薬草の市場と言うのは、数多ある商品の中にあって、やや特殊な部類に入ると言われている。
 民間人より専門家の需要が圧倒的多数を占める武器や防具、逆に一般人がシェアの殆どを
 占める衣服類や靴、食料全般等と言った商品と比較すると、薬草は専門家と一般人の
 購入比率の割合が拮抗していると言う傾向が見受けられるのだ。
 薬草と言う名称から、治療に使用する物と言うイメージが先行されがちだが、
 実際には香りを楽しんで精神を落ち着かせたり、料理に使用したりする事も多く、その為
 一般人の購入者も多い。
 ただ、その場合は生活必需品ではなく嗜好品としての割合が多数を占める為、
 需要の数だけを見ると決して多くはない。
 一方、治療用として使用される薬草は、施療院、診療所と言った期間で大量に購入される。
 しかしながら、戦争がなくなって長い年月が経つこのご時勢、怪我人の数は激減し、
 以前ほど多くの薬草は必要なくなっている。
 まして、治療費を摂らない施療院の場合、民間の薬草店から薬草を仕入れるケースは
 非常に少なく、基本的には教会が薬草園で育てた薬草で治療に当たるので、薬草市場から
 薬草が流れる事はない。
 以上の理由から、現在薬草業界は深刻な不況に突入している。
 そんな中、淘汰されていくのは、人件費や維持費の掛かる中堅店と、資本力が弱く
 吹く風に簡単に吹き飛ばされる弱小店舗。
 従業員一名の薬草店【ノート】がどれに該当するかは、指摘するまでもないだろう。
 では、そんな弱小店舗が生き延びるには、どうすれば良いか。
 当然、出資を極限にまで減らし、細く長く生きていくと言う選択しかない。
 既に人件費も限界まで減らしている【ノート】が次に削る場所と言えば――――仕入れ。
 即ち、店で売る商品を購入する費用の事だ。
 仕入れを安く済ませれば、その分選択肢は広がる。
 市場価格と同等の値段設定にしてその分単価を稼ぐか、安い値段設定にして他の店より
 お客に魅力的に感じて貰えるようにするか、だ。
 いずれを選んでも、好転する事は間違いない。
 仕入れをどれだけ抑えられるかと言うのは、商売を営む者にとっての永遠の課題とも言える。
「すいません、いつも無理言って」
 そして、フェイルが商品の補填を行う上で最も重宝している仕入先はと言うと――――
 教会だった。
 正式名称は、アランテス教会ヴァレロン支部。
 隣国【デ・ラ・ペーニャ】が誇る世界最大の宗教であり、『魔術』の存在意義を説く
 アランテス教を普及させる為の施設だ。
 この世に現存する魔術士は全て――――ではないが、大多数がアランテス教徒として
 その教えを受け、世に広めている。
 ちなみに、フェイルは無神論者だった。
 デ・ラ・ペーニャと違い、国教と呼べる宗教がない、正確には多数の民族が混在している
 このエチェベリアにおいては、無神論者も少なくない。
 何かしらの神を崇めれば、漏れなくその宗教に組する者として、手厚い援助を受けたり
 施しを得たりする事も出来るのだが、それを善しとしない者も結構いる。
 フェイルもまた、その一人だった。
「いえいえ。こちらとしましても、余剰在庫になる所を助けて頂いていますから」
 しかし、そんなフェイルが何故教会で仕入れを行えるのかと言うと――――単純に
 その教会支部の司祭、ハイト=トマーシュと懇意にしているからだ。
 司祭と言っても、この支部はかなり小さい教会で、彼の他にはシスターが一人いるだけ。
 そんな零細的な部分が共通している事もあって、施療院へ収める為の薬草が栽培されている
 薬草園から、余った分を譲り受けていたりする。
 その為、決して高品質、稀品種と言う訳ではないが、十分売り物として出せる薬草を
 無料で入手できるのだから、こんなありがたい事はない。
「そう言えば、もう直ぐこの土地に勇者一行が立ち寄るかも知れない、と言う噂が
 流れていますね。フェイルさんもご存知でしょうか?」
 そんなフェイルにとって大恩人とも言えるハイトは、のほほんとした口調で
 そんな事を聞いてきた。
「あ……は、はい。周囲のお店はその話題で持ち切りみたいです」
 実際には、既に対面しており、しかも本日から従業員として雇う予定だったりするのだが、
 流石に本当の事は言えず、適当に茶を濁す。
 教会の司祭まで留意する『勇者一行』の存在。
 一昨日までのフェイルなら、それに多少なりとも敬意を表す事が出来たのだが、
 今となっては敵意と刻意しかない。
「楽しみですね。一行の中には魔術士もおられるようで……この教会にも足を運んで
 くれると良いのですが」
 ハイトはニッコリ微笑む。
 司祭と言う役職に就いているものの、その容姿はかなり若々しく、20代と言っても
 何ら違和感なく通るくらい、その姿は瑞々しい。
 実際の年齢も若いのか、俗的な意見を覗かせる事も少なくないが、言葉遣いの丁寧さと
 たおやかな姿勢からか、下品さは微塵も見られない。
 聖職に就く者としては、珍しい部類の人間だった。
「えっと……余り期待しない方が良いかも」
 そんなハイトに対し、フェイルは回答に困りつつ、明後日の方を見て頬を掻く。
 あの連中が勇者一行(しかも正確には候補)だと言う事実を、眼前の純真な男性が
 知る事は、余りに残酷だと感じていた。
「そうですね。このような小さな教会、勇者一行が立ち寄る筈は……」
「ああっ、そう言う意味じゃ! すいません! すいません!」
 何気に顔に影を作って落ち込むハイトに、フェイルが慌ててフォローを入れようとした
 その時――――二人の背後から足音が聞こえた。
「失礼。この教会の代表の方はどちらだい?」
 やけにフランクな話し方だが、声色は妙に暖かい。
 フェイルは振り向き、その人物に視線を送る。
 そこには――――見覚えのない男の姿があった。
 まだ20代中盤と思われるその男は、無精髭を生やし、一見だらしないように感じられる。
 纏っている白衣も着崩しており、表情も何処か気だるげ。
 教会に縁のある人間には見えない。
「私です。ご用件を伺いましょう」
「ああ。この教会の管轄してる施療院を知りたいんだが……」
 そのリクエストに、ハイトはにっこりと微笑んで、白衣の男の方へ歩み寄る。
 来客の手前、これ以上の長居は迷惑と考え、フェイルは一言礼を言い、祭壇に背を向けた。
「ビューグラスさんに宜しくお伝え下さい」
 ハイトのその声に振り向き、頷いて見せる。
 この街における統括者ビューグラス=シュロスベリーが、アランテス教会ヴァレロン支部に
 多額の寄付金を寄贈しているのは、既に周知の事実となっていた。
 これもまた、弱小教会の生きる術だ。
「……」
 微笑んだままのハイトの隣で、白衣の男は若干眉を上げ、フェイルの方に視線を送っている。
 そっちにも会釈し、再び踵を返した。
 そして、早朝ランニングの再開。
 仕入れと言う目的も果たしたので、後は普段通りに体力作りに勤しむのみ。
 途中、勇者一行お出迎えの煌びやかな看板を潜り、勇者一行を呼び込む為の様々な趣向や
 試行錯誤の後が見受けられる飾り付けや『大特価』、『大安売り』、『本日特売日』
 などの看板を左右に流しつつ、フェイルの足は自身の店へと辿り着いた。
「随分ゆったりとした朝なのね。薬草店って」
 そんなフェイルを待ち受けていたのは、女剣士フランベルジュの不機嫌な顔。
 寝不足なのか、目の下には薄っすらと隈が見える。
 美人が台無しだった。
「朝一で薬草を買いに来るお客さんなんて、そうそういないんだ。ここで働く以上って決まった
 以上は、そう言う事も色々覚えていってね」
 とりあえず、勇者一行と言う名の嵐が逃げ去らなかった事に安堵しつつ、フェイルは
 鍵を取り出し、店の扉を開ける。
「他の二人は?」
「もう直ぐ来るんじゃない? 私が早めに来たのは、貴方に言っておきたい事があったからよ」
 そのフェイルの背中を追うように、フランベルジュも室内へ入って来た。
 軽やかな足取りとは対照的に、その語調はやや暗い。
「……私の失態は認めるし、ここで働く事にも異論はないけれど。私、こう言うお店で働いた
 経験がないから、何をして良いのかサッパリわからないの」
「はあ。まあ、剣士だから当然だと思うけど……」
 それが何か? と聞こうとした刹那、フランベルジュは爪先で床をコツコツ叩きながら、
 意を決したように声の音量を上げた。
「具体的に何をすれば良いか、今の内に教えておいて」
「……今の内?」
 当然、感じるのは違和感。
 他の二人にしても、薬草店で働いた経験があるとは思えないのだから、まとめて説明した方が
 明らかに効率は良いし、実際フェイルはそのつもりでいた。
 先だって教えを請う事に、どんなメリットがあるのか――――
「だっ、だって……このままだと、またファルに冷たい目で見られるから……」
 その回答は、意外と単純だった。
 要するに、今回の件で仲間に対して与えたマイナスイメージを払拭すべく、予習をしておきたい
 と言う事らしい。
 まるで、教師や親に怒られた子供のような理論だった。
 先日の大立ち回りと言い、この件と言い、可憐さより精悍さが前に立つ容姿とは裏腹に、
 精神年齢は余り高くない印象を受け、フェイルは思わず苦笑した。
「な、何よ」
「いや、ごめんなさい。別に悪気があって笑ったわけじゃないんだ」
 知り合いの女性に似ているから――――と言う本音は漏らさず、口元を手で覆う。
 店をメチャクチャにされた張本人を相手に和んでしまうと言うのは、本来余り取るべき態度では
 ないのだろうが、フェイルの勇者一行に対する印象は若干変動した。
「ま、でも少し遅かったみたいだね」
 まだ少し笑気の残る口元を引き締め、そう唱える。
 刹那――――
「あのー、ごめんくださーい……」
「失礼します」
 残りの二人が扉を開く。
 フランベルジュはその事実に暫し驚き、フェイルの方にその丸い目を向けた。
「……どうしてわかったの?」
「勘。職業柄、店の前に人気があると、なんとなくわかるんだ」
「へえ……そう言うものなの。一つ勉強になったかも」
 何故か、フランベルジュはいたく感心した様子でメモを取り出した。
 羊皮紙を小さめに切り、紐で留めているそのメモ帳は、既に半分以上が使用済。
 かなり勤勉な性格らしい。
「それじゃ、集まった所で説明を始めよっか。この薬草店【ノート】で、何をして貰うか――――」
「フェイル!」
 そんなフェイルの進行を、突如乱雑に開かれた扉が妨害する。
 そして、風のような速さで進入して来たのは――――
「あ、アニス? 珍しいね、ここに来るなんて」
「そんな事は良いの! あなた、ノノちゃんを泣かしたって本当!?」
 フェイルにとって、幼馴染の女の子。
 そのアニスは凄まじい剣幕でフェイルの胸倉を掴み、顔を限界まで近付けて来た。
「私、言ったよね。ノノちゃんを泣かしたら絶対許さないって」
「いや、そんな新婦の父親みたいな事言われても……あれは不可抗力だったんだって」
「問答無用。ここに直りなさい。わかるでしょう、悪い子にはお仕置きが必要なの。それじゃ罰として、
 この『ネズミの尻尾 炭火焼き』を早速食べて。さあ食べて!」
「明らかにノノの為じゃなくて自分の都合の為のダシにしてるよね! って言うか
 結局炭火で焼いちゃったの!?」
 しかも、尻尾は炭のように黒く黒く焦げていた。
「い・い・か・ら・食・べ・な・さ・い」
「い・や・だ」
 フェイルの口にピンセットで摘んだその炭を放ろうとするアニスに対し、フェイルは
 男性の腕力で抵抗を試みていた。
 そんな拮抗する攻防を、勇者一行は沈黙の中で見つめている。
 突然の出来事に戸惑っているようだ。
「ところで、この人達、お客さん?」
「違うけど、お客さんだって言う可能性を考慮した行動を取って欲しいよ……」
 鼻息と嘆息が混じった攻防を一通り見終えた三人は、それぞれ顔を見合わせ、誰が話しかけるかを
 目で確認していた。
「あの、取り敢えず落ち着いて下さい」
 結果、ファルシオンが制止を試みる。
「はーい」
 あっさりとその言葉に従ったアニスは、少々不満げに長細い炭を店の床に投げ棄てた。
「ああっ、店の風紀を……」
 慌ててそれを拾うフェイルを尻目に、自己紹介合戦が始まる。
「アニス=シュロスベリーです。はじめまして」
「ファルシオンと言います。隣がフランベルジュ、その隣がリオグランテです。隣国への旅の途中に
 路銀が尽きてしまって、暫くここで働かせて貰う事になりました」
 勇者候補とその仲間達である事は伏せつつ、事情説明。
 それを聞いたアニスは、まるで雷にでも打たれたかのように、一瞬身震いをして両手で頬を覆う。
「う、嘘でしょ!? だってこのお店にそんな余裕ある訳が……」
「言っている事は事実だけど……もう少し言い方とかさ、考えて貰えないかな」
 炭と化した尻尾を外に放り、フェイルは嘆息しつつアニスに半眼を向けた。
「でも、実際こんな有様だし」
 それに対し、アニスも同じ目を向ける。
 ちなみに、昨日勇者一行その他が暴れまわった痕跡はそのまま残っていた。
「これは、今から片付けて貰おうと……」
「フェイル兄様ー!」
 再び、突然の開扉。
 今度はノノの登場だ。
「あら、ノノちゃん。お久し振り」
「あ……はい。お久し振りです」
 そんなノノは、アニスの姿を確認すると、いきなり借りてきた猫のように身を縮こませ、会釈する。
 若干その様子に傷付いたアニスを尻目に、フェイルは再訪してくれた近所の女の子に安堵しつつ、
 一向に話が進まない状況を憂いだ。
「……ま、仕方ないか。ノノ、どうしたの?」
「あのね、クルルがいなくなっちゃったの」



 

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