弓兵が、御前試合と言う最高の舞台で、槍兵を相手に一対一の戦いに勝利した。


 この事実を誰もが純粋に受け止めるならば、それは手放しに賞賛され、
 弓と言う武器の必要性や応用性にまで言及される事となる――――筈だった。
 だが、現実には必ず多面性が存在し、その中には先入観や個人の感情、
 そして悪意も含まれる。
 先日開催された御前試合の第一戦は、その典型的な例となった。
 結果だけを見れば、弓兵が槍兵を下すと言う、世紀の番狂わせ。 
 だが、まずそこに『第一試合』と言う不純物が含まれる。
 余興の域を出ないと、そう言う先入観が混じる。
 更に、『弓兵が槍兵に白兵戦で勝てる筈がない』と言う先入観も加わる。
 そして、トドメとなるのが『疑惑の判定』。
 観戦していた貴族の殆どが、その決着を一笑に付した。
 大方、不利な弓兵に甘い判定を下したのだろう――――そんな風評が、実しやかに
 囁かれていた。
 結果、この戦いにおける波及は、最終的に『期待の若手槍兵が弓兵に苦戦した』
 と言う部分だけを残し、他の要素はものの数日で風化してしまった。
 無論、それがフェイルにとって最悪の結果である事は、言うまでもない。
 弓と言う武器に一切光が当たっていないのだから。
 しかも、この結果によって、王宮内において『弓兵が白兵戦で勝利する事』の意義が
 殆ど失われてしまった。
 もし、同じような戦況をフェイルが、またフェイル以外の弓兵の誰かが作ったとしても、
 その戦いを見ていない人は口を揃えてこう認識するだろう。
『どうせ、またあの時みたいに温情で勝たせて貰ったんだろう』と。
 それはつまり。
 それはつまるところ――――フェイルの夢が事実上、潰えた事を意味した。
 戦いには勝利した。
 その結果、トラインデントは御前試合の一週間後、自ら除隊を申し出た。
 だが、フェイルを賞賛する声、そして弓矢を見直す声と言うものは、全く上がりはしなかった。
 御前試合から二週間後――――その結果を噛み締めるように、フェイルは毎日見上げていた空を、
 この日も漫然と眺めていた。
 本来、この時間は宮廷弓兵団の合同訓練が行われている最中。
 だが、フェイルはその場にはいない。
 理由は複数用意されている。
 現在、フェイルは合同どころか個人訓練も行っていない。
 御前試合で負った怪我は、全治二ヶ月と診断されていた。
 左上腕骨の頚部骨折。
 頭部裂傷および線状骨折。
 いずれも重症だ。
 特に頭部の負傷に関しては、今後に後遺症が残る可能性も否定できない、と
 宮廷内の医師に告げられていた。
 とは言え、今のところ頭痛や吐き気、或いは意識の混濁などは生じていない。
 偶に、目が霞む程度のものだった。
 頭を布で多い、左腕を固定した状態で、フェイルは毎日、王宮の庭で
 太陽を眺める日々を送っている。
 それが最大の理由。
 ただ、仮にこの怪我がなかったとしても――――今のフェイルに、訓練を積む
 意義を見出す事は、出来なかった。
 この場所で出来る事は、もうない。
 同時に、この場所以外で夢を満たせる場所も、恐らくはない。
 とは言え、ここを出て行ったところで、行く宛てもなければ、やる事もない。
 何もない状態で、ただ漠然と怪我の回復を待つ。
 そんな日常が、長らく続いている。
 もし、こんな時、クトゥネシリカとフレイアがいれば。
 9の叱咤と1の激励、そして10の慈悲を賜っていた事は想像に難くなく、
 やるせない気持ちが溜息を生んだ。
「フェイル=ノート」
 フルネームで呼ばれ、一瞬身を竦ませるが――――その声が男である事を
 感知し、フェイルの口からまた一つ息が漏れた。
「……何か用ですか」
「無理して畏まる必要はない。もう自分は騎士ではないのだからな」
 フェイルの頭上から見下ろすトラインデントの顔は、逆光で見えなかったが――――
 そこには、志半ばで去り行く者の悲哀はないように、フェイルには思えた。
「恨み節なら聞きませんよ。僕だって辛酸を嘗めた口ですから」
「今まで数多くの夢を摘んできた身だ。自分に降りかかったからと言って、逆恨みはせぬ」
「……」
 クトゥネシリカの件もあり、フェイルのトライデントに対しての心証は
 最悪に近いものがあった。
 だが、今眼前にいる男は、その姿とはどうも一致しない。
 或いは――――既に御前試合の段階で、そうだったのかもしれないと
 ひっそり考え、フェイルはゆっくり立ち上がった。
「結構前に、辞めるって話は聞いてたんですけど」
「これでも、挨拶をしなければならない相手が多い身だ。この場を去ると言うだけでも
 それなりに時間は掛かる。特に、自分は嫌なものを後に回す性格だ。ここ数日は
 余り生きた心地がしなかった」
「そうですか」
 特に興味もない会話に、フェイルは生返事で対応する。
 有望な若手の将来を潰した――――そんな実感は、フェイルにはない。
 寧ろ、自分が潰されたという実感の方が遥かに強かった。
 あの戦いに、勝者はいなかった。
 あったのは、破滅のみ。
 そう言う意味では、呪われた試合だった。
「余り時間もないし、手短に話す。自分はこれまで、何人もの夢を潰して、
 その都度、夢破れた者の顔を見てきた」
「知ってますよ。そんな顔を見るのがお好みって言う神経は理解しかねますけど」
「好きになるしかなかった。そうしなければ……耐えられなかった」
 突然の予期しない言葉に、フェイルは眉を顰める。
「この宮廷で伸し上がろうとするならば、数多くの夢を潰し、その残滓を踏み台にして
 上り詰めなければならない。言い換えれば、他人の夢を肥やしにする事でしか
 上へは行けぬ。その作業を延々と繰り返す日々は、陰惨な道のりだった」
「……」
 同時に、何故そんな事を話すのか、その意図の理解にも苦しんだ。
 今更、善人を演じる理由もない。
 この告白は、疑う余地もなく真実だと判断しても、それが何を生み出すのかさえ
 わからず、フェイルは内心首を傾げていた。
「もし今後、君がこの宮廷内で何かを成そうとするなら……その事を頭の片隅にでも
 入れておくと良い。自分は歪んだ解決策しか導き出せなかったが、君には別の
 答えもあるかも知れない」
「仮にそうだとして、僕が貴方と同じように、他人の夢を潰す事に苦痛を覚える
 とは限らないんじゃないですか?」
「それなら、それで構わない。そう言う人間も、世の中には大勢いる。それが
 悪いと言う訳でもない。が、自分を踏み台にした人間が、自分と同じ理由で躓くのでは、
 自分が今までやって来た事が余りに無意味ではないか、と……そう思った。
 それだけの事だ。他意はない。今更、何を自己弁護したところで意味もないだろう。
 実際、クトゥネシリカの夢を潰したのも、自分のようなものだからな」
 トライデントは、饒舌に語る。
 それはまるで、長年の重荷を下ろした事による開放感がそうさせているかのようだった。
「以前も言ったが。フェイル=ノート、君には才能がある。今後どのような選択を
 するかは君次第だが、ここにいる間は全てが可能性を有している。見切りをつけるのは
 辞めてからでも遅くはあるまい」
「……まさかとは思いますけど、僕の事を気遣いに来たんですか?」
「余り得意ではない。そう思わなかったのなら、それでも良い」
 トライデントはそう締め括ると、別れの言葉も告げず、視界から消えて行った。
 何の事はない。
『思い通りに行かなかったからと言って、ふて腐れるな』
 彼はそれを言いに来た。
 自分の夢を潰した、年下の男に。
 果たして、同じ事を自分に出来るものなのか――――フェイルはそんな事を考え、
 再び空を仰ぐ。
 雲一つない青空。
 だが、いつまでもそうであるとは限らない。
 幾つもの顔を持つのは、空も人間も同じ。
 そして人生も、また。
「……夢、か」
 例え、それが儚いものだとしても。
 フェイルは、自分に残された可能性を、漠然と模索してた。


「……暗殺技能?」
「そうだ」
 ある程度怪我も治り、ようやく体が動くようになったフェイルに、デュランダルは
 普段の口調のままその言葉を発した。
「言葉は悪いが、弓矢とは元々、暗闘に使用される事の多い武器だ。暗器と言っても
 過言ではない程にな。その技能を取得しておくのも、弓術の幅を広げる事になるだろう」
「僕に暗殺者になれって事ですか?」
 半眼で問う。
 デュランダルは特に表情を変える事なく、鞘を磨く手を止めた。
「それを身に付けたからと言って、暗殺者にならなければならない決まりなどない。
 単純に、群れたがらないお前には最適な技術と言うだけだ」
「ま、確かに。でも良いんですか? 栄えある副師団長様が、そんなドス黒い技術を
 教えるなんて」
「余計な心配はしなくて良い。それより、もう動けるのか?」
「ええ。もうとっくに」
 実際は、まだ違和感が残っていたり、突っ張ったりする所が残っていたが、
 フェイルは強がりを言い放った。
 兎に角、何かをしたかった。
 折れた心を奮い立たせる為の、何かを。
 その為には、新たな技術の取得はまさに最適だった。
 暫しの間、フェイルはデュランダルから直々に暗殺技能を習い、それを吸収した。
 通常の弓術との最大の違いは、毒草を用いる事。
 一撃必中と言うだけではなく、一撃必殺である必要がある暗殺において、
 矢と言う武器はそれだけでは心許ない。
 そこで、毒の出番となる。
 古来より、矢には毒が使用されており、狩りに弓矢を使う場合は重宝もする。
 それを人に使うだけの事だった。
 更に、暗殺における弓使いは、狙撃手としての行動が必要となる。
 集団で後方支援を行うと言う、宮廷弓兵団の在り方とは真逆で、一人で動き、
 一人で全てを成す。
 標的を確実に仕留める為、その標的の行動パターンを調べ、誰にも見られない
 場所を探し、そこに身を潜め、標的が所定の場所に現れるのを待ち、そこを狙い撃つ。
 そう言う、トータルの活動がすなわち『暗殺技能』だった。
 その技能を、フェイルは数ヶ月の間、叩き込まれた。   
 そして――――
「毒草の知識も入れておけ。状況と場合に応じて使い分けが出来れば尚良い」
 ありがたい師匠の言葉の元、フェイルは宮廷内の書庫で毒草の資料を漁るようになった。
 毒草と薬草は、同じもの。
 人間にとって毒か薬か、それだけの違いだ。
 その為、薬草の資料がそのまま毒草の資料でもあった。
 既に薬草とは縁がある。
 ここへ来る前に暮らしていた街で、世話になっていた家族の長が薬草士だった。
 それも、名のある薬草士で、大屋敷を構えるほどの実績と才を有した識者。
 その屋敷で幾度となく遊んだフェイルは、幼少期より薬草に慣れ親しんでいた。
 無論、どれがどんな名前で、どう言った効力がある草等と言う事は、
 全くわかってはいなかったが、子供の頃に印象に残ったものは、例え歳を重ねても
 覚えているもの。
 資料に絵付きで載っている草の多くは、その記憶の中に残っているものだった。
 その土台もあった為、怪我が完治する二ヶ月の間、フェイルは1000種以上の
 薬草を頭の中に叩き込む事ができた。
 ただ、それでも全資料の半分にも満たない量。
 フェイルは、当初の目的も忘れ、薬草を覚える事、そして薬草の持つ魔力にも似た
 効能や、それに纏わる逸話などに触れる事に没頭していた。


 そんなある日の事。
 ほぼ自由に動かせるようになった左腕で、既に何度か目を通した資料を手に取ったその時――――
 それは起こった。
 小さい振動。
 そして――――爆発音。
 膨大な量の音の波が、間断なく押し寄せてくる。
「な……!?」
 フェイルは思わず身を竦ませ、直ぐに書庫から飛び出した。
 資料が棚から零れるほどの振動ではない。
 また、爆発音も、近くから聞こえたものではなかった。
 だが、このエチェベリア城の何処かで、爆発が起こったのは確か。
 それが何を意味するか。
 その想像は、決して困難ではない。
 爆発と言う事象自体、魔術以外ではまず起こりえない事。
 加えて、この城が襲撃されたとなれば、その意図するところは一つしかない。
 魔術士による報復。
 先のガーナッツ戦争以降、エチェベリアとデ・ラ・ペーニャが表立って
 対立する事はなかったが、屈辱的大敗を喫した魔術大国が、大人しくその状況を
 受け入れる筈もない。
 いつ生まれてもおかしくない新たな火種が、いよいよ投げつけられた――――
 そういう可能性が十分にある事態に、フェイルも緊張を隠せず、全速力で
 弓兵団の宿舎へと走り出す。
 まだ完治はしていないが、多少は動ける以上、戦力とはなり得る。
 そして、この宮廷に身を置く以上は、外敵から城を守る必要がある。
 何時ぞやの盗賊とは意味合いが違う――――
「……?」
 そこで、フェイルは思考を留めた。
 前回は潜入のみ。
 今回は爆破。
 この事実だけを切り取れば、誰もが前回を『下調べ』、今回を『襲撃』と判断するだろう。
 フェイルも実際、そう言う思考が自然に浮かんだ。
 が、それがもし意図的な誘導だとしたら。
 表層とは別の、真の目的が内部に潜んでいるとしたら。
 今回『こそ』が、盗み目的の進入ではないのか――――
「……」
 フェイルは一瞬の逡巡の後、踵を返した。
 爆破はフェイク。
 城を混乱させ、警戒レベルを引き上げ、外部からの新たな襲撃に備えさせる。
 盗賊なら、侵入者だけを捕らえれば良い。
 が、襲撃であれば、先行部隊の陽動の後に本隊が現れる可能性が高い。
 当然、注意は外に分散する。
 内部を探す上では邪魔になる、城内にいる人間を外へ追いやる上では、有効な手段だ。
 もし――――今回の侵入者の目的が今回こそ盗窃だとしたら、今頃城内で詮索をしている筈。
 ただ、目的の物がわからない以上、侵入者がどの部屋を目指しているのかはわからない。
 まして、今のフェイルは武器も持たなければ、万全でもない。
 それでも、城内を疾走し、怪しい人影を探したのは――――意地だった。
 何かを成したい。
 城の為、国の為ではなく。
 弓も持たないその手でも、自分だけの何かを掴みたい。
 その一心で、城内を駆け巡った。
「はっ……はっ……ぜっ……」
 怪我の影響で体力作りを余り出来なかった事もあって、体力が落ちている。
 それでも、フェイルは休む事なく、侵入を許されている領域全てを走破した。
 そして――――何も見つける事はできなかった。
「……はっ」
 切れた息を自嘲気味に漏らし、廊下の壁に寄り掛かる。
 直ぐ傍には、先程まで調べ物をしていた書庫。
 ふと、自分用に書き溜めている帳面を置きっ放しにしていた事を思い出し、
 苦笑しながらその扉を開く。
「――――!」
 そこに、人間がいた。
 一切の気配を放っていない、まるで幽鬼のような佇まいで。
 何時ぞやの盗賊同様、不気味な白色の仮面を被って。
 侵入者は、悠然とフェイルの帳面を読んでいた。
「貴方のですか? とても良く纏めてますね。何より見易い」
 そして、感情のわからない、篭った声で賛美を示す。
 フェイルは吹き出る冷汗をそのままに、目を鋭くし、その様子を睨んだ。
 戦闘の様相は――――呈さない。
 見つかったにも拘らず、侵入者に殺気や敵意の類は見られず、寧ろそれを
 歓迎しているような節さえあった。
「確か貴方は、以前来た時に矢を放った方ですよね」
「……やっぱり、同一人物だったんだ」
 それ以上に、あの距離で『視えていた』事に、フェイルは驚きを禁じえない。
 それはつまり――――自分の持つ『鷹の目』と同じ目を持っている事を意味するからだ。
 でなければ、顔がわかるような距離ではなかった。
「目的は何? 城に眠ってるお宝……なんて感じじゃないけど」
「襲撃じゃなく劫盗である事を見抜いていましたか。大した洞察力ですね。
 見たところ、まだ相当若いのに」
「お褒めに預かり光栄だね」
 軽口は、この掴み所のない襲撃者を憤怒させない為のもの。
 この僅かなやり取りの中で、そう言う対応が好ましい相手だと、フェイルは
 半ば本能的に悟っていた。
「大した事じゃないんですけどね。ちょっと、身分照会が必要な人がいまして。
 その資料を貰いに。何せここには、王宮に関わった全ての人間の資料が
 揃っていますから」
「……え?」
 仮面を被った侵入者の言葉に、フェイルは思わず間の抜けた声を返す。
 王宮に関わった全ての人間の資料。
 そんな物が、フェイルでも出入り出来る書庫にある等、とても現実的ではない。
「知らなかったみたいですね。ま、当然です。隠し部屋にしてますからね。
 ついて来ます? 今から行こうと思ってたところなんで」
「……僕があんたをひっ捕まえようとしてる、って言う心配は全くしてないんだね」
「ええ。していません」
 侵入者の断言は、単にフェイルの心理を読んでのものではない。
 戦えば楽に勝てる――――そう言う圧倒的な優位性が前提だった。
 フェイルもまた、それに異存はなかった。
 力量を測りかねる相手。
 すなわち、計りきれない相手。
 しかも、魔術士の可能性が高い相手。
 武器もなく、万全でない状態では、触れる事も出来そうになかった。
「どうします? 貴方にとってもきっと、有意義な資料があると思いますよ。
 貴方の資料もある筈ですから。その目の事とか……出生の事、も」
「!」
 フェイルの目が、大きく見開かれる。
 もし、本当にこの書庫に隠し部屋があり、そこに王宮内の人間全ての資料があるのなら――――
 当然、フェイルの資料も存在する事になる。
 それに何が記載されているのか。
 何故、自分はこのような目を持っているのか。
 自分の本当の親は――――
「知りたい、ですよね。誰だってそうです。誰もが、自分を知りたい。自分を知れば、
 自分の可能性を認める事が出来ます。何より、自分の中に未知の部分があると言うのは、
 余り気持ちの良いものではありませんからね」
「……」
 フェイルは、頷いた。
 殆ど無意識に。
「こっちです」
 それを、先程の回答と判断したらしく、侵入者はフェイルの帳面をテーブルに置き、
 奥の方へと歩き出した。
 そして、背中越しにフェイルがついて行く中、最奥の右から二番目に並んだ棚の
 上から二段目の棚にある資料を全て無造作に投げ捨て――――
「解約系魔術は苦手なんですが……えっと、これはこうだから……ハガル、ソエル、マン」
 その棚の奥に手を入れ、ルーンを描き出した。
 そして――――
「ん、どうやら正解です」
 そんな言葉と同時に、ガラスが割れるような音が鳴り響いて。
 そこにあった本棚は、音もなく崩れ落ち、上下の棚に収まっていた資料は全て床へ落ちた。
 その先に――――扉が現れる。
 紛れもない、隠し部屋。
「この王宮では、騎士は勿論、公募で募った兵ですら、その素性を情報屋に調べさせて、
 生い立ちから縁のある人物、そして秘密まで、徹底的に洗い出しています。
 ま、教会も似たような事やってるから、何処もそんなものなんでしょう」
「何で、そんな事まで……」
「それは秘密です。じゃ、行きましょう。後……」
 扉に手を掛けながら、侵入者はそれまでと変わらない口調で、告げた。
「ここで見た事は全て、御内密に。その方が色々と楽です」
 それに頷く事も、拒否する事もせず、フェイルは顔をしかめたまま、
 入り行く仮面の者の背中を追った。




 ――――そこでフェイルは、様々な事を知った。
 自分の事。
 自分を取り巻く人々の事。
 そして。
 訪れる、重大な危機を。
 複雑に絡まった糸の存在を知ったフェイルは、その日。


 夢から身を引く決心をした。



「――――お世話になりました。ここでの生活、貴方に教えて貰った事、全て忘れません」
 夢のように淡く、そして儚い日は終わりを告げ。
 この日、フェイルは王宮を、そしてデュランダルの元を去る事となった。
 それは、必然の選択。
『知ってしまった』のだから。
 師の言葉に惜別の念を覚え、それでも見るのは、遥か前。
 そこに、新たな道がある。
 それはもう、夢とは呼べない代物になっていた。
 何故なら、夢は潰えても許されるから。
 次の道を作れるから。
 だが、もうフェイルにとって、今歩む道の代わりはなかった。
 慎重に事を運ばなくてはならない。
 悟られてはならない。
 そう言う制限もある。
 その中で、出来る事をすると言うのは、かなり難しい。
 まずは、薬草店を出す。
 それ自体、完全に未知の世界だ。
 まして、そこで店主として働く自分など、まるで想像が出来ない。
 それでも、やらなければならない。
 夢ではなく、もっと切実な使命なのだから。
「フェイル=ノート!」
 突然上がった声に、フェイルは思わず身を竦める。
 いつの間にか地面を向いていた顔を上げると、そこは既に王宮の門だった。
 その門の傍に、アバリスが立っている。
 アバリスだけではない。
 エチェベリア宮廷弓兵団の面々が、集結していた。
 除隊するフェイルの為に。
 そんな予定など一切聞かされていなかったフェイルは、驚きを禁じ得ず、目を見開く。
「おいおい、そんなしょぼくれた顔すんなよ!」
「そうだ! お前は紛れもなく、この宮廷弓兵団の一員として立派に戦った!」
「お前は勝ったんだ! もっと胸を張れ! 明るく別れようや!」
 先輩方のそんな言葉の群れが、フェイルを容赦なく包み込む。
 全く未知の出来事に、フェイルはただただ、たじろいた。
 狼狽した。
 翻弄され、怖気づき、萎縮した。
 それくらい、あり得ない事だった。
 フェイル=ノートの人生の中では、あり得ない出来事だった。
 恵まれた周囲を敢えて拒絶し、目標の為に疾走した人生の中においては。
「……」
 だから、対応がわからない。
 戸惑いの中で、フェイルの目はアバリスに向いた。
 別の得物の使い手を師と呼び、自身を『嫌い』と明言した若輩者に対し、その男は――――
「酒が飲める歳になったら、訪ねて来い。酔い潰して、身の程をわからせてやる」
 決して得意でない冗談を、餞に送った。
「……返り討ちですよ。全員、盛大に潰してやります」
「ぬかしおって」
 フェイルは、これまでで一番、耐えた。
 目の前のアバリスは、気持ちの良い笑い顔を覗かせている。
 それに応えるには――――涙ではなく、笑顔。
 苦手な、満面の笑顔。
 それだった。
「フェイル、最後に一矢撃ってみたらどうだ? 虚空に向けて撃つのは、気持ちが良いぞ」
 先輩のそんな声をきっかけに、弓兵団から『一矢』コールが生まれる。
 普段、訓練の最後の一射の際に叫ばれるコール。
「了解」
 フェイルは、背負っていた弓を手に取り、矢筒から一本の矢を取り出した。
 的も標的もない所へ撃つ事をしなくなって、どれ程の年月が経過したのか。
 最初は、ただ矢を放つ事が楽しかった。
 弦の弾力に驚き、想像以上に力が必要な事に驚き、まるで飛ばない矢に驚き。
 その驚きが、楽しかった。
 そして、今。
「フェイル=ノート、撃ちます!」
 まるで違う、でも極めて近い感情を乗せ。
 宮廷弓兵団、史上最年少の弓兵だった少年は。
 無限に広がる空へと。
 霞み、滲んだ空へと。
 矢を、放った――――












 

the person makes a detour at times.

however, it is promenade to see not the mistake but new scenery.

improve in skill every time one arrow is shot.

the detour becomes provisions of the life, too.

there is no useless arrow.

therefore, it reaches without fail.

it continues to ――――

 


"αμαρτια"







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