狩猟の為の道具として、遥か太古の刻より使用されていた『弓』と『矢』。
 その特性は、何と言っても遠距離にいる標的を仕留める事が出来る強力な殺傷力にある。
 人類が最初にそれを可能としたのは、投石だった。
 だが、それでは人間を倒す事は出来ても、野生の動物達を仕留める事は出来ない。
 特に、上空を舞う鳥達に石を当てる事など、不可能だった。
 もっと遠く。
 もっと速く。
 その追求の結果、湾曲形に木材を加工し、それに弦を構え、その弦に張力を加える事で
 得られる弾力・反発力を利用し、先端を尖形とした細い棒状の武器を前方に飛ばすと言う
 構造の武器が開発された。
 それが弓矢の源流だ。
 驚異的なまでの出力を発揮するその武器は、野生動物の瞬発力すらも上回り、
 数多くの命を奪い取ってきた。
 そして、その対象は人間へと移る。
 当初は狩猟道具だった弓矢も、その威力と実用性の高さから直ぐに対人間の戦術の
 一つとして組み込まれて行った。
 当初は斧、それから剣や槍へと変遷して来た武器の中にあって、遥か数百m先の
 敵を攻撃できるこの道具の特色は余りに突出しており、遠戦、集団戦において
 人類の戦争は著しくその戦術の幅を広げる事となった。
 しかし、弓矢が重宝されていたその最中、突如として全く異なる遠距離戦闘技術が
 その芽を伸ばす事になる。
 それは――――魔術。
 何もない所から、体外へと殺傷力を生み出すその技術は、遠距離への攻撃を更に
 効率よく行う事に成功する。
 それだけではない。
 魔術の最大の長所は、その応用性に尽きる。
 炎、氷と言った熱を付随した攻撃は、数多の武器を跳ね返す強力な鎧すら全く意味のない、
 重いだけのガラクタへと追いやった。
 一度に広範囲を攻撃する魔術は、陣形の概念を完全に崩壊させた。
 そして――――
 同じ遠距離攻撃用の技術として発展途中にあった弓矢は、魔術にその主役の座を奪われ、
 その需要を一気に減少させて行った。
「時代遅れの武器……そう呼ばれているそうだ。君達の愛している、その美しい道具はな」
 そう言った背景もあり、投げ掛けられた言葉に対して、フェイルは反論をしなかった。
 ただし、それを肯定する気は全くない。
 だからこそ、このシチュエーションが生まれていたりもする。
 フェイル=ノート。
 若干15歳でエチェベリア宮廷弓兵団の一員となった少年の名前だ。
 そして、そのフェイルと対峙している男。
 デュランダル=カレイラ――――その名前を知らないエチェベリア国民は、かなり
 世情に疎いと言われてしまう事だろう。
 エチェベリア王宮騎士団【銀朱】副師団長。
 この国において、王と師団長の次に有名な人物だ。
 同時に、実力も世界有数と言われている。
 そのデュランダルが剣を抜けば、まず大抵の者は戦意を失う。
 まるでちょっとした迷路のように複雑な形状の漆黒の剣――――オプスキュリテを
 操れる人物は、世界にただ一人、この男だけだ。
 仮に顔を知らなくても、その剣を見れば、持ち主が何者であるかがわかる。
 そして同時に、その戦績も。
 かつて、エチェベリアは隣国である魔術国家デ・ラ・ペーニャと戦争をした事がある。
 ガーナッツ戦争と呼ばれたその期間は、僅か十日足らず。
 エチェベリアはその短い期間で完全勝利を収めた。
 その立役者が、オプスキュリテのただ一人の所持者――――デュランダルだ。
 エチェベリアと言う国において英雄の名を擅にしているこの男に、正面から
 戦いを挑む者はいない。
 それだけに――――彼が剣を抜く機会は、ある意味非常に貴重だった。
「弓矢が人間の争いにおいて果たしてきた役割は大きい。その武器があったからこそ、
 我々はより多くの戦術を得た。知恵を使い、策を練って相手を屠る術を学んだ。
 戦争と言う、人類の歴史において、その歴史的価値は高い」
 周囲が静まっているのは、その一挙手一投足を見守りたいと言う感情が個人個人に
 働いていたのかもしれない。
 名高いエチェベリア宮廷弓兵団の面々であっても。
「だが、時代は変わった。いや、発展したと言った方が良いか。今や遠距離攻撃の
 主流は魔術に移り、エチェベリア国家も宮廷魔術士の導入を検討している。これはまだ
 噂の段階を出ていないが、デ・ラ・ペーニャで魔術の新たな技術が導入され、飛躍的に
 実用性が増したとの情報もある。最早弓矢に……君達弓兵に居場所はない」
 そして、明らかに弓兵を揶揄するその言葉の後にも、それを否定する声が一切上がらない。
 誇りがない訳ではない。
 彼等は国内最高の弓使いの集団なのだから。
 しかし、そんなエリート達をもってしても、デュランダル=カレイラの発言に対して
 異を挟む事は許されない。
 それ程に、彼の持つ権力は絶大だった。
 そして、戦闘能力も。
 何より――――弓兵は、個々の戦闘能力は高くない。
 遠距離から敵を射抜く狙撃手として鍛えられる能力の中に、身体能力や接近戦の技術は
 存在していないからだ。
 その点においては魔術士も同様なのだが、先刻デュランダルが口にした新技術――――
 オートルーリングの誕生と浸透によって、その欠点は補われつつあった。
「それでも、俺達騎士の保護なしに闘える――――お前はそう言うのだな、フェイル=ノート」
 名指しされたフェイルは、正面を見据え、沈黙によって肯定の意を示す。
 それをじっくりと確認したデュランダルは、禍々しい長剣を自身の体の前に構えた。
「では、証明してみせると良い。この俺を相手に」
「……わかりました」
 フェイルもまた、背に配していた弓と矢を構える。
 両者の距離、8m。
 デュランダルにとって、その距離は1秒弱で縮められる空間だ。
 人間はあらゆる野生動物と比較しても、至近距離の走力に関しては群を抜いている。
 それは、二足歩行故の特性でもあった。
 一方、フェイルが弓を引き、それを放つまでに要する時間もまた1秒弱。
 ただし、闇雲に放つのではなく、照準を絞って確実に急所を狙う場合だ。
 ただの速射ならば、その半分以下の時間で可能。
 尤も、それではまず相手は仕留められない。
「行くぞ」
 デュランダルは敢えて、合図を送った。
 それに呼応するように、フェイルは弓を引く。
 強靭な脚力によって蹴られた床が悲鳴を上げる最中、その騎士の肉体は全力で投じられた
 小石のように、宙に弾かれた。
 1秒弱、どころではない。
 その様子を見守る宮廷弓兵団の一人が瞬きをすると同時に、デュランダルの身体は既に
 フェイルの至近距離にまで到達していた。
 しかも、上体を屈め、矢の照準外にまで身を低くしながら。
 一方のフェイルは――――既に矢を放っていた。
 選択したのは、速射。
 精度と威力を放棄してでも速度を重視しなければ、弦を離す前に戦闘終了となる――――
 その判断は実際、正しかった。
 だが、空気を穿つように出力されたその武器は、デュランダルの頭を掠める事すらなく、
 その背後にある壁の『遥か上部』に突き刺さる。
 勝負あり。
 周囲の誰もがそう思った。
 ただ、当事者の2人は別だった。
 剣を薙ぐデュランダルの目には、フェイルの脚しか映っていない。
 にも拘らず、その研ぎ澄まされた検知能力は、上部に発生した危険因子の存在を的確に捉えていた。
 瞬間、確信する。
 フェイルは矢で攻撃して来た訳ではない。
 矢を捨てたのだ、と。
 そして、その攻撃手段は既に絞られていた。
 弓による打撃。
 通常であれば、空気抵抗の多い弓を振り下ろしたところで、デュランダルの剣速には及ぶべくもない。
 だが、フェイルは予めその場所にデュランダルが飛び込んで来る事を想定し、矢を放つ前から
 弓を全力で振り下ろしていた。
 その初速の差が、デュランダルに笑みをもたらす。
 宮廷弓兵団の最年少所属記録を大幅に塗り替えた、まだ成人にも程遠い少年の、一瞬の判断力と
 瞬発力、そして研ぎ澄まされた殺気。
 十二分に堪能し、その身を半ば強引に捻って、弓による打撃を回避した。
「……!」
 避けられる事を想定していなかったフェイルは、自らの武器を床に叩き付ける愚行を余儀なくされる。
 木製の、何と言う事はないごく普通の弓。
 しかし、折られるならまだしも、自分で折る訳には行かなかった。
「……っと!」
 こちらも強引に、振り下ろした左腕を強引に止める。
 しかし、完全に停止させる事は叶わず、鈍い音が当たり一面に響き渡った。
「驚いたぞ。弓で打撃を試みると言うだけなら珍しくはないが……」
 当初の半分程の距離で留まったデュランダルは、皮肉抜きの表情で感心を示す。
 そこには驚愕すら混じっていた。
 弓兵に接近戦を仕掛けた場合、かなりの可能性で弓を盾にしようとする。
 そして、その中には武器代わりに使おうとするものも、少なからずいる。
 だが、弓は打撃用の武器ではない。
 そのような使い方を想定してはいない。
 一方、攻める側にしてみれば、弓を使って抵抗を試みると言う行為は十分想定出来る。
 不意を付かれない限り、遅れを取る事はない――――筈だった。
「今の動きのキレは、ただの弓兵ではあり得ないな。噂は本当だったようだ」
 デュランダルの問いは、明らかに好奇心の充足以上の意図を有していた。
 それを加味した上で、フェイルは弓を剣のようにかざす。
 それは、自分の闘志が継続している事の表れ――――ではなかった。
「一人でも闘える弓兵……か。認めよう、その存在を」
 弓は、折れこそしなかったが明らかに変形してしまっている。
 もう、武器としては使い物にならない。
 弓は非常に繊細な武器。
 形状がほんの少しでも変われば、弦に伝わる力も変わり、フィーリングは全く別のものになってしまう。
 フェイルは愛用の武器を失ってしまった。
「しかし、俺の勝ちだ」
 それを薄目で確認し、デュランダルはほくそ笑む。 
 その表情に、そして言葉に、宮廷弓兵団は全員驚きを禁じえなかった。
 エチェベリア王宮騎士団【銀朱】副師団長デュランダル=カレイラには、滅多に表情を崩さない
 事から『銀仮面』と言う異名が付けられるほど、破顔とは程遠い人間だからだ。
「ええ。僕の負けです」
 一方、フェイルは面白くなさそうにそう呟き、深い嘆息と共に弓を担いだ。
 そして、そのまま矢の刺さった壁へ歩を進め、その矢をじっと眺める。
 弓を振り下ろす所作の途中で放った為、かなり角度が付いた事から、フェイルが手を伸ばしても
 到底届かない高さに刺さってしまっている。
「……あれ、取って貰えますか?」 
 それを確認したフェイルは、事もあろうに――――デュランダルへそれを懇願した。
 エチェベリアの英雄に対しての、あり得ない請求。
 宮廷弓兵団、特にその集団を統括する立場の師団長の顔が蒼褪める。
 一方、フェイルの視線の先にいるデュランダルはと言うと。
「貧乏性め」
 何処か楽しげに、フェイルの傍へと歩み寄っていた。
 

 コツン――――コツン――――
 そんな床を小突くような足跡と共に、デュランダルが歩み寄っていくその先には――――
 エチェベリア国を束ねる王、ヴァジーハ8世の姿があった。
 玉座の肘掛に右腕を乗せ、少し身体を傾けた態勢で、その接近を待っている。
 周囲に人の気配はない。
 本来なら四六時中そこにいるべき大臣の姿も。
「只今戻りました」
 そんな中、王と対峙する唯一の存在たるデュランダルは、その精悍な顔付きをそのままに、
 膝を突いて忠誠の態勢を整えた。
「うむ。では首尾について問おう」
 それに満足し、王は一層態勢を崩す。
 玉座と言えば聞こえは良いが、見栄えばかりを重視したこの椅子は、実は長時間の
 安座には向いていない。
「全て順調です。予定通り、エル・バタラの開催に合わせて配置される予定です」
「そうか。ならば何も言う事はない。ご苦労だった」
 王直々の慰労。
 銀仮面の異名を持つ王宮騎士団の副師団長とは言え、充実感を表面に出さずには
 いられず、思わず瞑目する。
「各ギルドの長にも話は通しました。返答は後日との事ですが、概ね現在の条件で
 問題ないと思われます」
「当然だ。駆け引きに時間を割く必要がないよう、破格の条件を提示したのだからな」
 王の言葉にデュランダルは深く頷く。
 実際には――――指示された条件以上を要求されていたが、デュランダルの独断によって
 その条件に引き上げていた。
 内容は、待遇に対するものと、金銭問題。
 いずれも副師団長の権力で十分対応可能なものだったので、処置に不具合はなかった。
「この計画は、我々ヴァジーハ王家の悲願と言っても過言ではない。父は下手を打ったが、
 この私の代で達成する事が、父への餞にもなろう」
「御意」
「うむ。お前には期待しているぞ。何しろ、これまで『一度も』失敗した事がない。
 今回も如何なくその手腕を発揮するが良い。我ら王家の為に」
 王の言葉に、デュランダルは畏まり、視線を落とす。
 ただ――――それにはもう一つ理由があった。
「もう良いぞ。下がれ」
 王の許可を得、デュランダルは膝を床から離し、騎士の所作で礼をする。
 そして、緩やかな速度で王の間を後にした。
 本来なら――――その絶対的な権力に包まれた空間は、いかにNo.2の騎士と言えど、
 緊張を伴うもの。
 だが、扉を潜ったデュランダルに安堵や開放を示す感情は湧いてこない。
 寧ろ、虚無感のようなものすら感じていた。
 計画――――王がそう示したそれは、デュランダルにとっては不本意極まりないものだった。
 しかし、王にとって、そして王族にとっての悲願である事は事実。
 つまりは、このエチェベリアの歴史に多大な爪痕を残す事が保証された一大任務だ。
 失態は万が一にも許されない。
 だからこそ、王はその実行を自分に命じた――――そうデュランダルは解釈していた。
 実際、それは決して自惚れではない。
 デュランダル=カレイラを越える実力者となると、この国で言えば彼の上司であり、
 エチェベリア国における最強の剣士の称号【剣聖】を持つ男――――
 エチェベリア王宮騎士団【銀朱】師団長ガラティーン=ヴォルスしかいない。
 しかし、彼はその余りに強大な影響力故に、各国から監視を付けられている。
 暗躍出来る立場にはない。
 王の選択は必然――――その矜持が、不本意な任務に対してデュランダルが尽力する最大の
 モチベーションとなっていた。
 しかし、懸念材料も在る。
 暗躍が必須の任務だけに、デュランダル自身が使用する手駒も限られて来る。
 少数精鋭、しかも闇の中で行動する事に慣れた人材が必要だ。
 そう言った特殊部隊を結成するのは、騎士団においては珍しい話ではない。
 デュランダルもまた、独自に暗闘を主軸とした育成を行っている。
 しかし、この技能は教えて大成するものではない。
 通常の戦闘技能よりも遥かに才能が物を言う類のものだ。
 デュランダルが全幅の信頼をもって任せられる人材は、今のところ育っていなかった。
「……」
 城内の長い長い廊下を歩きながら、デュランダルは思い返す。
 自身がかつて目をかけた少年の姿を。
 初めて対峙した瞬間から、自身の右腕として働く事の出来る人材であると確信したその
 才能溢れる若者を。
 或いはその残影が、デュランダルの慧眼を微かに曇らせているのかもしれなかった。
 15歳と言う若さで自分を驚かせた、紛れもない――――



 



 

 chapter 2. 


- a utopia -







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