまいました」
 案を出した当の本人であるファルシオンすら、そんな事を思わず
 言ってしまうくらい、意外な展開だった。
「たかが医療施設に入れたくらいで驚いてても仕方ないでしょ。
 大事なのはここからなんだから」
 その意味をよく理解していないらしいフランベルジュが呆れ気味に
 呟く中、リオグランテは無邪気に病院の建築物そのものに見入っていた。
「では、私ファオ=リレーが院長室へご案内致します。どうぞこちらへ」
 そして、門番と共に現れた案内係のファオの誘導に従い、
 院内へと足を運ぶ。
 まるで神殿のような外見同様、内部も医療施設とは思えない、
 寧ろ美術館と言った方が正解に近いような、様々な芸術品で
 彩られた空間が続く。
 入り口の周囲は濃紫色の花を植えた花壇が埋め尽くしており、
 内部のエントランスには蛇をモチーフとした絵画や彫刻が
 至る所に飾られていた。
「あの花は……デュランタ?」
 フェイルの言葉に、ファオはにっこりと微笑みながら頷く。
「博識でいらっしゃいますね。その通りです。花言葉は『歓迎』。
 このヴァレロン・サントラル医院を訪れる全ての方を、私達は
 歓迎しています。そして、あの蛇は『再生』の象徴。この病院を
 訪れた方々の再生を、この著名な芸術品の数々が象徴しています」
 蛇と言うと、その毒々しい外見と実際に有している毒のイメージから
 恐怖の象徴のように思われがちだが、実際には『脱皮』と言う習性の為に
 再生の象徴として扱われる事も多い。
 ただ、やはり外見の印象はそうそう拭えるものではなく、リオグランテは
 複数の蛇が一本の棒に絡まる様を表現した彫刻に身震いしていた。
「こちらへ。直ぐです」
 そんな中でも案内は円滑に行われ、エントランスの奥に向かった一行は
 程なくして目的地へ着いた。
 当然、そこは院長室。
 薬草店【ノート】との提携を交渉する為には、病院の最高責任者と
 顔を合わせる必要がある。
「……この後の事、ちゃんと考えてる……んだよね?」
 ファオが扉をノックする間、フェイルはファルシオンに近付き、
 恐る恐る展望の確認を行った。
 実際、薬草店【ノート】にこの巨大な病院との平等な関係を築くだけの
 優良な材料は、何もない。
 そこは発案者の妙案に頼るしかない。
「嘘臭くならないよう、話を合わせて下さい」
 極めて小さい声で、ファルシオンはそう呟いた。
 既に賽は投げられている。
 フェイルは急勾配の渓流で溺れている自分の姿をなんとなく思い浮かべつつ、
 促されるままに院長室へと入室した。
 すると――――そこには、2人の人間がいた。
 1人は、室内の奥にある席に座している、この病院の院長と思しき男。
 そして、その前に立っているもう1人は――――
「……あれ?」
 フェイルが以前アランテス教会ヴァレロン支部で見かけた、白衣の男だった。
 たった数秒の接点だったが、白衣と言う珍しい特徴、そしてこの日の彼も
 同じ服装だった事から、想起するのは容易かった。
「おや、君は確か……ああ、あの時の」
 そして、その男もまた、フェイルの事を覚えていた。
 それと同時に、フェイルは思案する。
 そして、言うべき台詞を決めた。
「その節はどうも」
 敢えて、『教会』と言う言葉を使わない事。
 重要なのはそこだった。
 白衣の男自身が、その事実を濁したように思えたからだ。
「ああ。こちらこそ」
 無難な返答の中にも、何処か満足げな表情が伺える。
 その様子を見守りつつ、フェイルは本命であるところの院長へと視線を向けた。
 ヴァレロン・サントラル医院を統べる、グロリア=プライマル。
 既に60を超える年齢でありながら、その足腰には一切の衰えは見られない。
 眼光の鋭さもさる事ながら、その輝きは歳を重ねる毎に増している、とすら
 言われる、ヴァレロンにおいて薬草の権威ビューグラス=シュロスベリーと並ぶ
 大物中の大物だ。
「さて。君達をここに招いたのは、他でもない」
 まだ張りのある声で、老人は空間の支配権を主張した。
 無論、その存在感に敢えて抗う者はいない。
 リオグランテすら、神妙な顔でその発言を待っていた。
「勇者一行と言うその言、偽りはないかね」
「はい。ここに国王様の証明書があります」
 まるで儀式のように、定型化した動きでファルシオンが漆塗りのケースを
 荷物入れの中から取り出す。
「ふむ……もう仕舞っても構わんよ」
 そのケースを一瞥し、グロリアは中身を確認するまでもなく判断を下したようだ。
 無論、これだけで偽物と判断する事が出来る筈もない。
 下されたのは――――
「君達が勇者一行かどうかは私にはわかりかねるが、国王様の命を受けている事は
 理解した。そのケースの漆は他国からの貢物だからな」
 安堵の息。
 フェイルは口元を軽く引き締め、同時に全身への弛緩を促した。
「それで、国王の命を負いし者達が、この病院へどのような用件かな?
 この場にいる者達の中に、治療を必要とする者はいそうにないが」
「はい。このヴァレロン・サントラル医院の実績と品格に甘えたく、
 馳せ参じた次第です」
 ファルシオンはそこで深々と頭を垂れた。
 そして、再び上げたその時には、今まで殆ど変化を見せなかったその表情に
 今までなかった色を加えていた。
 それは――――鋭さ。
「私達はこれから、隣国のデ・ラ・ペーニャへ赴きます。その際に、親交の証として
 繁栄を象徴する物を用意する事になっています」
「ほう。繁栄か」
 ファルシオンの言に対し、グロリアの反応は明らかに良好だった。
 その様子を、ファルシオンの一歩後ろで並ぶフランベルジュとリオグランテは
 引き締まった顔で眺めている。
 しかし――――目は泳いでいる辺り、ファルシオンの意図を読みかねているのは明白だった。
 一方、フェイルは既に気付いていた。
 そして同時に、唖然としていた。
「つまり、貢物となる物を寄越せ、と。このヴァレロン・サントラル医院が用意した物ならば
 デ・ラ・ペーニャ側も一定の満足を得ると。そう言いたいのだな」
「はい。私は魔術士なので、彼等の好むものは把握しています。それは、品格と――――
 補完です」
 魔術士には、負い目がある。
 それは、このエチェベリアと言う国に戦争で敗れた負い目。
 そのエチェベリアからの贈り物がもし取るに足らないものならば、そのコンプレックスが
 発動して、拒絶反応を起こす。
 それを回避するには、品格が必要だ。
 高貴な者だけが利用する病院からの贈呈品。
 それは、魔術士達の自尊心を満たすには十分だろう。
 そしてもう一つ。
 豊かな研究心。
 魔術の発展は、これなくしてあり得ない。
 魔術士は常に学ぼうとする。
 特に、現在魔術では施行出来ない、飛空や回復と言う分野においては強い関心を抱いている。
 補完。
 それこそが、魔術士を満たす要素だ。
「その2つを満たすのは、この病院しかありません」
「……具体的な要求を聞こう」
 許可を得たファルシオンは、一礼をした後に重々しく口を開いた。
「この病院で使用している、最も高価な薬草を頂けないかと」
 それは――――余りに不躾な要求だった。
 病院を訪れ、一番高い薬をくれと言っているのだから、普通に考えれば
 正気とは思えない発言。
 しかし、グロリアは眉一つ動かさなかった。
「それで私達が得られる利点は?」
「まず、デ・ラ・ペーニャに対しての宣伝です。それには、効果が高ければ
 高い程意義のあるものとなります。そして……」
 ファルシオンの声が、一旦止まる。
 そこには躊躇や逡巡ではなく、声の調整があった。
「私達勇者一行が大成した際、預かった恩を何十倍にもして返す事を約束します」
「どちらも先行投資と言う訳か」
 グロリアの声は――――明らかな失望が混じっていた。
「話は終わりだ。ファオ、帰りの道を案内して差し上げろ」
「了解しました。皆さん、こちらへどうぞ」
 強制終了。
 ファルシオンは反論一つせず、棒立ちのままでグロリアを眺めていた。





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