クルル失踪事件と言う、微笑ましいイベントが解決し、2日が経過した。
 無事クルルを引き取ったノノは、フェイルの功績(?)を周囲の人々に進んで話し回り、
 その結果、食虫植物騒動において地の底まで墜落していた薬草店【ノート】の信頼も無事回復。
 どうにか最悪の状況は抜け出す事が出来た。
 尤も、この程度で回復すると言う事は、元々それ程深刻な状況ではなかった訳だが――――
「ふあ……」
 フェイルは安堵の混じった欠伸をしながら、日課である早朝ランニングに出掛けていた。
 勇者一行によってボロボロとなった店内の片付けも昨日無事終了し、本日はいよいよ
 店を開ける事が出来る。
 気候同様、非常に晴れやかな心持ちで、フェイルは風を切っていた。
 まずは、巡回コースの最初に訪れる、武器屋【サドンデス】の店舗が目に入ってくる。
 今日も店主ウェズ=ブラウンは活気に満ちた顔で出迎え――――
「……」
 るかと思いきや、腐った死神のような顔で、先日行っていた飾り付けを撤去していた。
 何より奇妙なのは、両目ともやたら腫れ上がり、まるで別人のような顔になっている点だ。
「おはようございます。あの、その顔は一体……」
「バカ野郎……野暮な事聞くんじゃねえ」
 悪態じみた言葉にも、普段の語気の雄雄しさは微塵も感じられない。
 余程凹んでいるらしく、肌の色にすら生気がない。
 フェイルは居た堪れなくなり、思わずその痛々しい顔から目を背け、店の様子を観察する事にした。
 数日前から設置されていた『勇者ご一行様 超絶大歓迎』と言う少女趣味的な広告看板が
 無残にもボロボロに破壊され、代わりに投げやりな字で『怨・恨・煩』、『殲滅上等』などと言った
 呪詛の記された物体が置かれている。
「クソが。何が勇者だ。来店するどころか、この辺りには姿すら見せなかったじゃねえか」
 いきり立っているかのような言動だが、表情には相変わらず覇気がない。
 怨念じみた気配は常に周囲を支配しているが。
「あの……余り気を落とさない方が」
 その理由の一要因である事を何となく自覚していたフェイルは、複雑な心境で言葉を選んだ。
「いくら勇者が来なかったといっても、損害が出た訳じゃ……」
「何ィ? このパッパラパーが! 見りゃわかるだろうが! 勇者効果を見込んで色々と費用を
 使い込んじまったんだよ! おかげで大赤字だこの野郎!」
「は、はあ」
 結果、逆効果だった。
「おかげでカミさん切れちまってこのザマだ。もう口も利いてくれやしねえ」
「そ、それはご愁傷様です」
 強面の元傭兵に鉄拳制裁を敢行する女性を想像し、フェイルは無駄に冷や汗を流す。
 この件に関して、余り関わり合いになるべきではないと言う信号が体内から発せられていた。
「そ、それじゃ僕はこれで。お大事に」
「おっと、ちょいと待て。お前に一つ聞きたい事があるんだこの野郎」
 去ろうとしたフェイルは、ギクリと言う擬音が鳴り響きそうな勢いで立ち止まる。
「何で勇者が来なかったか、お前知らな……おいコラ、バカ野郎! 全力疾走で去って行くなっ!」
 息切れを起こしつつ商店街を観察すると、至る所に『勇者最悪。樹海に迷って死んでしまえ』だの
『俺が路頭に迷ったのはお前の所為だ、勇者』だのと言った理不尽な罵詈雑言が書き殴られた壁や、
 丸められた色紙、倒された植木鉢、看板の破片などが四散している様子が、次々と網膜に
 飛び込んで来る。
 まるで暴動でも起こった後のようだ。
「当然だッ! いいか、勇者は世界中を旅するのだ。それはもう、数え切れないほどの街を、
 村を、城を渡り歩くのだ。それなのに、よりにもよってこの道具屋【ユーティリティ】を
 シカトしやがるなんて、こいつはどういう了見だッ! 死ねッ! 大手道具屋の店員みんな死ねッ!」
「……」
 道具屋の前で、かつて巨大な招き猫だった物体の欠片を掃除している店主のギャレス=サウスゲイトは
 血管を浮かび上がらせて吐き捨てた。
 そこに、元騎士団の面影は欠片も見当たらない。
 その後も、罵倒は続く。
 曰く――――
「勇者ぁ? 知りませんよそんなの! 見た事も聞いた事も、まして崇めた事など
 一度たりともありませんとも!」
 曰く――――
「勇者ってぇ、チョーブサイクでぇ、チョーヘタレなんだってぇ。チョーがっかりぃ」
 曰く――――
「勇者。私たちはその存在を余りに過大評価していたのでしょうか……」
 通りかかる先々でこう言った勇者に対する悪評が続いた。
 その殆ど、と言うか全てが過度な期待の裏返しによるものなのだが、中には店を畳もうとする者まで
 出てきており、『勇者到来セズ』と言う事態は予想以上の反響を生んでいる。
「……はあぁ」
 ランニングを終え帰宅。
 疲労以上に、フェイルの身体には様々な種類の言葉の棘が刺さっていた。
 勇者砲不発の責任が自分にあるとは思っていないが、仮にこの商店街で唯一、勇者(実際には候補)と
 接点を持った――――などと知れ渡った日には、妬みと八つ当たりでこれまでの良好な関係が
 崩れるどころか袋叩きにあう可能性もあるだけに、気苦労は絶えそうにない。
(って事は、勇者の冠で商売する事も出来ない、って事だよね……)
 重大な事実に気付いたフェイルは、思わず頭を抱える。
 しかし、いつまでもそうしている訳にはいかず、脱力した手で扉の鍵を――――
「……あれ?」
 開けようとした刹那、既に開いている事に気付く。
 閉め忘れていた訳ではない。
 記憶の中に、確かに鍵を閉めた情景が残っている。
 つまり――――何者かが開けた、と言う事だ。
「……」
 若干の緊張が、フェイルの体内から湧いてくる。
 次第にそれが集中力を刺激し、徐々にその目が細まって行った。
 フェイルには、鷹と梟、両方の目がある。
 だが、ここでそれらは必要としない。
 施行すべきは、内部の気配を察知する能力だ。
 研ぎ澄ました精神を、味覚以外の全ての五感にバランスよく配置する。
 瞬きを止め、呼吸を深くする。
(人の気配――――)
 それを察知すると同時に、フェイルは道端に落ちている小石を2つ拾った。
 現在、弓は持っていない。
 頼りになる武器は、投石のみ。
 それでも、盗賊程度ならどうにでも出来る自信はあった。
 ゆっくりと扉を開き、身を屈めながら地面を蹴る。
 体調は問題ない。
 反応速度、良好。
 筋肉稼動、良好。
 重心位置――――
「おかえりなさいませ店長!」
 ――――頭部へ過負荷。
 結果、頭から地面へ突っ込んだ。
「て、店長!? え、ええと……おかえりなさいませですます店長様!」
「いや、挨拶が気に入らなかったとか、そう言う事じゃないんだ」
「そうですかっ? よかったですっ!」
 気配の正体は、商店街全体から糾弾されている人物だった。
 その意味不明な満面の笑顔に、フェイルは溜息すら出尽くし、窒息しそうになる。
 勇者リオグランテ。
 確かに、他人を惹きつける笑顔を持ってはいる。
 勇者候補としての素養は垣間見えるが、今はそんな事に感心している状況ではない。
「……まずは問題点を整理しよっか。これから羅列する事柄に、一つ一つ丁寧に答えて欲しい」
「たいっ!」
 返事のつもりらしいが、明らかに噛んでいた。
 流石に指摘する気にもなれず、質問に入る。
「どうして中に入れたのかな? 鍵は掛けてたと思うけど」
「針金でチョイチョイっと! 得意分野です!」
「……どうして無断で侵入したの?」
「店員の務めです!」
「…………あそこにある『幼女に慕われている薬草屋さん』って書いた物は……一体?」
「色々と話し合った結果、何かキャッチフレーズがあった方が良いという事で、
 僕が徹夜で考えました!」
「……………………で、その格好は?」
「店員たるもの常に奉仕の心を持つようにと言う事で、メイどぅわっ!?」
 あどけなさの残る少年に対し、フェイルは全力で投石した。
 悲鳴とも返事とも取れない奇声を発し、そのまま背後に倒れる。
 失神したリオグランテの姿をボーっと眺めつつ、薬草店【ノート】の店主は膝から崩れた。
「うう。選択を誤った……」
「返す言葉もありません」
 いつの間にか隣にいるファルシオンに驚く余裕すらもない。
 ちなみに格好は至ってノーマルだ。
「昨日の顛末を話したところ、おかしな方向にテンションが上がってしまったみたいで」
「止めなかった君達も同罪だよね……で、お宿は取れたの?」
 色々話し合った結果、勇者一行は身分を隠し、旅人としてこの町に暫く留まる事になっていた。
 その拠点とする宿を探す為、昨日は色々奔走していたらしく、まだ店の説明も出来ていない。
「はい。偶然にも、井戸の辺りで妙な首輪を拾い、その首輪が偶々宿屋の主人の母親の形見
 だったらしく、そのお礼として無料での宿泊が可能に」
 いかにも勇者一行らしい経緯と顛末だった。
 首輪が母親の形見と言う、余り想像力の翼を広げると精神衛生上よろしくないであろう事実を除けば。
「出勤初日から何やってるの? この子……」
 そこにフランベルジュが到着。
 疲れた顔でリオグランテの頬をペシペシ叩いている。
 手馴れたもので、直ぐに勇者は目を覚ました。
「……取り敢えず、今日はお店の説明をするから、その辺に適当に座って」
 まだ日が昇って間もないと言うのに、フェイルは一日中肉体労働に終始した日の夕焼けを眺めるような
 心境で、カウンターに入った。
「見ての通り、ここは中小規模の薬草店。不本意だけど、決してお客様の数は多くはない。
 労働力の大半は商品管理及び店内の衛生管理に使用されると思って貰って良い」
「中小規模じゃなくて零細規模でしょう?」
「よって、君達には掃除と整理を担当して貰おうかな、と」
 店長口調でキッパリ言い放つ。
 途中のフランベルジュの鋭い指摘は冷や汗と共に放置した。
「異議があります」
 そんな中、丁寧な物言いでわざわざ挙手したのは――――ファルシオンだ。
「私達の特徴・能力を考慮した場合、その人材配置は必ずしも適材適所とは言い切れません。
 従って、変更を要求します」
「変更と言っても、新入りに接客とかお金の管理を任せる訳には行かないよ」
 フェイルのその言葉は当然のものだった。
 幾ら勇者候補一行としての身分が国王から保証されているとは言え、短期の労働者に
 店の根源とも言える部分は到底任せられない。
「信用がない、と言う事ですか」
「それもある。ただ、労働って言うのはね、才能や知識や経験より、何より『責任』が重要なんだ。
 だから、例え能力の高い人でも、最初は低い地位に甘んじて小さな仕事をコツコツとやって、
 信用を築いて行く。それが社会の原則なんだよ」
 クドクドと社会の掟を説明する店主に対し、店員の1人はあからさまに失笑した。
「こんな今にも押し倒されそうな店にそんな原則を適用しても、積み上がる前に土台ごと
 崩れるんじゃない?」
「崩れません。何と言われても、この配置は絶対だからね。店主命令」
「横暴」
 フランベルジュのジト目に対しても、フェイルは強い心で耐えた。
 そんな中、ファルシオンが淡々と口を開く。
「店長のおっしゃる事はごもっともです。しかし、私達は任務を抱えている身なのです。
 信用を得るだけの時間はありません」
「そう言う事。何事も臨機応変に対応しないと」
「くっ……じゃあ、どうしろと」
 何故かしたり顔のフランベルジュに苛々を募らせつつ、仕方なく店員の要求を聞いてみる事にした。
 すると、挙手したのは以外にも勇者リオグランテ。
 嫌な予感はしつつも、フェイルは発言を許可する。
「あのですね。手前味噌ではありますけど、勇者の訪れた店、勇者の購入した商品、勇者の宿泊した宿、
 これぜーんぶ、それまでの数倍、数十倍の売上げになるらしいですよ。これを利用しない手はないと
 思います!」
 ついに当人にまで言われてしまった。
「それは完全却下の方向で」
 フェイルは朝の顛末を覇気のない顔で話して聞かせた。
「……そんな事になってたの?」
 事の重大さを理解したのか、フランベルジュは露骨に顔をしかめていた。
「仮にここで、勇者一行の利用したお店など宣伝した暁には、ここにいる全員、商店街の皆様から
 漏れなく袋叩きだよ」
「はう〜」
 リオグランテはダーッと滝のように涙を流していた。
 実際、悪評を貰っているのは彼自身なので、その悲しみは致し方ないところだ。
「では、リオの意見は却下として……それでも、身分さえ明かさなければ接客くらいは出来ると思います。
 経理も、直接お金に触れずに計算上のみで行えば、特に問題はないかと」
「うーん……ま、良いか」
「では、経理全般は私が受け持ちます。フランは接客を。リオは……」
 こうして、短期労働者の配置はファルシオン先導によって決定した。
 さりげなく妥協点を提示し、さりげなく争点をぼかして、妥協に対する見返りと言う体でさりげなく
 主導権を奪う。
 話術の初歩であり、同時に詐欺の初歩でもある。
「……君が接客した方が良いんじゃない?」
「私は表立って行動する性質ではないので」
 無表情で言い放つ。
 その言葉には、何処か空虚な響きがあったが――――疲労困憊のフェイルにそれを理解する
 余裕はなかった。




 

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