陽が沈み、月が昇る。
 そんな時間帯におけるレカルテ商店街の人通りは少なく、多くの店が早めに閉めている。
 薬草店【ノート】もまた、その中のひとつに含まれていた。
 だからこそ、夜は別の活動を行い易い――――とも言える。
「すまないな。先日依頼したばかりだと言うのに」
 ビューグラス=シュロスベリーの屋敷を訪れたフェイルは、静かに首を横に振り、指定席と
 なっているソファーの最も右端に腰掛けた。
 依頼の合図である、白い鳥からの贈り物が届いたのは、つい先程。
 緑色の物であれば、緊急性はなく、翌日の夜までならいつでも良いと言う依頼。
 赤色の物であれば、直ぐに来て欲しいと言う依頼。
 今日鳥が届けたのは、一輪のヒナゲシだった。
「何かトラブルでも?」
 2日前の見知らぬ女性との蜜月現場を思い出し、フェイルは曖昧に問う。
 尤も、眼前の男性が私事でフェイルに何かを依頼した事は、これまで一度もない。
 全てが仕事絡みだ。
 薬草に全てを捧げ、薬草の全てを知る男。
 それが、ビューグラス=シュロスベリーと言う人間に与えられた社会的評価だ。
 フェイルの知る彼も、限りなくその評価に近い。
 だからこそ、この男の依頼を受け続けている。
 薬草師として、誰よりも尊敬しているこの男を助ける為に。
「【ウエスト】は知っているな」
「ええ。近所の諜報ギルドがどうしました?」
 このヴァレロン新市街地には、幾つかのギルドが密集している。
 商人ギルド【ボナン】。
 傭兵ギルド【ラファイエット】。
 そして、諜報ギルド【ウエスト】。
 これらのギルドはいずれも、ヴァレロンと言う都市を構成する上では欠かせない存在であり、
 この都市を現在の形式に導いた原動力でもある。
 その中にあって、諜報ギルド【ウエスト】の存在は非常に大きい。
【ウエスト】は全世界に支店を持つギルドで、本店となる建築物はエチェベリアから
 遠く離れた地、イエロと言う国にある。
 ただ、諜報ギルドの性質上、各支店間の繋がりは色濃く、本店から離れていても
 その影響力、情報力には余り大きな格差はない。
 よって、世界各国の最新情報が、この【ウエスト】のどの支店でも得る事が出来る。
 情報は生肉以上に鮮度が重要。
 それを誰より理解しているのが、このギルドの創始者だと言われている。
 元々は『盗賊ギルド』と呼ばれていた荒くれ者の集団を統率し、その情報収集能力を
 最大限に生かし、広大な網を構築したのが、【ウエスト】の始まりだった。
 現在では、無数の情報屋が所属している他、流通の取り仕切りや税金の押収まで行っている。
「その中に一人、儂の子飼いの者がいる。しかしここ一週間連絡が取れない」
「……」
 フェイルは、自然と瞑目した。
 今の話と、自分の仕事を照合し、何処に接点があるか。
 息のかかったギルド員が消えたと言う事は、ビューグラスにとっては危機的状況と言える。
 通常、ギルドと他の個人、法人との関係は常にオープンでなければならないが、
 当然そんな関係ではないだろう。
 諜報ギルドのプロテクトがかかった情報を効率よく引き出す為に、高い金を払って
 買収している――――そう言う関係性である事は、火を見るより明らかだ。
 つまり、法を犯していると言う事。
 そんなビジネスパートナーが消えたとなれば、ビューグラスにはその失踪の理由に関係なく
 不具合が発生する事は間違いない。
 だが、フェイルは調査員ではない。
 その真相を探ると言う依頼ならば、別の機関に行く話だ。
 よって、既にその段階は過ぎていると言う事。
 調べはついている可能性が高い。
 と、なると――――
「失踪したそのギルド員を、生け捕りにする……?」
「流石だな。その通りだ」
 幾つか生まれた推論の中から、最も確率の高いものを選んだ結果は、正解だった。
「調査の結果、失踪の原因は『ビューグラス=シュロスベリーの抱えている秘密を法外な価格で
 買い取る』と言う人物が現れた事だった。情けない話だが、裏切られた格好だ」
 薬草界の重鎮とも言える人物とは思えない、覇気のない表情。
 それが、信頼していた人物の裏切りに対する失望なのか、自分の権力の枯渇を嘆くものなのかは
 定かではなかったが、いずれにせよ、心労を表すには十分な貌だった。
「現在、標的はこの住所の建物の中にいる。確実に生け捕りにして、儂の元へ届けて欲しい。
 期日は次の太陽が昇るまで」
「……了解しました」
 フェイルは逡巡ではなく観察によって生まれた若干の間の後、了承した。
 情報収集と捕縛を別の人間に依頼するくらいに慎重を期した作戦。
 この成否には、ビューグラスの今後に大きな影響を及ぼす事は間違いない。
「報酬は、通常の3倍払おう」
 その裏付けが一つ追加された。
 無論、責任の度合いも増す。
 尤も、だからと言って圧力が増える訳ではない。
 フェイルにとって、本職ではないこの仕事は、あくまで生活の為の作業。
 一回の失敗で全てを失ったとして、それがフェイルの本質まで砕く事はない。
 だらかこそ、このような仕事を一度の失敗もなく続けているのだ。
「それとも、稀有な薬草を譲渡する方が良いかね?」
 しかし――――そんなフェイルに対し、ビューグラスは粗悪な提案をして来た。
 彼にしてみれば、フェイルは薬草師でもあり、店を営んでいる事も知っているだけに
 より好条件を、と言う好意で言ったのかもしれない。
「僕が、貴方にそんな要求をした事がありましたか?」
 だが、本業と副業を完全に分けているフェイルにとっては、その提案は到底受け入れられるもの
 ではなかった。
「……そうか。そうだったな」
 怒気とは違うものの、普段とは異なる冷たさを感じたのか、ビューグラスは意識の上で一歩引く。
 薬草界の重鎮を近くに置きながら、今にも傾きそうな薬草店を営んでいるのは、
 フェイルにとって決して譲れない意地だった。
 知識や学問は得ても、流通や集客は一切一切頼らない。
 それは、店を構える上で決意した事項の一つだった。
「では、報酬は3倍のままで。宜しく頼む」
「はい」
 机に置かれた紙を取り、フェイルは部屋を出た。
 アニスの姿はない。既に寝静まっているのだろう。
 何となく安堵しつつ、住所を確認する為に紙を眺める。
 そこには、住所の他、その建築物の名称も書いてあった。
【宿屋『カシュカシュ』】
 それは、フェイルにも聞き覚えのある宿屋だった。
 この新市街地の一角にある、隠れ宿。
 表向きには鍛冶屋となっているが、実際には少数の訳ありな人物を住まわせる宿屋となっている、
 と言う噂が流れている。
 鍛冶屋は常に鍛造の為の鍛冶炉に火を焚いている為、一般人が近付く事は少ない。
 それを逆手に取った商売と言う訳だ。
 噂の域を超えない話ではあったが、今回それが事実だと判明した事になる。
 フェイルはその周囲の地理を脳裏に浮かべながら、歩を進めた。
 

 




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