実は――――標的は既に事切れていた。
 それはつまり、依頼の失敗を意味する。
 ただ、標的を死に至らしめたのは、フェイルの弓ではなかった。
 隠れ宿の二階、部屋の閉じた窓を目掛け外部から矢を速射。
 流石に分厚い木窓を完全に貫く事はできないが、先端を部屋側にまで貫通させる事は出来る。
 怯えさせるには十分だ。
 当然、その部屋にはいられず、飛び出して逃亡を図る。
 宿の主人に泣きつこうにも、向かいの靴屋の騒ぎを聞きつけて外へ出ている主人を見つける事は
 出来ない。
 当然、靴屋の件もフェイルの仕業だった。
 結果、標的はパニックに陥り、夜の街へ助けを請うように逃げ出す。
 そこを捕らえる――――そう言う手筈だった。
 事実、ここまでは見事に上手く行っていた。
 誤算だったのは、その直後。
 突然、何者かによって標的は貫かれた。
 弓を引く間もない。
 殺気はおろか、気配すら察知させない中での、鮮やかな殺害だった。
『まだ……居るのかな?』
 今しがた気絶させた魔術士の女性――――ファルシオンに近付きつつ、フェイルは虚空に問う。
 返答は直ぐにあった。
「……何故彼女は気絶したのですかな?」
 その声は、何処か紳士然としており、明らかに場にそぐわない品を持っている。
 そして、その手には今しがた人を貫いた得物を持っている。
 まるで死神の鎌のような形状の、細身で長い武器だ。
「衝撃で意識を切る場合は、こめかみを掠らせます。が、貴公の矢は髪を掠める程度。
 どのようなカラクリを用いたのか興味がありまして、ついつい長居してしまった次第です」
『人の獲物を奪うような無粋な人に教える道理はないよ』
「それは残念ですな。ただ、私にも立場があり役割もある。それを果たしただけで
 貴公を困らせるつもりはなかった、とだけは言っておきます」
『どうだか……ね』
 布で覆われたフェイルの口元が、微かに動く。
 それは苦笑ではあったが、同時に呆れてもいた。
 眼前の殺人者の、異様な迫力に。
 殺気も敵意もまるでない。
 それこそ、幽霊のような存在。
 人を殺傷する得物を手にしている人間がそのような状態と言うのは、極めて異例だ。
 もし、ここで標的を奪われた腹いせに決闘を持ちかけようものなら、確実に返り討ちに
 あってしまう。
 そんな予感を覚え、フェイルは動けずにいた。
「クラウ=ソラスと申します」
 そして、その予感はこの自己紹介をもってあっさりと肯定される。
 クラウ=ソラス――――傭兵ギルド【ウォレス】の代表を務める、エチェベリアでも屈指の実力者。
 当然、フェイルの耳にもその名と実績は届いている。
 ギルドの代表と言うのは、例え傭兵ギルドであっても単に戦闘力が高いと言うだけで務まるものではない。
 数多の猛者を束ねるには、相応の統率力と賢能、カリスマ性が必要となる。
 フェイルの眼前で涼しげに佇むクラウ=ソラスには、その全てを有している存在と言う事だ。
『……【ウォレス】の代表が、自ら暗殺活動を?』
 そんな怪物を相手に、フェイルは半ば冗談めかして呟く。
 もし――――これが本当に『暗殺』なら、フェイルはこの場で殺される可能性が高い。
 暗殺とは、誰にも知られずに達成されてはじめて成立する。
 無論、目撃者が存在してはならないのだ。
 だが、実際にはそうではないとフェイルはほぼ確信していた。
「これが暗殺なら、わざわざ自らの名前を告げません」
 そして、期待通りの返答に内心安堵する。
 そう。
 これ程の大物が、自ら暗殺を行う事など許されない。
 そして、他者に目撃されると言う愚行を犯す筈もない。
 まして、自ら身元を特定されるような宣言などする訳もない。
「名乗ったのは、この場を丸く収めたいからです。ビューグラス殿にも立場と言うものがありますし……ね」
 クラウの台詞は、多大な情報を有していた。
 フェイルの正体を知っている事。
 ビューグラスに対して配慮している事。
 それでも尚、彼に不利益となる行為に及んだ事。
 つまり――――
『【ウエスト】の依頼……』
「ほう。冴えておられますな」
 小馬鹿にする――――様なニュアンスは全くない。
 心底感心した様子で、クラウは正解を示唆した。
 実際は、それ程難しい推測ではない。
 冷たい地面に横たわっているビューグラスのビジネスパートナーは、諜報ギルド【ウエスト】に間者として
 忍び込んでいた人間だ。
 彼を狙うなら、当然【ウエスト】の関係者しかあり得ない。
 間諜行為が露顕し、制裁を加えられる。
 ただ、この新市街地で巨大な権力を持つビューグラスの子飼いとなると、迂闊には手を出せない。
 そこで、【ウォレス】に依頼をした。
 ただ、【ウォレス】としても、ビューグラスの関係者を相手にぞんざいな扱いは出来ない。
 代表者のクラウが自ら出て来たのは、ビューグラスの面子を守る為と言う事になる。
「ビューグラス殿には、既に使者を遣わしています。この場はお引取りを」
『……』
 無論、フェイルは納得はしていない。
 相手が誰であれ、依頼の邪魔をされたのは事実。
 幾らフォローがあるとは言え、信用を失いかねない妨害を受けた事は、フェイルにとって痛手だった。
『わかった』
 しかし、その気持ちは嘆息一つで収め、両手を挙げる。
 この街で生きている弱者としては、他に選択肢はなかった。
「賢明です。ただ、貴公には一つ確かめるべき事がある筈ですが……」
『いや。ないよ』
 そして、強大な権力者の言葉を否定し、気絶しているファルシオンを担ぐ。
 クラウの言葉は、確かに正しかった。
 月明かりがあるとは言え、相手の顔を確認する事は困難な夜。
 通常なら、今しがた『クラウ=ソラス』を名乗った人物が、本物である保証はない。
 話の辻褄はあっていたが、それは証拠とはならない。
 だが、フェイルには確証を得る術があった。
 梟の目。
 闇夜でもクリアに見えるその目が、クラウの外見をしっかりと捉えていた。
 実際に目の当たりにしたのは始めてだが、特徴や得物に関しては予備知識の中にある。
 それと見事に一致していた。
 間違いなく、本物。
 本物の怪物だ。
「やはり、現場は良いものです」
 そんな怪物は、ファルシオンを担いだまま踵を返したフェイルに対し、熱い視線を送っていた。
「このような出会いは、政治の世界ではありませんからな」
 そんな賛辞に対し、フェイルは特に何も言うでもなく、そのまま歩を進めた。
 兎に角、一刻も早くあの男の傍を離れたいと言う一心で、暗闇に包まれた街並を進む。
 尤も、ファルシオンを背負っているので、走る事は叶わない。
(救いは、軽い事か……)
 背中に密着した魔術士は、驚く程に軽量だった。
 つい先程、戦闘と言うコミュニケーションを交わしたばかりの女性。
 十分な実力者である事はあの僅かな時間でも用意に把握出来た。
 勇者候補一行と言う妙な肩書きの信憑性は兎も角、地力に関しては少なからず猜疑心を
 募らせてはいたものの――――
(一応、本気で勇者を目指す一行……なんだな)
 半ば感心、半ば呆れを有した息を吐き、フェイルは一度体勢を立て直す為に
 上半身を揺する。
「……ん」
 その微かな刺激が、ファルシオンの声を産んだ。
 まずい――――そう感じた刹那。
「アウロス様……むにゅ」
 寝言である事が判明し、杞憂に押し潰されそうになる。
 今しがた呟いた人名に心当たりはないが、特に不都合がある訳でもないので、
 フェイルはそのまま運搬作業を続行。
 仲間のいる傍の曲がり角付近まで運び、静かにそこで横たわらせ、靴屋目掛けて
 少し大きめの石を放り投げた。
「何!?」
 フランベルジュの鋭い声が聞こえて来ると同時に、逆方向へダッシュ。
 これで、直ぐにファルシオンは見つけられるだろう。
(疲れた……)
 依頼の失敗。
 大物との遭遇。
 バレないようにしつつの運送。
 いずれも肉体的と言うより精神的に辛いものばかりだった。
 だが、これからそれ以上に辛い作業が待ち受けている。
 依頼主のビューグラスに、失敗の報告をしなくてはならない。
 既にクラウの使者が事情を説明していると思われるが、それでも失敗は失敗。
 今後使って貰えるかどうかはわからない。
 もし、お得意様をなくせば、この裏のお仕事は廃業の可能性もある。
 薬草店だけで食べて行かなくてはならない。
 著しく商才に欠けるフェイルにとっては、この上なく厳しい状況と言えるだろう。
(どうしたものかな……)
 憂鬱な気分で移動した結果、殆ど体感なしにシュロスベリー家に到着した。
 夜間のこの屋敷は、まるで世界から隔離された妖怪の住処のような、一種異様な雰囲気を有している。
 フェイルにとっては、既に幾度となく目にして来た光景だ。
 しかし。
 この日の夜の屋敷は――――何処か雰囲気が違っていた。
 それは決して、自身の憂鬱な心理状態が生み出した錯覚ではない。
 空気が冷たい。
 虫の鳴き声が聞こえない。
(……何だって言うんだ)
 フェイルは舌で口の周りを湿らせながら、屋敷へ入ろうとする。
 その門の前。
 そこで――――異変に気付いた。
 門番が、いない。
 しかしそれは誤りだと、直ぐに理解する。
 門番は、いた。
 左右に配置されていた筈のその2人は、それぞれ持ち場から離れた場所にいた。
 そして、いずれも立ってはいなかった。
 職務怠慢とはまるで異なる理由で。
『……!』
 フェイルの脳裏を、先程のクラウの言葉が過ぎる。

 ――――ビューグラス殿には、既に使者を寄越しています

 そのまま受け取れば、自身が間者を始末した事を伝える為の使い。
 しかし、もし諜報活動を行っていた事に対しての断罪だとすれば。
(あり得ない……とは言い切れない)
 フェイルは口元を巻いた布を取り、全力疾走で屋敷の中へと入った。






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