世の中には、凄惨な出来事と言うのは毎日のように何処かで勃発している。
 ただ、その多くは、何らかの前触れがあり、そしてその複線をまるで頬を流れる雫のように
 伝っていき、そして発生する物だ。
 しかしこの日、薬草店【ノート】を襲撃した何ら予備動作のない惨劇は、世界レベルで見れば
 決して大きな問題ではないのだろうが、それでも結構な悲劇となった。
「……以上。推測となりますが、18,754ユローの損失です」
 たった一日。
 たった一日で、全商品総額の3割以上が商品価値を失った事実を、フェイルは棒読み口調で
 淡々と述べるしかなかった。
 その原因となった内の二人――――フランベルジュとリオグランテは、正座でその報告を聞いている。
 ちなみに残り一人のオカマは、切り傷だらけとなった挙句に逃げ出し、もうここにはいない。
「……」
「あ、あのっ。か、返します! 何とかして返しますから、無言で天井に縄をかけないでください〜!」
 慌てて制止する勇者リオグランテの顔を、フェイルは酷く緩慢な動作で見つめる。
 先端に輪を成した縄はブラーンブラーンと触れ腐れるように揺れていた。
「どうやって」
「ど、どうやって……えっと、何とかします!」
 リオグランテは睡眠たっぷり充電完了と言った爽快な瞳で、強く拳を握り締める。
 そこには理論など一片も入り込む余地のない精神論だけがあった。
「……立……不……許……」
「ああっ!? 縄を首にかけて念仏を唱え始めないで下さい!?」
「冗談はそこまでにしましょう」
 先立つ不幸に許しを請うフェイルや慌てふためくリオグランテを諌めるように声を上げたのは、
 唯一先の件に全く関与していないファルシオン。
 物静かな雰囲気で、常に一歩引いた立ち位置いた彼女が、初めて前に出た格好だ。
「私に一つ案があります」
 ファルシオンはそう宣言すると、正座したままバツの悪そうな顔をしているフランベルジュに
 目線を送り、何らかの確認を取った。
 それが何なのか――――フェイルにはわかる術もないが、そのアイコンタクトでフランベルジュの
 表情が変わった事から、少なくとも実のある提案である事は期待出来る。
 ただでさえ倒れる寸前だった自分の店が、巨人族にでも踏み潰された挙句100年に1度の嵐で
 吹き飛ばされたかのような状況に陥った店主としては、その提案に耳を傾けるしかない。
「それじゃ、説明をお願いするよ」
 ただ、流石にこれ以上敬語を使用する気にはなれなかった。
「……わかりました」
 ファルシオンは、両方を承諾するかのように敢えてそう唱え、小さく会釈した。
 その佇まいは、何処か幻想的ですらある。
 尤も、それは神秘的と形容されるような神々しさではなく、なんとなくメルヘン的な意味合いで、だ。 
「それを話す前に、私達の事を少し紹介させて頂きます」
 そんな姿に知的な瞳と覚悟の色を携え、魔術士ファルシオンは胸に手を置いた。
「先刻証明した通り、私達の身分は『勇者一行』です。しかし実際には、その中間に『候補』と言う
 2文字が入ります」
「え?」
 候補――――将来、ある地位や状態につく資格、見込みのある事。または、その人物。
 補正後の彼らの身分は、すなわち『勇者"候補"一行』。
 勇者見習いとその仲間たち、と言う事になる。
 当然、『勇者一行』とは天と地の差がある。
「このリオグランテは、まだ勇者ではありません。厳密にはその才能を見出され、国王様から
 近い未来の勇者として期待されている段階です。正確には、面接に合格して現在は試験の段階です」
「……どう言う事?」
 首を捻るフェイルに、フランベルジュが何か言いたそうに一瞬口を開いたが、直ぐに自粛する。
 率先して暴れたように見えたが、一応反省の色は濃いらしい。
 続けるのは、これまで通りファルシオンの役割となった。
「かつて、勇者の称号とはすなわち、偉業を成した人間に送られる物でした。しかし今は平和な世の中故、
 こう言うシステムにしないと勇者が誕生しないのです」
 余りに切ないその意見に、フェイルは思わず嘆息した。
 つまり。
 現代における勇者と言うのは、生まれるのではなく、作られる存在になった、という事だ。
 候補者を募り、面接を実施し、試験を行い、勇者であると言う資格を得る。
 勇者自体に適正など存在し得るかどうかと言う問題以前に、そこまでして『勇者』と言う称号を
 作らなくてはならない理由は――――少なからずある。
 民衆を納得させる為だ。
 勇者と言う存在は、どうも国政の一つに組み込まれてしまったらしい。
「あの証明書は?」」
「本物です。ただ、仮の証明書なんです。本物の勇者に発行される物は、書式から文面まで全く
 別の物だそうです」
 何故仮の証明書など必要なのか――――フェイルが疑問に思った刹那、それを感じ取ったのか、
 ファルシオンは補足を始めた。 
「勇者としての試験の一環として、現在私達はとある重大任務を国王様直々に賜り、その遂行中と言う
 状態にあります。その際に、仮でも証明書が必要なのです」
「任務? 内容は……聞かない方がいいのかな」
「……隣国デ・ラ・ペーニャへ向けての親書を届ける、と言うものです」
「ファル!?」
 先程の意思疎通が不完全だったらしく、フランベルジュが困惑の表情で叫ぶ。
 そして、狼狽をそのままに正座した足を伸ばして立ち上がり――――
「あんたちょっ……うわわっ!」
 バランスが取れずに思いっきり転倒した。
 痺れて感覚がなくなっていたらしい。
 結果――――
「ぇぎゅっ!?」
 倒れ込んだ方角にいたリオグランテの顎先を肘で強打。
 全体重をかけた肘打ちを眉間に受けたリオグランテは、再び気絶した。
「あ、ご、ごめんなさい!」
「聞こえてないと思われます」
「……っ」
 努めて冷静に状況判断を行うファルシオンに対し、色々言いたそうな顔をしつつも、フランベルジュは
 無言で座り直す。
 失態続きの自身を恥じているのか、頬はやたら赤い。
 外見はこの中で最も大人びているが、中身は一致していないらしい。
 フェイルは緩む頬に力を入れつつ、リオグランテの痣になった眉間に手を寄せる。
 幸い、骨は窪んでいなかった。
「この程度なら、コンフリーの葉汁を吸わせた布を当てておけば大丈夫。何処にあったかな」
 薬草店の店主らしく、処方の確認。
 幸い打ち身用の薬草コンフリーは直ぐに見つかり、手際よく磨り潰す。
「水があった方が良いかな。そっちに樽と水桶があるから、悪いけど組んで来て貰える?」
「わ、わかった」
 体よくお邪魔虫の排除に成功し、ようやく本筋が再開。
「……にしても、いいの? 彼女の反応を見るに、話すと拙い事みたいだったけど」
「私達は誠実に、正直に話さなければいけない立場ですから。その結果痛手を被ったとしても、
 それは仕方のない事です」
 そんなファルシオンの言葉に、フェイルは感心を覚えた。
 外見上、自身と同世代か年下と思われるこの女性は、単に下手に出ているという訳ではない。
 今、ファルシオンによって支払われた代価は、フェイルにとっては特に重要ではない情報。
 しかし、それは一方で国家機密と言って差し支えないほどの内容だ。
 この手の情報は、闇社会ではかなりの高額で取引される。
 しかし、実際に売るとなると、隣国へ向けた親書を証拠として添える事が必須となる。
 そうでければ、たかが薬草店の一店主がのたまう戯言でしかない。
 つまり、親書が勇者候補一行の手にある限り、この情報の漏洩によって痛手を被る事にはならない。
 だが、誠意を示したという主張としては十分だ。
「交渉慣れしてるんだね」
「一応、パーティー内の経理・財務を任されていますので」
 特に表情を変える訳でもなく、そう呟く。
 褒められ慣れているのか、感情表現に乏しいのかは定かではない。
 いずれにせよ、勇者候補一行の中では一番の、と言うより随一の常識人のようだ。
「成程……ところで、さっきの妖怪みたいな男は何なの? 出来ればあっちにも損害賠償を
 請求しておきたいんだけど」
「酒場で今後の指針を練っている際に、その……リオグランテが絡まれまして。それで、ファルが」
 フェイルはその絡まれ方に関しては、余り深く追求しなかった。 
 気分が悪くなりそうだったからだ。
「と言う訳で、私達は現在、リオが勇者となる為の試練として、デ・ラ・ペーニャへ向かう旅を
 しています。ですが、色々と訳があって……路銀が尽きてしまいました。スポンサーとの契約上、
 所持している武器防具を売却する事も叶いません」
「……何となく話が読めて来た」
 長らく脱線していたが、この話の本筋――――弁済の方法の一案が、ようやくここで見えて来た。
 同時に、フェイルは脱力感に見舞われる。
 お世辞にも建設的とは言い難い提案がこれから成される事が想像出来たからだ。
「先程も言いましたが、無い袖は触れません。ですので、弁済金額分をここで働く労働力で
 支払う、と言うのは……」
「それは……無理なんだ」
「何故ですか?」
 あっさりと拒否された事に少なからず動揺があったようだが、焦りの見える言動までの間の短さとは
 裏腹に、その表情には一切の狼狽色が見えない。
 元々見え難い感情色はそのままに。
 交渉慣れと言うより、そう言う性質の女性なのかもしれないと思いつつ、フェイルは理由を
 述べる事にした。
「見ての通り、この店は規模も小さくて、一日辺りの利益もとても小さい。だから、人件費での補填は
 出来ない相談なんだ。一人で切り盛りしてるから」
「一人?」
 意外そうにそう呟いて店内を嘗め回すように眺めたのは――――勇者(候補)の治療を終えた
 フランベルジュだった。
「そう……一人で……へえ」 
「あの。実家の近所のおばあさんが一人で経営してる駄菓子屋を眺めるようなその目は
 止めて欲しいんだけど」
「同じようなものじゃない」
「……多少は違うつもりだよ」
 微妙な譲歩を含みつつ反論したフェイルだったが、今ひとつ同意は得られなかった。
「兎に角。ここには人を雇うどころか明日店を開ける余裕もないんだ。金策は、他を当たって貰いたい」
「良いのですか?」
「……どう言う意味?」
 疑問に対し疑問で返す――――これは主導権の譲歩に繋がる為、本来であればやるべきではない。
 しかし、フェイルは反射的にそう口走ってしまった。
「私達は身分証明こそしましたけど、保証人もいませんし、実家の住所も教えていません。
 つまり、このままここを出て黙って街を去ってしまえば、貴方には損害賠償を請求する事が
 出来なくなります」
 ファルシオンのその物言いに、流石にフェイルは顔をしかめる。
「勇者候補が借金踏み倒し? 国王に通達するよ?」
「通じると思いますか?」
「……」
 思わず押し黙る。
 実際、『あんたらが認定した勇者候補がウチの店をメチャクチャにして、弁償もせずに
 いなくなりました。あんたら代わりに返済して』なんて文書を、城に送るなり直接乗り込んで叫ぶ
 なりしても、取り合ってくれる可能性は皆無だろう。
 そこまで民衆に構う王家など、逆に気持ちが悪い。
 フェイルは半ば脅迫めいた事を言われたにも拘らず、言い返せずにいた。
「ちょ、ちょっとファル。幾らなんでもそれは……」
「フランは黙ってて下さい。もう少しで籠絡出来そうなんですから」
「……今なんか、決して言ってはいけない類の本音が聞こえて来たような」
「冗談を言いました」
 真顔でキッパリ言い放つ。
 それを見てフェイルは確信した。
(……この一行は全員危険だ)
 出来れば、素で関わり合いになりたくない類の人種。
 しかし時すでに遅し――――運命を呪うしかない。
「と、兎に角! ここには元々人件費が存在しないんだから、雇うのは無理! 他の店とかギルドで
 身体を酷使して工面するとか、方法を模索してよ!」
「身体を売れと?」
「そうそう、売れる物は何でも売っぱらって……って。え?」
「……最低」
 フランベルジュは軽んじ蔑む眼差しでフェイルを突き刺した。
「い、いや待って。今のは違う。今のはよく意味を理解しないままつい……」
「つい、身体を売るよう強要した、と?」
「強要はしてないって!」
「確実に焦っていますね。嘘を吐く人間の典型的な反応です」
 言葉の綾と言うのは、誰にでもある。
 平常心でない時であれば珍しくもない。
 例えば、親や親友との喧嘩の際。
 例えば、自分が窮地に追いやられている時。
 典型的な後者の状況に追い込まれ、フェイルは戦慄で身震いした。
「著しい風紀の乱れね。これはもう、憲兵に報告して業務停止処分を下して貰うしか」
「えええっ!?」
 フェイルはこの上なく狼狽した。
 冷静に考えれば無茶苦茶な理論なのだが、実際問題として、初対面の女性二人に侮蔑の視線を同時に
 投げつけられたら、心ならずも自分が悪者になったような気になってしまうものだ。
「ま、待って! そんな理不尽な……」
「黙りなさい下衆。私はこう言う男尊女卑を絶対に許さない。淘汰よ。殲滅よ。全てこの世から
 排除してやる」
 フランベルジュの目が、紅蓮に染まる。
 形容ではあるが、実際にそう見えかねないほど血走っていた。
「彼女は女性差別的な扱いを嫌悪しています。このままでは、確実にこのお店は業務停止という事に
 なるでしょう」
「ど、どうすれば?」
 何故か助けを請う立場に突き落とされたフェイルに、ファルシオンは微かに口の端を吊り上げた。
 初めて見せた明確な表情の変化は、どこか小悪魔的な笑み。
 その顔のままに回答した。
「私たちを働かせればそれで解決です」
「だからそれは!」
「給与は歩合制で。しかし30日以上の時間の消耗は、任務を抱えた今の私達には出来ません。けど……」
 そして、ファルシオンはそんな小悪魔の顔から無へと表情を戻した。
「順当な利益を上げれば、直ぐにでも損害分を補填出来ます」
「そんな簡単に行く訳……」
「私達は勇者一行です。勇者を癒す薬草、勇者の食す薬草、勇者の使用する鈍器……これら全て、
 それまでの数倍、数十倍の売上げになる筈です」
 ついには当人達から聞いてしまった。
 そして、フェイルは確信する。
 今回の件に一番関与していない筈のこの女性が、最もこの件を悪化させていると。
 この薬草店【ノート】の行く末は全て、魔術士ファルシオン=フローライトの手の中だ。
 いずれにしても、再起を図るにはその案に乗るしかない。
「……わかった。雇う」
 フェイルは屈した。
 そしてそれは、薬草店【ノート】の転機の瞬間でもあった。
「では、宜しくお願いします。薬草屋さん」
 特にニッコリするでもなく、と言うか全く顔を動かさず、声色すら平常時と変えず、
 ファルシオンは友好的な挨拶の言葉を投げかけてきた。
「それにしても、華の無い店。良く今日まで持っていたものね」
 一方、フランベルジュは柄で店の柱をガシガシ叩きながら、これから世話になる
 職場の悪態を平気で吐いていた。
「ううう……止めて下さい……尖ったのは苦手なんですってばあ……」
 そして、勇者候補リオグランテは夢の中で先端恐怖症で悩まされていた。
 噂に上っていた勇者一行のそんな姿を改めて一瞥し、フェイルは頬の辺りを
 引きつらせ、視線を切る。
 そして、彼らを称した言葉を、床に向けて放った。
「……疫病神ばっかりだ」

 



 

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