人が誰しもその体内に蓄えている『魔力』を源泉とし、物理的外力へ変換させる為の術――――
 それが魔術の一般的な定義である。
 しかし、その原理について知る者は、例え魔術士であってもそれほど多くはない。
 赤魔術と呼ばれる、火で形成された魔術の中で最も基本的な攻撃魔術であり、全ての魔術の基礎と
 されている【炎の球体】を使える魔術士はごまんといるが、何故魔力が炎になり、炎が球状で固定され、
 施行者が火傷する事なくその炎をかざす事が出来るのか――――と言った過程については『よく
 わからない』と言う魔術士が多数を占める。
「実際、そう言った過程を知らなくても魔術は使えますから……仕方のない部分ではあります。アカデミーが
 教えるのは、『魔術の使い方』と『既存の魔術の仕組み』についてが殆どで、魔術そのものの原理や
 構造については冒頭にサラッと触れるだけですから」
「ふえ〜」
 宿屋『カシュカシュ』の一室に、リオグランテの悲鳴にも似た声が響く。
 夕食を終え、夜も大分更けて来た時間だが、勇者一行は全員同じ部屋にいた。
 何故なら、一室しか借りる事が出来なかったからだ。
 この隠れ宿の主人が大事にしていたと言う母親の形見を拾い、無料で部屋を借りる事が出来たまでは
 良いが、流石に複数の部屋を借りられる程世の中は甘くなかった。
 尤も、フランベルジュとファルシオンが実年齢よりずっと子供じみたリオグランテに対して貞操の危機を
 感じる事は一切なく、三人同部屋でも特に問題は生じていない。
 寧ろ、この機会を利用し、勇者の造詣を深めるべく、ファルシオンは毎晩リオグランテに対して魔術の
 教育を行っていた。
 リオグランテは魔術士ではないが、今後魔術士と戦う機会は必ずある。
 魔術の原理を知っておく事は、勇者として必要な事なのだ。
 ちなみに、その時間はフランベルジュは剣の手入れを行っている。
「ところでファルさん! アカデミーとは何ですか!」
 元気一杯のリオグランテの疑問に、ファルシオンは嘆息を禁じえなかった。
 魔術士ではなくても、アカデミーは一般常識レベルの存在。
 それも知らないとなると、説明の為の説明で相当な時間を費やす事になる。
「……アカデミーとは、魔術について教育を施す教育機構の事です。ここで教育を受け、戦闘実習も含めた
 必要単位を全て修得した者のみが魔術士と名乗る事が出来ます」
 アカデミーの存在は、単に魔術士を育成する為ではなく、実戦経験を積み、戦場で闘える魔術士――――
 臨戦魔術士を生み出す為にある。
 よって、魔術士と名乗る者は殆ど例外なく、何らかの形で敵を攻撃する術を知っていると言う事だ。
「なるほどー。それじゃ、強敵だね」
「当然です。それに、今はルーリング改革前と違って、魔術の種類の数、質とも大幅に向上しています。
 魔術対策と言っても、そう簡単ではないと言うのが現状です」
 自身も魔術士であるファルシオンのその言葉は、ある意味自画自賛だった。
 しかしリオグランテは一切その事には触れず、おどおどした様子で挙手をする。
「えっと……ルーリングって何かな、なんて」
「……」
 ファルシオンは無表情で絶句していた。
「ああっ、ごめんなさいすいません! 僕ってばホントに無知で!」
「いえ。知らない事を聞く行為は重要です。例え呆れられて恥をかいて顔から火が出そうになって
 死にそうになっても、それはとても大事な事ですから」
 教師は辛辣だった。
 とは言え、魔術の事を解説すると言う行為は決して嫌いではないファルシオンは、微かに目尻を下げ、
 微かに口元を緩め、説明の為に思考を動かした。
「ルーンを説明するには、まず魔術が成立する際の工程について説明しないといけませんね」
「お願いします、先生!」
「……先生は止めて下さい」
 ファルシオンは表情こそ変えなかったが、微妙に頬の辺りの血色を良くし、小さく息を吐いた。
「魔力が術となるまでの工程は、主に三つに分けられます。まずは、魔力を使用可能の状態にする為の
 
作業。これは潜在エネルギーである魔力を使用可能の状態にすると言う意味です。次に……」
 魔力をどのような術に変換するか決定する項目。これが『ルーリング』と呼ばれる作業だ。
 そして最後に、魔術を体外へ放出する作業。以上が魔術の主だった作業手順であり、魔術を具現化
 する唯一の方法だ。
「ここまではわかりましたか?」
「何か妙な声が聞こえて邪魔されました」
「それはきっと貴方の内なる悲鳴です」
 リオグランテの返事は語調も含め明らかに心許ないものだったが、ファルシオンは気に留めず続けた。
「では、ルーリングを説明します。ルーリングは、魔術の主な構成を決める魔術で最も重要な工程です」
 出力する魔術の規模・形状・範囲・硬度・密度・速度・属性などと言った要素をどうするか、と言う構成を
 決定する上で、魔力に対し専用の言語を用いて指示する作業。
 それがルーリングだ。
 そして、ルーリングを使用する為には『魔力へ指示を出す為の言語』が必要となる。
「その言語がルーンです」
「るーるー」
 勇者は混乱している!
「……この店にパンを置くとしましょう」
「ゑ?」
 突然話が突拍子もない方向に飛んだように感じ、リオグランテはさらに混乱した。
「パンを作るには小麦が必要です。けれど、小麦を用意したからと言ってパンが作れる訳ではありません。
 小麦を製粉して、粉になった物をパン工房へ送り、そこで様々な種類のパンが、専用の道具によって
 焼かれます。それが販売店に行き渡って、初めて商品のパンとなるんです」
 勇者の頭から湯気が出て来る。
 パンと魔術を繋げる事がどうしても出来ないようだ。
「……小麦を魔力、製粉や焼く為の道具がルーン、加工作業全般がルーリングと考えて下さい」
 ファルシオンは羊皮紙を取り出し、説明を図化して見せた。
「小麦をパンにするには、道具を使ってお店に出せるようにしなくてはなりませんよね? それと同じで、
 ルーンを使って魔力を色々な形にして魔術にするのが、ルーリングなんです」
「なるほど〜。ファルさん凄いです! 本当に先生みたい」
 リオグランテはようやく理解できたのか、感嘆の声と共に尊敬の眼差しをファルシオンに向ける。
 一方、その手の視線が苦手なファルシオンは、思わず目を背けた。
「では、次はルーリングの必須アイテム、魔具を……」
 ――――刹那。
「ど、泥棒だああああっ!」
 そんな叫び声が二人の鼓膜を叩く。
「ファル!」
「行きましょう」
 ファルシオンのその声を待たず、フランベルジュは勢い良く扉を開いていた。
 この隠し宿、一階が鍛冶屋になっている以外は殆ど普通の宿屋と変わらないのだが、隠しと言うだけ
 あって、二階にある窓には全て戸が設けられており、基本的には閉められている。
 その分、灯りを点していても外に光は漏れない為、夜でも視界は確保できる。
 フランベルジュは廊下に出ると、迷わず廊下を駆け、階段を駆け下りた。
 最も奥の部屋を借りている為、視線は必然的に階段へ続く廊下に向けられるのだが、その階段へ
 到るまでに左右二つずつの部屋がある。
 しかし、まず目指すべきは一階。何故なら――――どの部屋も扉が開いていなかったからだ。
 泥棒が二階で見つかったのなら、扉が閉まっている道理はない。
 必然的に、発見されたのは一階と言う事になる。
「む、二階にも聞こえたか」
 階段を下りた直ぐ先に、宿屋の主の男が呆然と立ち尽くしていた。
 ファミリーネームを呼ばれたフランベルジュは、その主人へ駆け寄り、同時に周囲へ気を飛ばす。
「泥棒って、ここに入ったの?」
「いや。向かいの靴屋だ。声も靴職人のものだった」
「向かい……ね」
 二人が視線を玄関口に向けるのとほぼ同時に、ファルシオンとリオグランテが降りて来た。
 それを確認し、フランベルジュが視線で状況を伝える。
「お前等はここにいな。身を隠している以上、迂闊に出て行かない方が良いだろ」
「そんなのダメです! 僕達が行きます!」
 気を使った主人に対し、リオグランテが吼える。
 勇者たる者、泥棒の存在と犯行を知ったならば、放置する訳には行かない。
「そう言う事だから」
「お気遣い感謝します」
 そして、その仲間も、また。
 呆然と見送る主人を背に、勇者一行は向かいの建物へと赴く。
 靴屋には明かりがついており、その入り口に鍵は掛かっていない。
 直ぐに中へ入ったリオグランテの目には――――床に散乱する数多の靴が映った。
「ヒッ!? 戻って……あれ?」
 そして、その靴を片付けようと腰を屈めていた、靴職人と思しき男も視界に納まる。
「向かいの者です。何があったんですか?」
「え? あ、ああ……実は」
 フランベルジュとファルシオンも合流したところで、靴職人は話を始めた。
 何でも、奥で休んでいると、突然この靴売り場で物音がして、慌てて駆けつけてみたところ――――
「こうなっていた、と」
 ファルシオンの言葉に、靴職人はコクリと頷く。
 確かに、この状況を見れば、泥棒と叫ぶのは必然。
 だが――――
「でも、減ってなかったんです。靴……だから、引き返して盗りに来たのかと」
「じゃあ……悪戯なんですかね?」
「何? イタズラぁ?」
 リオグランテが首を捻る傍らで、宿屋の主人が頭を掻いている。
 気になって自らも足を運んだらしい。
「あ、すいません。お騒がせして……」
「いや、あんたに落ち度はないさ。こんな時間に人騒がせな事やりやがる奴が悪いに決まってる。
 おい、お前等も手伝ってやれ」
 嘆息しつつ、主人も屈んで靴を拾い始めた。
 リオグランテとフランベルジュもそれに続く。
 暫くの間、靴を拾う際の微かな物音だけが響き渡っていた。
「……」
 そんな中、ファルシオンだけが立ったまま、視線を外に向けていた。
「ファル?」
 その様子に気付き、フランベルジュが問う。
 しかし、その言葉に答えはなく――――突然外へと駆け出した。
「不審者でもいたのかしら?」
「それなら、そう言うだろ。厠じゃねえのか?」
「……」
 主人のデリカシーのない言葉に頭を抱えつつ、フランベルジュは靴拾いを再開した。


 雲のない夜だった。
 月が浸す世界は、静寂と安寧を携え、ただ軽やかに揺蕩い続けている。
 薄闇色の胞子が宙を舞うように、何処となく不安定に。
 そしてそれは、ファルシオンの心境そのものだった。
 確信は――――ない。
 今の自分自身の行動に、絶対的な理由がある訳ではなかった。
 だから、仲間には言えなかった。
 でも、無視は出来なかった。
 一瞬、虫の鳴き声が止んだ事。
 同時に鳴り響いた小さな足音。
 そして、微かに視界を汚した、深い影。
 その影は、宿屋【カシュカシュ】から出て来た。
 焦燥ばかりが露見した逃亡。
 それは盗賊と言うには、余り感心出来る移動ではなかった。
 それだけに、ファルシオンは悩んでいた。
 もし、自分が感じた何者かの存在が盗賊だとしたら、余りに未熟過ぎる。
 一方、素人が盗みに入ったのだとしたら、逃亡の際の隙とは対照的に、手際が良過ぎる。
 何しろ、宿屋の主人が宿を空けて、まだ僅かの時間しか経っていない。
 仮に金目の物の在り処を把握していて、それが一階にあったとしても、余りにも盗みに入った時間が短い。
 ファルシオンの視線に気付いて逃げた――――と言う様子でもない。
 不可解だった。
 しかし、ファルシオンはその影の移動した方向へ全力で駆けていた。
 その影を逃がすのは得策でないと判断したからだ。
 勘――――と言う訳はない。
 仮にそれが気の所為だったとしても、追う事が徒労に終わるだけ。
 見当違いだったとしても、気恥ずかしさと疲労感が残るだけ。
 リスクは極めて少ない。
 そう判断したからだ。
 推測は慎重に、行動は逡巡なく。
 それが、ファルシオンの行動指針だ。
 自身の敬愛する魔術士の理念でもある。
 数年前、魔術界における大革命を起こした偉大な研究家。
 10代と言う若さで、ルーリングの高速化及び自動化と言う、過去誰も成し得なかった魔術システムの
 大改造に成功し、魔術士に送られる最高の称号である『賢聖』を得た、100年に1人の天才と呼ばれる
 人物。
 ファルシオンにとって、その魔術士の理念は絶対であり、自分自身の理念と同義だった。
 そして、その指針は確実に、ファルシオンを真実へと近付けていた。
 今夜もそうだ。
 もしファルシオンが追わなければ、何一つ明かされなかったであろう真実。
 その小さな破片が、数百メートル先の路地裏にあった。
「……!」
 息も切らしながら目を凝らすファルシオンが見たのは、倒れた男の姿。
 呼吸や身体の律動がわかる程に明るくはない為、生死の判断は出来ない。
 そして、これが影の正体であるか否かも同様だ。
 本人かもしれない。
 被害者かもしれない。
 無関係かもしれない。
 ただ、被害者なら悲鳴すらあがっていないのは不自然。
 事実上の二択だ。
「……」
 ファルシオンは、本人であると推測した。
 この状況で無関係と言うのは余りにも偶然が過ぎる。
 そして、その判断の結果、周囲への警戒を強くした。
 当初の推測とは全く異なる可能性が生まれたからだ。
 それは――――宿泊者が襲撃されたと言う可能性だ。
 隠れ宿の性質上、ファルシオン達は自分等以外の 宿泊者の事は知らない。
 いるかどうかすらわからない。
 当然、いてもいなくてもおかしくない。
 ただ、隠れ宿を利用している以上、ワケありの人物である事は間違いない。
 その人物が、宿から逃げるように出て行き、路地裏で倒れている――――それはつまり、強襲に
 あったと言う可能性が最も高いとファルシオンは判断したのだ。
 一人の存在しか感知出来なかったのも、暗殺者のような気配断ちの専門家が襲撃者なら、辻褄は合う。
 宿屋の主人が玄関口を離れてからそれ程経っていない中で、どうやって襲撃したのかは定かではないが、
 その手段は然程重要ではない。
 この世の中に、ファルシオンの知らない襲撃方法など幾らでもあるのだから。
「誰か、いますか」
 ファルシオンは言葉を放った。
 無言でいるよりは、現状の変化を期待出来るからだ。
 当然、警戒は解かない。
 魔術を発動させる為に必要な魔具である指輪は、右手人差し指にしっかり嵌っている。
 倒れている人物との距離は、およそ4m。
 近付いて介抱するか、警戒を続けるか――――通常なら判断に迷うところだ。
「いるのなら、警告します。私は魔術士です」
 しかし、ファルシオンは立ち止まったその場から動く事なく、そう宣言した。
 魔術士と言う存在は、魔術国家と呼ばれる隣国デ・ラ・ペーニャですら、一般人から恐れられる存在。
 このエチェベリアでは更にその色は濃い。
 何事もなく済ますには、相手を肩書きで克服させるのが一番だ。
 そして、その警告の証として、ファルシオンは結界を張る為に魔術を施行し始めた。
 指輪が光ると同時に、ファルシオンはその光で宙に1文字だけルーンを綴る。
 すると、その文字から右側へ、別の文字群が一瞬で伸びて行った。
 オートルーリング。
 通常は、魔術に応じて必要な文字数を地力で綴る必要があるのだが、このオートルーリングと呼ばれる
 技術によって、その必要はなくなった。
 僅か1〜数文字の編綴で、後は勝手に魔具が綴ってくれる。
 これによって、魔術士は魔術発動までの時間を大幅に短縮させる事が出来るようになった。
 戦闘において、この短縮が絶大な影響を与える事は、誰もが想像出来るだろう。
 僅か1秒強の時間で、ファルシオンの周囲には三角形の結界が張られた。
「私はこれから、目の前の倒れている人物へ近付きます。妨害した場合、どのような理由であれ
 敵を判断し、攻撃を加えます。警告はここまでです」
 つまり、魔術で攻撃されたくなければ、消えるなり名乗るなりしろ――――と言う事だ。
 そんなファルシオンの最終勧告に対し、反応は――――
『……そいつは、こっちの標的だ。勝手に触らないで貰いたい』
 くぐもった声で返って来た。
 その事に、ファルシオンは少なからず動揺する。
『標的』と言うくらいなのだから、暗殺者かどうかは兎も角、襲撃者である事は明白。
 だが、それなら返事をせずにファルシオンが油断した隙を狙って攻撃するのが常套手段の筈だった。
 魔術の結界は、長時間持続させる事は出来ない。
 タイミングを計れば、仕留められる可能性は高かった筈だ。
 何しろ、ファルシオンは自ら相手の気配を察知出来ていない事を露見させているのだから。
 そして、それがファルシオンの仕掛けた罠だった。
 結界を解いたフリをして、瞬時にもう一度同じ結界を張る。
 オートルーリングであれば、問題なくそれでどんな攻撃も防げると言う自信があった。
 しかし、その罠は不発に終わった。
 読まれていたのか、別の思惑があるのかは定かではないが――――
「それは出来ません」
『何故?』
「傷付いた者を放置出来ない立場だからです」
 いずれにしても、勇者一行の一員であるファルシオンには、選択の余地はなかった。
『だとしたら、何も問題はないよ。その男は生きているし、これ以上傷付ける予定もないから』
 くぐもった声は、倒れている人物の性別と、今後の予定まで告知してくれた。
 かなりの情報が含まれている言葉だが、当然信憑性はないに等しい。
「保証がない以上、信用に値しません」
 ファルシオンの行動が枝分かれする事はなかった。
『なら、力ずくで追い払うしかない。こっちも時間がないんだ』
「警告はもうしました。今の言葉をもって、貴方を……」
 刹那――――光が揺れた。
 ファルシオンは、魔術士の中でも戦闘能力を有した臨戦魔術士に属する。
 魔術士が一般人に持たれているイメージの大半が、攻撃魔法を操って敵を倒す、この姿。
 しかし、実際に臨戦魔術士が戦場において戦力となるのは、殆どのケースにおいて『支援』に偏っていた。
 ルーリング――――即ち魔術を施行する為にルーンを綴る為の時間を必要としていたからだ。
 戦場において、無防備な状態が数秒続くのは致命的。
 それ故に、屈強な戦士の後ろで遠距離攻撃を行うと言うのが、専らの役割だった。
 だが、それも過去の事。 
 オートルーリングが定着した今、臨戦魔術士は戦場の最前線でも戦力として見做される、
 万能型の戦士として認知され始めていた。
「敵と判断します」
 ファルシオンのその言葉と同時に、宙に文字が躍る。
 あっと言う間に並んだ12の文字は一瞬で霧散し、無数の氷の飛礫を作り出す。

【氷の弾雨】
 
 水や氷を基調とする青魔術の最も基本的な魔術だ。
 一粒一粒の攻撃力は決して高くない。
 ただ、その数の多さ、そして敵を襲撃するスピードから、牽制や距離を測ると言う役割には最適の魔術だ。
 そして、見えない敵を探す為の試図としても。
『……!』
 その選択は功を奏し、微かな呻き声が夜空を伝う。
 そして、その音でファルシオンは敵の位置を把握した。
 斜め上空5.5m。
 大きな街路樹の葉を隠れ蓑にしているようだ。
「そこです」
 ファルシオンはそれだけ離れた位置の敵を正確に睨み、次の魔術を編綴した。
 攻撃魔術と結界は、同時に生み出す事はできない。
 よって、ファルシオンは結界を解いてまで、攻撃に転じている。
 魔術で生み出す結界は、魔術を防ぐものもあれば、物理力を防ぐものもある。
 ファルシオンが先程生み出していたのは後者だ。
 魔術を防ぐ場合は、属性に応じた結界を張らなければ防げないなど制約が多いが、物理力の場合は
 剣から投石まで、魔術以外のあらゆる攻撃を防ぐ事が出来る。
 ただし――――耐久性は使用した魔力に比例する。 
 しかも、維持する為には相応の魔力を消費する。
 味方がいない状況で結界を張ったままでは、決して状況は好転しないのだ。
 一方、仮に敵の反撃や特攻があっても、瞬時に攻撃を止め、結界で守る事も出来る。
 これもまた、オートルーリングの恩恵だ。
 魔術士はこの技術を得て、確実に強くなった。
『っ……!』
 ファルシオンが次に生み出した魔術――――その名は【氷輪】。
 リング状に氷を形成し、その刃で敵を切り裂くと言う高レベルの青魔術だ。
 その刃は、街路樹の上部を幹から切り裂き、その高さを1m程低くさせた。
 当然、その上にいた襲撃者が転落し、一巻の終わり――――の筈だった。
 しかし、街路樹の上部がけたたましい音と共に地面へ叩き付けられる中、悲鳴や痛みを訴える声は
 一切響かない。
 殆ど音もなく、着地していた。
「……」
 ファルシオンは月明かりで微かに浮かぶ襲撃者の姿に、脅威を覚える。
 明らかに、只者ではなかった。
 顔は見えない。
 布で口元を隠している。
 暗殺者の可能性が窮めて高い。
『良い腕だ。判断力、制御力共に申し分ない』
「……」
 その襲撃者の賛辞に、ファルシオンは応えない。
 敵と見做し、戦闘態勢に入った事で、口を開く事を止めていた。
 無駄に情報を与えない為の自制。
 これもまた、賢聖の理念をなぞったものだ。
『でも――――まだ甘い』 
 しかしその沈黙は、一瞬で別のものに変わる。
 次の瞬間、ファルシオンは意図せず喉を収縮させていた。
 戦慄を覚えたからだ。
 言葉に?
 目の前の敵に?
 否――――今しがた、自身の頭の右のテールを掠めるように飛んで来た、何かにだ。
 それが、眼前の襲撃者の攻撃だと気付いたのは、二秒後。
 そして、身を竦めたのは、それから一秒後。
 勝負はこの瞬間に決した。
 殺そうと思えば殺せたのだ。
 今の一撃で。
「……何を撃ったのですか」
 ファルシオンの声は震えていた。
 ポリシーを破る重大な禁忌。
 それを、得体の知れない攻撃の恐怖が上回った。
『只の矢だよ。ここ数年の魔術の進捗で、過去の遺物と呼ばれるようになった――――』
 そして、その説明を最後まで聞く事なく、ファルシオンの意識は急速に闇へと飲まれて行った。




 

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