この鷹の目は、精密な視力を持つ上に、動体視力も高い。
 しかし、広範囲を同時に見渡す事は出来ない。
 細い筒で目を覆っているような感覚だ。
 その為、実は今回のような特定の人間を探索すると言う作業には、本来余り
 向いてはいない。
 尤も、街中歩き回りながら探すよりはずっと使い勝手が良い。
 建物の中に入っていたらどうしようもないが――――
「……ん」
 探し始めてから、僅か2分。
 フェイルの右目は、リオグランテの姿を捉えていた。
 予想外の早業――――と言う訳ではない。
 明らかに目立っている人混みの中に、リオグランテの姿もあったと言うだけの
 話だった。
 それも、その輪の中心に。
(流石は勇者候補……)
 勇者の資質。
 それは常に折れない心や際限ない才能、或いは弱き者を助ける慈悲の心など
 挙げれば限がないが、その中でも特に重視されるのは、人望と危機産出能力。
 特に後者は、サーガのネタにしたい吟遊詩人にとっては必須の能力だ。
 勇者はサーガにされてこそ勇者。
 実際に事を起こし、悪を挫いたとしても、それは極めて狭い範囲、狭い時間の中でしか
 広がっては行かない。
 それを世代を超えて伝えるのは、吟遊詩人や町民の言い伝えだ。
 その広報活動なくして、勇者は成り立たない。
 能力や実績は、一世代後の人間に対しては何ら意味を持たない。
 伝聞だけが、彼等に勇者の存在を教えてくれるのだから。
 そう言う意味では、リオグランテには勇者の資質は十分――――フェイルがそんな
 のんきな事を考えている、その時だった。
(……あれは?)
 リオグランテの前にいた人物が鷹の目の視界に入る。
 それはでは人混みが障害となって見えていなかった。
 その人物の横顔にフェイルは見覚えこそなかったが――――その服の一部には
 はっきりとその所属を示す物が付いていた。
 右肩に縫い付けられている、『剣』と『槍』と『斧』が重なったデザインの刺繍。
 それは、このヴァレロン市において、傭兵ギルド【ウォレス】と覇権を争う
 傭兵ギルド【ラファイエット】の一員である証だ。
 新市街地においては特にこの二つの傭兵ギルドは拮抗し合っており、建物自体も
 直ぐ近くに位置している事から、そのライバル意識、縄張り争いは相当なもの。
 ただし、あくまでそれらは水面下での動きであって、表向きには街の治安を守る為に
 協力し合っているギルド、と銘打たれている。
 ただ、【ラファイエット】は表向き穏健派とも言われる【ウォレス】とは違い、
 表立ってトラブルを引き起こす事の多い強硬派のギルドとも言われている。
 特に有名なのは、大隊長の地位にいるバルムンク=キュピリエ。
 筋骨隆々のその肉体は、地上最大の肉食獣とも言われている『ブライグマ』とも
 比喩される程で、その爆発的肉体が操る得物は大剣『デストリュクシオン』。
 実に5kgと言う異例の重量を誇るその巨大な剣を片手で軽々振り回す様は、まさに熊。
 ヴァレロン市は勿論、エチェベリア全土においてもその豪傑振りは轟いていると言う。
 そして今――――リオグランテの眼前にいるのは、まさにその人物像と一致する
 巨大な肉体を持った男だった。
(あれが噂の……しかも怒ってるし)
 リオグランテが何をしでかしたのかは、フェイルには知る由もない。
 ただ、明らかに状況は切迫していた。
 人混みが出来ている場所は、酒場の前。
 どうもこの勇者一行は酒場と相性が悪いらしい。
 もし、この人混みがリオグランテを勇者だと認識した一般市民の好奇心が生んでいるもの
 であるならば、更に最悪だが――――幸いにも、野次馬の視線は街の名物隊長の方に
 向いていた。
 当然、会話は聞こえない。
 ただ、フェイルの右目には、遠く離れた2人の横顔がはっきりと見えている。
 その口元に集中すれば、何を言っているかもおおよそ察しが付く。
 この目を活かす技術として、読唇術も一通りは『学ばされて』いたからだ。
 斯くして、実行――――
『早くこのおばあちゃんに謝って下さい。貴方にはその義務がある筈です』
『ケッ、そんなヨボヨボの足腰で街道を歩いている方が悪いんだよ』
 丁度状況を教えてくれるような会話だった。
 或いは、同じ問答を繰り返しているだけなのかもしれないが。
 いずれにせよ――――勇者の資質の一つである正義感はしっかり持っているらしい。
 ただ、明らかに腕っ節では大人と幼児ほどの差がある。
 それを踏まえた上で戦いを挑むような態度を取っているのであれば、魔術のような技術を
 有しているのか、それとも何か策があるのか――――
『はぎゅっ!』
 何もなかった。
 豪腕の繰り出す拳に無抵抗で吹き飛ばされた勇者は、あっと言う間に失神。
 興味を失った野次馬が、蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの日常へと戻って行く。
 流石に、強者が弱者を舐る様を見たいと言う歪んだ性格の人間は少ないらしい。
 フェイルは何となく安堵しつつ、リオグランテの元へゆっくりと近付いて行く
 バルムンクと思しき男に視線を向けた。
 表情は――――依然として険しいまま。
 この距離では殺気の察知も困難だが、もしその表情の意味するものが怒りであるならば、
 リオグランテの命が危ない。
 流石に有名ギルドの大隊長ともあろう男が、既に失神している少年に更なる暴行を加える
 と言うのは考え難いが、仮にリオグランテが勇者候補である事を知っているならば、
 何らかの情報を期待して拷問を仕掛ける可能性もある。
 リオグランテの『勇者として』の、生命の危機だ。
「……仕方ないな」
 フェイルは嘆息しつつ、背中の弓を手に取った。
 本来、昼間に狙撃をする事はない。
 まして、傭兵ギルド【ラファイエット】の大隊長に弓を引くのは、この街で生きる人間として
 余りにリスクが大きい。
 レカルテ商店街を取り締まっている商人ギルド【ボナン】は、商人の護衛を度々【ラファイエット】に
 依頼したり、治安維持の為の上納金を収めるなど、その関係は従属に近い。
 もし【ラファイエット】に敵対したと見做されれば、フェイルはレカルテ商店街はおろか、
 エチェベリア国内で商売をする事が出来なくなる。
 それは非常に由々しき事態だった。
 だが、それでも――――例え店の経営の足を全力で引っこ抜こうとしている疫病神であったとしても、
 見捨てる訳には行かない。
 正義感や道徳心ではない。
 勇者を匿っていた事が判明する可能性を考慮した保身でもない。
 唯の、瞬間的な判断だった。
「……ん」
 しかし、矢は放たれなかった。
 バルムンクの表情が険しかったのは、リオグランテに向けられた怒気の所為ではなかったと、
 フェイルは矢を放す一歩手前で気付いた。
 バルムンクの視線には、別の人物が映っていたのだ。
 勇者一行の一人、女性剣士フランベルジュ。
 フェイルは彼女の実力に関しては、その一端を微かに見た程度の認識しかないが――――
 その好戦的な瞳に、思わぬ好奇心が疼いてきた事を自覚していた。
 そしてそれは、刹那の内に満たされる事になる。
 一呼吸と置かない間に、フランベルジュの細身の剣が閃いていた。
 その切っ先は、バルムンクの肌に触れる事は叶わず、空を切る。
 しかし、その標的の顔色を変えるには十分な鋭さを有していた。
 有してしまっていた。
 次の瞬間、そうフェイルは思わざるを得ない感覚に囚われる。
 殺気――――
(なっ……ここまで!?)
 バルムンクが放ったそれは、余りに異質だった。
 通常、殺気と言うものには個性があり、それぞれ独自のフィーリングでそれを察知する。
 色で表現する者もいれば、テイストで表現する者もいる。
 フェイルは形で表現するタイプだった。
 そして、バルムンクの殺気は――――今まで感知した事のない形をしていた。
 例えるなら、街全体を飲み込む大きさの津波。
 その巨大な水の壁を見た瞬間、人々は混乱と絶望で思考を停止する。
 今、まさにその状態だった。
 既に半数以上が去っていたものの、まだ残っていた野次馬達もいる。
 その全員が、呆けていた。
 そして、その殺気を向けられたフランベルジュも。
 当初は、自分が後れを取ると言う事も想定していなかったのだろう。
 フランベルジュの表情には、確かな自信に満ちていた。
 実際、先程の一撃や先日の大立ち回りの際の動きを見れば、それも頷ける。
 間違いなく実力者。
 街のゴロツキは勿論、並の傭兵ギルド員程度なら苦もなく退けるだろう。
 勇者一行と言う肩書きを背負う以上、それくらいの力は持っていて当然だ。
 しかし、その力が仇となった。
 その過信が、生命を左右しかねない大きな失態を生んだ。
 フランベルジュは動けない。
 捕食者と対峙する被食者のように。
 バルムンクの殺気は、それだけの圧があった。
 フェイルの目には、怯えるフランベルジュの顔が映る。
 これまで常に不遜な態度を崩さなかった女性が見せる、初めての弱さ。
 しかしそれでも、フランベルジュは剣を握る手に力を込めた。
 或いは、そうしないと落としてしまうくらい、圧倒されていたのだろう。
 剣を落とさなかったのは、剣士としての意地か、命を護る為の防衛本能か。
 いずれにしても、その小さな動作は――――最悪の選択だった。
 そこで剣を落としていれば、或いはバルムンクは眼前の女性に
 興味を失ったかもしれない。
 だが、僅かではあるが戦意を見せてしまった。
 殺気をまとい、化物と化した大隊長への挑戦を意味した。
 死――――明確なそのイメージが、フェイルの脳裏を過ぎる。
 だが、失態はそれで終わらない。
 事もあろうに――――あの場で一人だけ、バルムンクの殺気に気圧されながらも
 闘志を漲らせている者がいた。
 勇者リオグランテ。
 フェイルの目に、その顔が映る。
 フランベルジュ同様、今まで一度も見せた事のない――――しかしこちらは
 決死の表情。
 高潔な魂を持つ者だからこそ可能な、勇ましき姿。
 勇者の素養は十二分に感じ取れた。
 だからこそ、この場では最悪の行動。
 もし、バルムンクが少しでも得物を動かせば、リオグランテはそれに合わせて
 横から攻撃を仕掛けるだろう。
 その気概は、バルムンクの殺気に包まれた中でも感じ取れる。
 そして――――殺されるだろう。
 一瞬で。
 剣ごと身体を引き裂かれて。
 両者の戦闘力の差は、それくらい明らかだった。
 フランベルジュにしても、それは余り変わらない。
 放置すれば、二人は数秒後にこの街から、そして世界から姿を消す。
 今、フェイルが感知しているバルムンクの殺気には、その具体的な未来を
 確信させるだけの説得力があった。
 フェイルは、動いていた。
 殺気を感知した瞬間に、既に弓を引いていた。
 躊躇はなかった。
 巨大な津波の中に、矢を放っていた。
 そして放つと同時に、下半身を屈める。
 顔を隠す為だ。
 フェイルが矢を放った瞬間――――バルムンクは眼前のフランベルジュから
 目を離し、矢が飛来してくる一点へと視線を移した――――筈。
 欲を言えば、暫くその矢を放った『何者か』の正体を見極める為に時間を
 割いて貰いたい。
 戦闘態勢の自身に対し、危機感を覚えさせた矢を存分に気にして欲しい。
 それだけの脅威を篭めたつもりだった。
 殺す気での発射は、かなり久し振り。
 腕がなまっていない事を祈るしかない。
 フェイルが身を屈めて、二秒後――――
「……!」
 津波のような殺気は、まるで街にその塊をぶつけたかのように、膨大な
 エネルギーを爆発させ――――収束した。
 成功。
 フェイルは胸を撫で下ろすと同時に、顔を見られたかも知れないと言う懸念で
 頭を抱えざるを得なかった。
 視認していないので推測でしかないが、フェイルの放った矢はバルムンクが
 全力で防いだ。
 殺気の膨張と消失がその証だ。 
 後は、二人が逃げてくれているのを願うのみ。
 尤も、あの状況で生まれた隙に『逃避』と言う選択を選ばないようならば、
 そこまでの命だったと言うしかない。
 フェイルは頭を上げる事なく、見張り塔で暫く身を休めた。
 信じ難い事に、身体が極度の疲労を覚えている。
 それくらい、あの殺気に向かって矢を放つのは、重労働だった。
 時間にして、僅か数秒の出来事だと言うのに。
(……ったく)
 改めて嘆息し、疲労の回復を待った後フェイルは塔から下りた。
 とてつもない殺気だった。
 殺気だけで人を物理的に潰しかねない程の。
(クラウ=ソラス……だったっけ。アレとはまた違った意味での化物だよ、全く)
 かつて、僅かの間ではあるが勤めていた王宮の中にも、これ程の圧を持った人間は
 数名しかいなかった。
 つまり、バルムンクと言う男はエチェベリア国内でトップクラスの実力者、と言う事だ。
 或いは、世界全体においても。
 フランベルジュの怯臆は恥ではない。
 恐らく、彼女にとっては未知の体験。
 無理からぬ事だ。
(……帰るか。無事戻ってると良いけど)
 取り敢えず、リオグランテの発見と言う目的は果たした。
 まるで数時間走り続けた後のような疲労感を引きずりながら、フェイルは
 自身の店に戻る為の方向転換を行った――――
「……!」
 それは、幸いだった。
 本当に運が良かった。
 方向転換。
 その所作が、偶然にも――――殺気の感知より一瞬早く、フェイルに
 危機の接近を知らせてくれた。
 視界に入ったのは、数ある情報にまぎれた、ほんの小さな点。
 しかし、その点は一瞬で巨大な塊へと変貌を遂げる。
 別にそれ自体が巨大化した訳ではない。
 近付いて来たのだ。
 信じ難い速度で。
 フェイルの行動はこの上なく俊敏だった。
 驚愕や恐怖を感じる前に、首を捻じ切る勢いで頭を強引に右へと移行させていた。
 それでも――――その耳元には、まるで嵐そのものを閉じ込めたような轟音が鳴り響いた。
 次の瞬間、フェイルの左側のこめかみから頬にかけ、細い線が入る。
 まるで亀裂のように。
 しかしその亀裂は、肉を裂くに留まり、骨まで到達する事はなかった。
 溢れる鮮血を感じつつ、フェイルはその傷に触れ、血を指に付着させる。
 そしてその血を口に含んだ。
 血の味に、不純物の感触はない。
 それに安堵しつつ、その身に襲来した脅威を推測する。
 視認は出来ていない。
 そして、今からする事も出来ない。
 行えば、背を向ける事になる。
 最悪の相手に対して――――
「闘い慣れてやがるな。直ぐに毒の心配をするたぁ」
 フェイルの目の前には、歩み寄って来たバルムンクの野性味溢れる風貌があった。
 つい先程まで、遠く離れた街中でいざこざを起こしていた男。
 それが、暫く休憩していたとは言え、もう眼前にいる。 
 俄かには信じ難い事実に、フェイルは閉口せざるを得なかった。
 上手く身を隠したつもりだったが――――
「矢の進入角度で方向は特定出来っからな。ツラも殺気も見えやしなかったが――――
 あの塔から狙った事を推測すんのは、容易いんだよ」
 不敵に笑むその姿は、獲物の頚動脈を牙で捕らえた肉食獣のよう。
 バルムンクと言う男には、そんな純粋培養の野性味が滲んでいる。
「……さて。何処の組織のモンか吐いて貰おうか。俺を直接狙ってんだ、中途半端な
 トコじゃねぇってのはわかってる」
 フェイルはその問いに、ようやくこの襲撃返しの意図を理解した。
 巨大権力を有するギルド【ラファイエット】の大隊長が攻撃を受ける事の意味。
 当然、そう解釈するのが普通の事だ。
 この街において、個人が手を出せるレベルの人間ではない。
 尤も、それは大方の組織にも言える事。
 もし、仮にどこぞの中小ギルドや団体が彼を狙おうものなら、【ラファイエット】及び
 その同盟組織が全力で牙を剥く事になる。
 改めて、フェイルは自分の行動の意味を理解すると同時に、心中で頭を抱えた。
 わかってはいた。
 しかし、認識が甘かった。
 疲労を引きずってでも、直ぐに退散すべきだった。
「さあ、吐きな。言っておくが、剣がなくても俺は強ぇぞ」
 その言葉で、先程飛んで来た物が剣だった事を知る。
 剣を投じたのだ。
 それはつまり、襲撃者確保に対する執念を意味する。
 それを把握すると同時に、フェイルの頭の中に一つの筋書きが生まれた。
「そうか、そう言う事か」
 そして、一人納得。
 その言葉に、バルムンクは露骨に眉を顰めた。
「幾ら襲撃を受けたからと言って、こんなに血相変えて自ら探しにくる……
 おかしいとは思ったんだ」
 そう。
 フェイルの最大の誤算は、それだった。
 普通なら、取り巻きに追わせる。
 大隊長が率先して来る必要はない。
 相手がどの程度の使い手か、わからないのだから。
 しかしそれでも自身が全力で近付いて来たのは、相応の理由がある筈だった。
「思った以上に緊迫化してたんだね、【ウォレス】と【ラファイエット】は」
 つまり――――バルムンクはフェイルの放った矢を、【ウォレス】の仕業と踏んだ。
 だからこそ自分で来た。
 襲撃相手の特定を確実にする為に、一番強く、一番疾く辿り着ける自らが。
「中小ギルド程度の血迷い事なら、鼻でも笑う。でも、ライバルのギルドとなれば、
 是が非でもその違反を確たるものにしておきたい。大隊長が証人なら、突っぱねる
 事も出来ないから」
 フェイルは表情を作らず、淡々と語った。
 言葉にしたのには理由がある。
 自分が【ウォレス】の一員ではないと言うアピール。
 そして、あわよくば人通りの少ないこの路地に誰か来てくれる事への期待。
 使用されなくなって久しい見張り塔の傍に足を運ぶ物好きは、余りいないだろうが――――
「……【ウォレス】の一員じゃないってのか?」
「ええ。私の知人ではありますが」
 その回答は――――フェイルの声ではなかった。
 そして、実はバルムンクの言葉もまた、フェイルに向けたものではなかった。
 フェイルの直ぐ背後。
 そこに音も気配も、そして生気すらなく、クラウ=ソラスは在た。
(幽霊の域だな……)
 心中で呆れ返りつつ、フェイルは目だけでその存在を認識する。
 先刻、夜間に見かけた印象と変わらない、傭兵ギルド【ウォレス】の長だ。
「彼が何をしたのかは存じませんが……ここは私に免じて一時預かりにして頂きたい。
 無論、私達が彼に何かをさせた事実はありません。私が保証しますよ」
「いや、結構」
 丸く収めようと言葉を連ねていたクラウを制したのは――――フェイル当人だった。
 そして、半身になって両者に対して一定の体勢を作る。
「へぇ、わかってんじゃねぇか、若ぇのによ」
 その返答と行動に対し、感嘆の声を漏らしたのはバルムンクだった。
「ここでその偽紳士野郎に甘えりゃ、テメェはその瞬間【ウォレス】の傘下だ。
 背負ってる組織があるんなら、丸ごとな。そうなりゃ、後は上納金を搾取されるだけの
 潰れたフルーツになっちまう」
「失礼な事を言いますな。我々は【ラファイエット】のような真似はしていませんよ」
 ギルドの運営基盤――――それは、領主すら把握しない所から生まれる上納金にある。
 そしてそのパイプは、こうした日常の中からも毎日のように伸びている。
 フェイルはその事を知っていた。
「ま、そこの偽紳士野郎の知り合いとなっちゃ、俺も迂闊にゃ手は出せねぇ。
 後々下らねぇイチャモン付けられちゃあ敵わねぇからな。そこまで計算しての
 事だったら、テメェ、大したもんだ」
 実際は――――その事は眼中にはなかった。
 フェイルがクラウの面子が潰れる事を承知で申し出を断ったのは、先日の事があったから。
 あの時、引いたのはフェイルの方だった。
 二回連続は許されない。
 それは、矜持や意地ではなく、自分と言う個人を管理する上で必要な事だった。
「ま、そう言う事で……我々もここは引きましょう。大通りではないとは言え、
 この街を牛耳る二名がいつまでも対峙していては、あらぬ誤解を与えかねない」
「ヘッ、命拾いしたな小僧」
 苦笑しつつ、バルムンクはフェイルとクラウのいる方へと歩みを始める。
 剣を拾う為だ。
「……いつでも来な。良い席を用意してやる」
 そして、フェイルとすれ違い様――――小声でそんな事を言い残した。
 つまり、スカウト。
 自分を襲った相手に対して、バルムンクはそんな大胆な試みを敢行し、その場を後にした。
「人は見かけによらないと言うのは、彼の為の言葉ですね。ああ見えて頭が回る。
 厄介な相手なんですよ」
 それを見届けてから、【ウォレス】の代表もフェイルへと近付いて来る。
 その歩幅は、身長から受ける印象以上に深い。
「彼は貴公が裏の人間である事は知らないようです。尤も、今頃その結論に到達
 しているかもしれませんが。いずれにしても、あのギルドとは関わらない方が良い。
 仕事は選ぶべきですよ」
 そして、告げる。
「我々を敵に回さない方が懸命です。味方となる方が有意義ですよ。
 貴公のような人間は、特に」
 それもまた――――勧誘と取れる発言。
 フェイルの瞼が、思わず半分落ちる。
「生憎、仕事は間に合ってるんでね。どっちも遠慮しておくよ」
「それは残念です。しかし、そうも言ってはいられなくなりますよ。直ぐに……では失礼」
 最後まで飄々とした表情を一切崩さず、クラウは意味深な言葉を残し、沈む夕日に向かって
 歩を進めた。
 結局――――恐れていた事態はフェイルを容赦なく襲撃した。
 バルムンクを狙った事は当人にあっさり看破され、関わりを持ってしまった。
 一介の薬草店の店主としては、今後の生活がとても心配だ。
「……本当、碌な事にならないな」
 それでも後悔はしない。
 フェイルは自身の行動の細部は兎も角、その出発点に関しては未だ一度も悔いた事はない。
 今回もそうだった。
 とは言え、今後も同じようなトラブルが続くのであれば、考え直さなければならないだろう。
「お帰りなさい! もう、随分と遅かったですねー!」
 帰宅した後のリオグランテの陽気過ぎる笑顔を見た瞬間、そう確信し、
 フェイルは全力で拳を握った。





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