薬草屋【ノート】の朝は早い。
 朝6時には商品、在庫の整理と点検を始め、昨日売れた商品の補充を行い、同時に人気のある品と
 そうでない品をチェックしてリストアップして、在庫の数と照らし合わせ、収穫目標と仕入れの為の
 注文書を作成する。
 薬草の入手方法は、大きく分けて三つ。
 自分で収穫するか、卸売業者から仕入れるか、薬草園から分けて貰うか。
 収穫する場合は、山なり野原なりに出かけ、自分の手で集める事になる。
 費用は掛からないが、時間と手間が掛かるし、自分の希望する種類と量の薬草が手に入る保証はない。
 卸売業者は、世界に流通網がある為、その国には本来生出しない薬草も入手できるが、
 新鮮度は期待出来ず、値段も高い。
 そして、薬草園からの入手は――――教会が管轄するその地域の施療院が独占する事も多く、
 中々目当ての物を得られないケースが多い。
 優先順位が低いのは致し方ないが、卸売業者から仕入れるよりは価格は控えめと言う特徴がある。
 それぞれに一長一短ある為、必要な薬草によって入手方法を分けるのが一般的だ。
 ただ、薬草屋【ノート】は商業的にかなり厳しい状況である為、卸売業者から仕入れる分は
 最小限に抑え、可能な限り自身で収穫するようにしている。
 スタッフはフェイル一名。
 その為、収穫する間は店を閉めなくてはならない。
 早朝や夕方だけの短い間で集められる訳ではないのだ。
 尤も――――余り売れていないと言う事は、同時に補充すべき商品も少ない事を意味する。
 よって、収穫に要する日数は一月の間でも一回程度しかない。
 実際、この日の『要補充リスト』に名前の載った薬草は、一つもなかった。
 一方、『追加希望リスト』には数種類の薬草が載っている。
 主に料理用のハーブだ。
 薬草と言うのは主に治療に使われるものと思われがちだが、滋養の為の料理用の物も多い。
 また、香草としての役割を担う草も多く、結果的には料理に使う草が多数を占める。
 中には毒草もあるが、基本的には身体に良いと言う事が前提の商品。
 間口も広く、観光客や周囲の民間人も定期的に買い求める物なので、出来れば潤沢な品揃えに
 しておきたいのが、料理用の薬草なのだが――――人気商品と言えど、自然物である以上
 数に限りがあり、大量に仕入れる事はできない。
 世の中、幾らわかっていても行動に移せない事は山ほどある。
(……こんなところ、か)
 注文書を書き終え、フェイルは一息吐いた。
 この他にも、する事は多い。
 例えば、市場調査。
 他の店へ出向き、その動向、特に商品の仕入れ具合などを確認する。
 それによって、現在の流行を掴む事も出来る。
 例えば、大手のハーブ店でバジルが大量に仕入れられていたとしよう。
 その場合、バジルを使用する料理――――例えばトマトの冷スープやオックステイルのスープなど、
 スープの人気に火が点いていると推測できる。
 その場合、スープに使用する薬草を多めに仕入れておき、スープ特集を組めば、
 十分な売れ行きが期待出来るだろう。
 薬草店などと言う狭い品種を取り扱う以上、そう言った関連付けは常に必要となってくる。
 ただ、この日は他にする事があった為、フェイルは店に残っていた。
 それは――――掃除。
 早朝の内に店内、倉庫、店の周りを丹念に綺麗にする。
 商店にとって、衛生を保つと言うのは当然の事。
 不潔な店舗に好んで足を運ぶ客がどの世界にも存在しないだろう。
 清潔さは勿論、店舗全体のレイアウトも重要だ。
 特に、薬草店と言う地味な商品群を扱う店の場合、どのように華やかに見せるかと言うのが
 最重要課題となる。
 薬草屋【ノート】は、客の目を惹く為に入り口の前にペニーロイヤル、ディオスコリデス、レモンバーム
 などの控えめながら綺麗な花を咲かせる薬草を植木に植えて並べている。
 その為、客層は女性が中心だ。
 元々、治療用の薬草は傭兵ギルド等の負傷機会が多い連中が隊単位、或いはギルド単位で購入する
 と言うケースが多かったのだが、戦闘機会が減った今の時代、一般人からの需要がないとやりくり
 出来ない。
(良し。完璧)
 満足げに自身の店を見渡し、フェイルは雑巾を所定の位置に戻した。
 掃除が終われば、次は朝食。
 黒パンにオレンジをすり潰して作ったジャムを塗り、一枚だけ食べる。
 健康を維持するには、朝に豪勢な食事を取る事が良いという説があるが、そんな余裕はない。
 よって、朝食は平均48秒で終了となる。
 それでも十分満足だった。
「ごちそうさまでした、と」
 食事を終えると、いよいよ開店――――と行きたいところだが、平日の朝早くに
 この店に客が訪れる事はない。
 それをオープン10日程で思い知った店主は、開店時間を遅らせてランニングを日課に入れた。
 健康面は元より、一日中店内に居なければならない職業性質による精神的な鬱屈を
 少しでも軽減する為のものだ。
 しかしこれが、いざ始めてみると別の付加価値もあった。
 薬草店【ノート】は、ヴァレロンの新市街地最大の商店街である『レカルテ商店街』に隣接する地域に
 立地している為、周囲を走っていると商売人と顔を合わせる機会が多い。
 幸か不幸か、薬草を売っている店は他になく、フェイルを商売敵と見なす人達は今のところ存在せず、
 愛想の良い面々がこぞって声を掛けてくれたりする。
 体力維持の為のランニングだったが、今では殆ど挨拶回りと化していた。
 と言う訳で、いつものコースを巡回しようと走り出す。
「よう。精が出るじゃねーか」
 その刹那、早くも呼び止められた。
 フェイルは早速立ち止まり、挨拶の為の顔を作る。
「おはようございます……って、何ですか、コレ」
 毎日のように話しかけられる武器屋『サドンデス』の店主ウェズ=ブラウンの奇妙な行動と店の外装に、
 フェイル
は思わず目を丸くした。
 元傭兵で非常に締まった身体のウェズは、その外見と経歴通りに豪快で屈託のない男――――
 なのだが、その男が色紙やリボンなどを用い、自身の店をチマチマと飾り付けなどしている。
「バカ野郎! そりゃお前、決まってんだろ。アレだよ」
「アレって……あ、これですか?」
 昨日までは荒々しい字で『斬・殴・裂』などと記されていた広告看板が隅の方に追いやられ、
 代わりに『勇者ご一行様 超絶大歓迎』と丸字でカラフルに描かれた物質が設置されている。
「勇者?」
 フェイルは首を傾げつつ、その文字を目でなぞった。
「おうよ。勇者。知らねえ訳ねえよな?」
「ええ、まあ」
 勇者――――勇ましき者の称号。
 そして同時に、このエチェベリア国における、民間人に与えられる最高の栄誉でもある。
 通常、王家が称号を授ける場合、戦火の中で多大な成果を残した者が対象となる。
 その戦火と言うのは、国とその威信を守る為の闘いだ。
 当然、貰える者は騎士や兵士に限られる。
 厳密には、騎士に限定されると言っても良いだろう。
 義勇軍のような、民間の人間が志願して結成した軍隊は事実上対象とならない。
 そう言った事が続けば、当然反発の声が上がる。
 事実、騎士は金で称号を買っている、とさえ言われた事もあった。
 噴出する不満の声に、時の王ヴァジーハ一世が下した政策は――――民間人を対象とした
 称号の設置。
 それが『勇者』だ。
 特別な権限が与えられる訳ではないが、一般人の間では英雄と祭り上げられ、
 王から認められた存在として、貴族や騎士からも一目置かれる存在となる。
 吟遊詩人が綴るサーガには度々登場し、未来永劫その存在は神格化される。
 そんな勇者が、街にやって来る。
 それが事実ならば、間違いなく一大事だ。
「でも、今この国に勇者っていましたっけ?」
 フェイルは記憶の糸を辿り、首を捻る。
 戦乱の世から平和の世に移り変わり、勇者もまた現れ難くなった今、その存在が
 確認されたと言う報は、フェイルの周囲には聞こえて来ていなかった。
「さあな。噂ってえ言えばそれまでの事だ。まあ、来なきゃ無駄骨で住むけどよ、
 もし来ちまったらって事考えたら動かねえ訳にゃ行かねえ。早急に仕上げんと」
 ウェズは鼻頭を親指で弾く仕草を見せ、息巻いている――――その一方で、
 バックにあるのはカラフルなリボンや子供が描いたような子供の絵。
 無骨で硬派な印象だった筈の武器屋は、非常にフレンドリーな様相を呈していた。
 一言で言うなら、不気味。
 これに尽きる。
 フェイルは軽い目眩を覚え、思わずこめかみを押さえた。
「あの……ここまでするものなんですか? 幾ら勇者が来るからって……」
「何ィ? このボケナスが! お前わかってんのか? 勇者だぞ? あの勇者だぞ!?
 勇者の振った剣! 勇者の突いた槍! 勇者の担いだマサカリ!
 これみーんな、それまでの数倍、数十倍の売上げになるんだよこの野郎!」
「は、はあ」
 元傭兵のすさまじい剣幕に押され、フェイルは弱々しく後退る。
「お前もとっとと店に戻ってお迎えの準備でもするんだなバカ野郎。
 この書入れ時を見逃す商売人なんぞオッペケペーだぞこのロクでなしが」
「……は、はい、そうします」
「おっと、ちょいと待て。お前に一つ聞きたい事があるんだこの野郎」
 言われた通り去ろうとしていたフェイルは、首だけを動かし振り向く。
「『サドン★デス』と『サドン♪デス』どっちが親しみやすいと思う?
 俺としてはハートマークも捨て難いと……おいコラ、バカ野郎! 無視して走り去るなっ!」
 その後も走りながら商店街を観察して行くと、至る所に『勇者様』だの『熱烈歓迎』だのと
 言った文字の記された張り紙や、装飾用の植物、折鶴、アクセサリーなどが見受けられた。
 まるで王国騎士団の凱旋パレードでもやるかのような騒ぎだ。
「当然だッ! いいか、勇者は世界中を旅するのだ。それはもう、数え切れないほどの街を、
 村を、城を渡り歩くのだ。仮にだ、そんな中で後に作られるであろうサーガや伝記の一説に
 我が道具屋【ユーティリティ】の事が大きく取り上げられた日には! 子孫代々、未来永劫、
 永久に大繁盛間違いなしなのだぞッ!」
「はあ」
 ランニング中、通りかかった道具屋の前で巨大な招き猫を担いでいた店主ギャレス=サウスゲイトの
 血管を浮かび上がらせながらの力説に、フェイルは生返事を返す。
「勇者の使った薬草ッ、勇者の飲んだポーションッ、勇者の読んだ魔導書ッ! これら全てそれまでの数倍、
 数十倍の売上げになるのだッ!」
「知ってます」
「ならば直ぐに店に戻って宣伝グッズの一つでも作れッッ! 早くしろッッッ!」
 元騎士団の剣幕に押され、フェイルは急いでその場を離れた。
 その後も、勇者に関するコメントは聞きもしないのに次々と飛び込んでくる。
 曰く――――
「勇者様はとにかく凄いんですよ。何せ世界です。世界の危機を救ってくれるんです。国民の希望です!」
 曰く――――
「勇者ってぇ、魔王とかブッ殺すんだよねぇ? チョーカッコよくてぇ、チョーつよいんじゃん?」
 曰く――――
「勇者と言うのは、実に崇高で、実に勇敢で、実に聡明で、実に……」
 通り掛かる先々で、こう言った抽象的且つ断片的な発言が鼓膜を乱雑に揺らしていた。
「……ふい〜」
 そして、脚や肺以上に耳が疲労感を覚えると言う奇妙なランニングが終わり、フェイルは
 薬草店【ノート】の店の前に辿り着く。
 幾度となく聞かされた勇者に関する話は、気が付けば殆どが頭の中から消えていた。
 嘆息と苦笑を交えつつ、店の鍵を開ける。
 そして『準備中』の札をひっくり返し、『営業中』にチェンジ。
 本日の開店準備――――以上。
 少し強めの風が吹き、フェイルの身体を程よく冷やす。
 軽く胸を張り、深呼吸一つ。
 上空は青くもあり白くもあり、僅かに灰色も含まれている。
 午後には天気が崩れそうな兆候が見えた。
「一雨来るかな……」
 そう独りごち、店主は自営する店舗の中へと入って行った。

 



 

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