薬草店【ノート】に勇者(候補)一行が訪れ、10日が経とうとしていた。
 フェイルはその間、毎日、或いは毎時間と言っても良いくらいの頻度で、
 何らかの心的負荷を余儀なくされ、胃の痛い思いをしながら暮らしている。
 その要因は複数あり、それが絡み合っている点が尚辛かった。
 まず――――裏のお仕事が無期限休止状態になった事。
 暗殺稼業ではないものの、それに限りなく近いこの仕事において、依頼を
 失敗すると言う事は、即ち依頼人を失うと言う事。
 例え、懇意にしているお得意様であっても、例外ではない。
 通常、仕事上の関係と言うのは、信頼を積み重ねる事で構築されていく。
 だが、この手の仕事はそうではない。
 一番底に直ぐ燃やせる木の棒を置き、その上に積み重ねていく――――そんな
 関係でなくてはならない。
 重要なのは、失敗から学ぶ事や、成功の喜びを分かち合う事ではない。
 リスクを最小限に抑える事だ。
 その為、依頼に失敗した場合は速やかに関係を破棄し、繋がりを絶つ。
 依頼を遂行する実行者から、依頼人の身元が割れると言う事態が、最も忌避すべき
 最悪の結末だからだ。
 それはつまり、依頼人の失脚を意味する。
 裏の仕事とは、そう言うものだ。
 斯くして、フェイルは主要財源を一夜にして失った。
 これが致命的な問題かと言うと、そう言う訳ではない。
 元々、生きる為の仕事。
 夢や目的の為の仕事ではない。
 代替は利く。
 新たな依頼人を募れば、それで済む話だ。
『決して殺さずに目的を果たす』
 意外と、この仕事の需要は大きい。
 恩人であるビューグラス=シュロスベリーの権力維持に協力出来なくなった事を
 除けば、それ程の問題ではなかった。
 問題なのは――――
「……リオグランテさん? この揉捻は一体……?」
「はうっ!? またダメでしたかっ!?」
 全く使えない従業員を雇っている現状だった。
 薬草店【ノート】は、行列の出来るお店を目指している訳ではない。
 億万長者になれるような巨大な利益を得る必要もない。
 そこに『在り』さえすれば良い。
 少なくとも、フェイルはずっとそう言うスタンスで運営して来ていた。
 リスクは犯さず、無難に、慎重に。
 人件費も最小限、高額の薬草の仕入れも最小限。
 そう言うやり方で良かった。
 しかし、現在はそれすら危うい状況にある。
 勇者リオグランテ。
 あくまでも候補、と言う名目ながら、王直々の命令を受けて旅をしている事から、
 それなりに優秀な人物であると誰もが予見するその少年は、本日12度目の揉捻の失敗に
 頭を抱えていた。
 尤も、そうしたいのはフェイルの方。
 薬草と言うのは通常、そのままの形で売ると言うのは余り多くない。
 加工して、直ぐにそれぞれの用途で使用出来る商品にして売っている。
 例えば、調味料として使って貰う場合は、乾燥させて挽き、粉状にしておく。
 そして、紅茶にして飲んで貰う場合は、まず生葉を一日外気に当て、揉捻と言う工程で
 揉み水分を取り、今度は水分を含ませて数時間放置し、そして最後に焙煎して完成となる。
 結構手間が掛かるが、薬草の加工商品の中ではトップクラスの人気を誇る為、
 手抜きは一切許されない。
 まして、このエチェベリアと言う国においては紅茶は紳士の飲み物として
 貴族や騎士に愛飲されており、もし人気が出れば強力な主力商品ともなり得る。
 決して仕入れ価格は高くない為、薬草店【ノート】にとってはこの上なく
 重要な商品だ。
 その材料が、既に底を付きつつある。
「うわ……何コレ。泥団子?」
 その最たる要因である勇者の成果物を、次の要因である女性剣士がジト目で眺め、
 小さく嘆息した。
「いや、そう言うアンタも全然接客出来てないから。偶にお客様に冷笑見せるあの癖は
 一体なんなの?」
「そんなつもりはないんだけど……」
「主に筋力もないのに剣を携えた初級剣士に対してと言う傾向が見受けられます」
 そして、裏方に回っている事で唯一悪因になり得ていない魔術士が、冷淡に
 観察結果を述べる。
 ただ、この一言によって店内の空気が悪くなると言う、これまた歓迎出来ない事態を
 引き起こしているという点においては、他の二名と同罪だった。
「……ダメだ。このままじゃ潰れる」
 当初は『レカルテ商店街』全域で金の成る木とさえ言われていた勇者一行が、
 現状では死神と等価状態になりつつある。
 由々しき事態だった。
 と言うか、どうしようもない事態だった。
 そんな状況に絶望しているフェイルを尻目に、リオグランテとフランベルジュは店頭の隅にある
 小さなガラスケースに入った指輪を食い入るように眺めている。
 薬草店に指輪が置いてある時点で不自然なのだが、更に妙な事に『非売品』と書かれたプレートが
 設置されていた。
「これ、非売品なの?」
「そう書いてるだろ」
「なら、何故わざわざ陳列しているのよ」
 尤もなフランベルジュの指摘に、フェイルは回答を提示しなかった。
「……」
 非売品の展示目的は、大抵が貴重品の鑑賞、そしてそれに伴う集客にある。
 しかしこの指輪に、貴重品の雰囲気など欠片もない。
 フランベルジュは数種類の思案顔を見せた後、結局首を横に振った。
「ま、知る必要はないと思うよ。僕の個人的な目的だから」
「個人的……ね。まさか、貴方の手作りとか?」
 フランベルジュの推測に、フェイルは苦笑しながら首を横に振る。
 実際、特に気に留めるべき問題ではない筈なのだが――――フランベルジュは何か気に入らない
 様子で指輪をヤブ睨みしていた。
「……まさか、母親の形見、とか」
「いや」
「父親?」
「だったら前言で『惜しい』って言うよ」
「……こ、こっ……恋人?」
「何故あり得ない事のように言うの?」
 実際、違ってはいたが。
「じゃあ何なのよ。勿体振らずに言えば良いじゃない」
 音もなく抜剣。
 半分お遊び、半分憂晴らしのつもりだったのだろう。
 殺気のない凶器を無造作に、それでいて万が一にも接触しないような心配りを
 覗かせつつ、フランベルジュのレイピアはフェイルの顎先でピタリと止まっていた。
 それに対し――――
「切っ先を向けないでよ」
「……」
 特に目立った反応を示さなかったフェイルに対し、フランベルジュは眉を顰めていた。
「外の掃除終わりました」
 そんな中、ファルシオンが外から帰還。
 話は結局そこで終わった。
「でっ、出来ました!」
 そしてリオグランテは13度目の揉捻に失敗していた。
「えええっ!?」
 そして、流石にこれ以上材料を無駄にする訳にはいかないので、買出しに
 行って貰う事になった。
「それなら任せて下さい! お使いイベントは得意です!」
 微妙な問題発言を残し、勇者リオグランテは揚々と店を出て行く。
 13度も失敗して何故揚々としているのかは謎だが。
「はぁ……」
 本日19度目の嘆息。
 フェイルは自分の寿命がここ数日で急速に縮んでいるような気がして仕方なかった。
 そんな最中も、時間は経過して行く。
 1時間。
 2時間。
 3時間――――
「あの。一つ提案があります」
 4時間が経過した頃、ファルシオンが無機質な声をかける。
「少し集客率に問題があるように思えますので、明日は午前中お店を閉めて、今後の方針に
 ついて話し合いをもっては如何かと」
「あ、良いかもね。雨も降ってないこんな日に3人しか客が来ないお店って存在意義ないもの」
 フェイルは致命的なダメージを受けた!
 実際、リオグランテが出てから現在まで、一人も客は来ていない。
 感受性の強い子供なら同情で涙しそうな事態だ。
「くっ……これでもアンタ等が来る前はもっと繁盛してたんだよ」
「平均でどれくらいですか?」
「……ご……6人」
 フランベルジュは無言でフェイルの肩に手を置いた。
「では、明日はそう言う事で。私達の方でも対策を考えておきます」
「ちょ、ちょっと、勝手に……」
「それじゃさっさと宿に帰りましょ」
 反論の余地すら与えず、2人はさっさと帰り支度を整えていた。
 非常に手際良く迅速に。
「ったく……忘れものするなよ」
「子供じゃないんだから、言われなくても……」
 冷めた目で店を出ようとしたフランベルジュが、突然ピタッと停止する。
「……リオの事忘れてた」 
「忘れものするなよ」
 微妙にイントネーションを変えた同語は、本日20度目の嘆息混みでフェイルの口から漏れた。
 それは兎も角――――確かに帰りは遅い。
 頼んだのはフェイルの明日の朝食のパンと柑橘系の果物だったのだが、両方とも
 歩いて10分の範囲の店で買える筈だった。
「あの子の事だから、何かしらのトラブルに巻き込まれるとは思ったけど」
「さすが勇者候補。トラブルメーカーの才能も超一流なのか」
「何事もなく街や村を素通り出来た試しがありませんから」
 ファルシオンはぼやきついでに溜息を落としつつ、荷物も店内に下ろした。
 ここ数日でフェイルは、この無表情の魔術士が実は結構感情を表に出す人間である
 と言う事を学んでいた。
 意外と怒りっぽいと言う事も。
「探しに行くなら手伝うよ。理由がどうあれ、失踪されて困るのは僕だし」
「助かります」
 そして、結構素直な性格と言う事も。
「私はあっちを探すから、ファルはあっち。貴方は適当に」
「……機動力は兎も角、探索能力なら十分戦力になると思うんだけど」
 露骨にアテにされていない事に対し不満を述べつつ、フェイルは一旦店の奥に向かい、
 外出の準備をして、4時間以上放置されていた哀れな少年の捜索を開始した。
 日が傾きかけている『レカルテ商店街』は、等間隔に設置されている街灯に早くも
 火が点されており、微かな影が朧げに揺れている。
 夜になっても、この辺りは深い闇に飲まれる事はない。
 その為、多少は治安が良い。
 それは、現在行方不明のリオグランテにとっては好材料となるのだが、そもそも
 この近くにいると言う保証もない。
 とは言え、仮にも勇者候補。
 迷子と同レベルで探す必要はない――――筈なのだが、どうも当人は恐るべき
 トラブルメーカーのスキルを常備しているようなので、探索エリアはかなり広めに見る
 必要があるとフェイルは勝手に判断していた。
 そして、歩を進める。
 行き先は――――この商店街で最も高い建築物である見張り塔。
 薬草店【ノート】の東にある大通り『アロンソ通り』を南に下った所にある、本来は
 街の外部からの侵入者に対して見張りを行うと言う、戦争時に使用する塔だ。
 尤も、現在では内外問わず争いはないので、無用の長物であり、一般人でも普通に
 上る事が出来る。
 フェイルはその最上階に足を運んだ。
 屋外となっているそこは、四方に落下防止の為の壁があるが、その高さはフェイルの
 腰辺りまでしかないので、遠くを見渡す上では障害にはならない。
 とは言え――――通常の人間なら、街にいる者を探す為にここに上る事はない。
 幾ら一面を見渡せても、人の区別が付かないほどの高所だからだ。
 それでもフェイルがここを訪れたのは――――当然ながら、その目を活用する為。
 鷹の目――――そう名付けられた右目の視力は、遥か数百メートル先の人間も
 見分ける事が出来る。
 フェイルは街の方向に視線を向けると、左目を閉じ、右目を凝らし、集中し始めた。





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