世界的に有名な闘技場と言う訳ではないが、エチェベリア城内の施設として造られ、
 御前試合の会場としての機能を果たしている円形闘技場『グエラ』に足を踏み入れる事は、
 王宮に身を置く戦士にとって、この上ない栄誉と言われている。
 事実、2000人の収容が可能な観覧席には、既に王族、貴族、その他来賓の高貴な身分の面々が
 顔を揃えており、この催しが特別である事を示していた。
 しかし――――歩を進めるフェイルにとって、その栄誉は手段に過ぎない。
 手にしているこの武器の価値を、世の中に示す為には、彼等権力者の持つ力が必要。
 それ以上でも、それ以下でもない。
「それでは、選ばれし二人を紹介しましょう! まずは――――」
 進行役と思しき男の声が闘技場内に響く中、フェイルは直径30mの空間に視線を巡らせる。
 一対一の戦闘を行う場所としては、広い。
 遠距離戦を行う事も可能なくらいに。
 だが、その選択肢はフェイルの中にはない。
 そもそも、それを許す程甘い相手ではない事は、百も承知だった。
「では、この聖なる戦いに則しまして、まずはルールの説明をさせて頂きます!」
 進行役の説明が続く中、フェイルは視線をトライデントへと向ける。
 この御前試合のルールは、かなり単純。
 制限時間はなし。
 場外もなし。
 武器は、予め用意された殺傷力を落とした物のみ使用可能。
 剣の場合は片刃で、峯のみを使用する。
 魔術士は武器の他に魔具を利用可能。
 矢の数は指定可能で、フェイルは矢筒に8本入れている。
 一方、トライデントの槍は、先端がカットされ、リングのようなものでコーティングされていた。
 これらの武器で、敵を戦闘不能に至らしめる事は難しい。
 その為、審判が『本来ならば致命傷』の一撃が入ったと見做した場合、その瞬間に決着を
 宣告すると言う決着方式を採用している。
 この他、どちらかが『降参の意を示す』、『気を失う』と言うケースも決着となるが、
 気絶した例は殆どなく、降参した者に到っては、長い御前試合の歴史の中で、一人もいない。
 当然、フェイルもその気はないし――――トライデントの目にも、その意思は明確に現れている。
「それでは両者、戦いの前に握手を!」
 コールと共に、フェイルとトライデントは互いに歩み寄り、闘技場中央で立ち止まる。
「色々なものを背負っている。そう言う顔をしているな」
「……ええ。背負ってますよ」
「宜しい。全力で潰してやろう」
 トライデントの左手が差し出される。
 フェイルは、それを左手で握った。
「潰れるのは、あんたの野望だよ」
「……楽しみだ」
 その手が離れ、両者がそれぞれの所定の位置へと戻る。
 開始時の位置は、中央から2m離れた位置。
 よって、両者間の距離は4m。
 デュランダルやガラディーンなら、一瞬で無に出来る距離だ。
 集中力を高めるフェイルの視線に、観覧席に座るその二人の姿が映った。
 この100日で身に付けた全てが、その瞬間に脳裏を横切る。
 自然と、笑みが零れていた。
 辛く、苦く、どこか朦朧とした日々が、足を軽くする。
 腕を軽くする。
 そして、所定の位置に付いた瞬間、それまで感じていた重圧が、全て解き放たれた。

 御前試合、第一戦――――開始。

「始めっ!」
 審判のコールが響くと同時に、フェイルの身体は舞っていた。
 しなやかに、膝より下が地面を蹴り、左方へと。
 その瞬間、フェイルを取り巻く景色は流れを帯びた。
 その中に在るトライデントの横顔は――――不敵に笑っている。
 このムーブは予測済みだったと言わんばかりに。
 ただ、それもフェイルにとっては想定内の事。
 不意を付いたつもりはなかった。
 単純に、『弓矢を用いた接近戦』の基本動作に過ぎないのだから。
 ――――接近戦を弓矢と言う武器で行う場合。
 当然、ネックとなるのはその武器の実用性だ。
 弓矢は遠距離から標的を射抜く為に作られた武器。
 近距離で活かすようには作られていない。
 そして、フェイルの弓矢もまた、遠距離用に作られた、ごく普通の弓矢だ。
 その武器で、槍相手に接近戦を挑む場合――――
『まずは足を止めない事。常に動き、一定以上の接近を許すな』
 師の言葉が頭に浮かぶ。
 フェイルはその通りに、足を動かし続けた。
 トライデントを中心に、円を描くように移動しながら、弓の上部の弦で
 矢筒の中の一本の矢羽に引っ掛け、右手の中に収める。
 そして、足を止めないまま、構えを取った。
 弓術の大原則として、矢を放つ瞬間には下半身を安定させ、地面に根を張るように
 一つの芯を作ると言う基本が存在する。
 その為、本来弓矢は移動しながら使用する武器ではない。
 下半身の安定がなければ、狙った場所へ十分な威力の矢を放つ事は出来ない――――
 それが、これまでの弓術の常識だった。
 そしてそれは、圧倒的に正しい。
 狙いはどうにかなっても、十分な速度と威力の矢を射るには、下半身の安定は必須。
 その解決策を、フェイルは導き出していた。
「!」
 突然の出来事に、トライデントの顔から笑みが消える。
 フェイルは――――それまでの右回りを急に左回りへとスイッチした。
 そして、そのスイッチの瞬間に、矢を放っていた。
 慣性力と逆の方向に体重を移動させ、その最中の一瞬の静止点において、
 下半身を安定させ、力を上半身へと伝達する。
 重要なのは、この一瞬で全ての力を伝える為、膝の向きを誤らない事。
 フェイルの所作は、完璧だった。
 が――――その矢がトライデントの身体を直撃する事は、なかった。
「……驚いたな。そう言う戦い方か」
 観覧席から漏れる息吹を背に、トライデントは頬を伝う血を指で払う。
 同時に、その目に鋭さが宿った。
「一対一の戦いで弓を使うなら、距離を取りながらの持久戦以外に選択肢はなく、
 その為にはまず自分の接近を許さぬよう、執拗に動き回る――――そう思っていたが、
 少しは楽しませてくれそうだな」
 トライデントの呟きはフェイルには聞こえない。
 既に次のムーブに移り、今度は左回りで好機を窺う。
 実は――――内心、唾棄したい気分に駆られていた。
 まだ戦略が表に出ていない上、嘗めてくれている一射目こそ、最も直撃の可能性が高かったからだ。
 それが脳天に直撃すれば、致命傷の判定を拾えた可能性もあった。
 だが、そうは上手く行かない。
 フェイルは高速でトライデントの周囲を回りつつ、苦笑したい衝動を必死で抑えていた。


「下半身がぶれていない。良く走り込んでいる証拠だ」 
 閲覧席に座るガラディーンから、感嘆の声が漏れる。
 剣聖の一言は、隣に座るデュランダルにのみ聞こえていた。
 いつもは、その身分と兵法の造詣から、王の隣で解説を行う任に就いていたが、
 この試合に関しては、必要なしと仰せ付かっていた。
 弓兵と槍兵。
 一対一でこの組み合わせの試合が成立した場合、誰もがその勝者を確信する。
 考える事すら必要ない。
 実際、もし何も知らなければ、自分もまたそう判断するだろうとガラディーンは漠然と考えていた。
「ですが、それを評価するのは貴方くらいです。それは、普通の戦士であればこの上ない名誉ですが、
 あの男には何の意味ももたらさない」
「弓を天下に知らしめる……だったか。ならば、勝つしかないな」
「ええ。そしてそれは、絶対に叶いません」
 デュランダルの目は、息を切らしながら動き回るフェイルを追う事なく、その戦い全体を
 包み込むように、静観している。
「勝つ事は出来ぬ。何故なら……『勝たされる』から、か」
 そして、ガラディーンのそんな呟きにも、反応を示さない。
 まるで、その試合会場ではなく、その先に在る何かを見ているかのような目で、
 独特の気を発していた。
「ほう。お前が怒っている顔など、初めて見るな」
「怒っている? 私が?」
「某にはそう見えたが、違うかね?」
 デュランダルは、視線をガラディーンに向け、目だけを崩した。
「他ならぬ貴方がそう言うのであれば、そうなのかもしれません。今だ自律が叶わぬ身で
 お恥ずかしい限り」
「某もそうだよ。全てを制御出来る訳ではない。人間である以上、それは業だ」
「業、ですか」
「そう思わねば、前に進めぬ事もある。そう言う事だ」
 諦観の念を吐き出すように、ガラディーンは嘆息した。
 あらゆる栄誉を手にした剣士とは思えない、陰りを乗せて。
「ガラディーン。デュランダル」
 そんな二人を呼び捨てにする声が、空気を揺らす。
 王族のみが座する事を許された特別観覧席を離れ、エチェベリア国王ヴァジーハ8世の息子、
 アルベロア王子が近付いて来ていた。
「殿下。如何なされましたか」
「なに。此度の二人の協力に、感謝をと思ってな。お陰で手筈は整った」
「ありがたきお言葉」
 騎士の両名は、胸に手を乗せ、深々と頭を垂れる。
 その姿を満足げに眺めつつ、アルベロアは試合場に目を移した。
「弓兵、とはな。これ以上の配役はない。デュランダル、お前は
 演劇の演出家をやらせても、その道で名を馳せる存在となっていただろうな」
「……」
 頭を下げたまま、デュランダルは沈黙を守る。
「そして、もう一人は極めて優秀な槍兵。この上ない配役だ。そしてこの上ない実験だ。
 間違いなく、成果はあがろう。ようやく、次の段階に計画を進められそうだ」
「御意」
 ガラディーンの言葉に、アルベロアから笑みが漏れる。
 エチェベリア国王位継承順第一位。
 幼少期より、あらゆる礼儀作法を身に付けてきた男の笑い顔としては、余りに不相応な表情だった。
「余興とは言え、このような組み合わせはそうそう見られるものではない。結果とは別に、
 物珍しい場面でも生まれれば、尚良いのだが……流石にそれは贅沢と言うものか」
 その言葉が閉じるのと同時に――――鈍さと鋭さを混在したかのような大きな音が、
 闘技場内に響き渡った。
 同時に、どよめきが起こる。
 フェイルの放った4本目の矢が、推進力を失い、宙を舞う。
 それは、神業と言っても良いような、そんな凄まじい光景だった。
 高速で迫り来る矢を、槍で弾く。
 止める――――でもなく、払う――――でもなく、弾く。
 回転しながら空中に浮遊していた矢は、程なくして力なく地面に叩き付けられた。
「見事。これ程の腕を持つ者は、王宮内にもそうはいまい。くくく……素晴らしい人材だ」
「殿下」
 デュランダルの目には、それでも尚足を止める事なく、肩で息をしながら
 懸命に隙を窺うフェイルの姿が映っている。
 圧倒的な力の差。
 先程のトライデントの業に、観覧席の殆どの人間がそれを理解し、その興味を
 勝敗ではなく結末に向け始めていた中で。
「もし、この試合に何らかの刺激をお求めになられているならば……」
 デュランダルは、先程ガラディーンの指摘を受けたその表情で――――王子へと宣告した。
「それは、これからです」


「……これから、か」
 自分の身体が徐々に重くなる中、フェイルは心中でそう呟く。
 これまでの4度の攻撃の内、トライデントの身体を捉えたのは、頬を掠めた最初の一撃のみ。
 4度目に到っては、曲芸に近い方法で回避された。
 今後、この攻撃を繰り返しても、直撃を取れる望みはない。
 寧ろ、もう危険はないと判断したトライデントが、フェイルの動きを見切り、
 槍と共に飛び込んでくる頃合だ。
 そして――――その瞬間こそが、フェイルにとっての『これから』だった。
 現在の動きと攻撃は、その為の布石。
 トライデントが飛び込んでくる事を想定し、その対応が可能なギリギリの距離を、
 今まで体力を総動員して保って来た。
 意外だったのは、4度も攻撃をする時間があった事。
 2度目の射撃が終わった時点で、フェイルは飛び込まれる事を覚悟しながら戦っていた。
 が――――トライデントは意外にも、弓兵相手に慎重な試合運びで臨んでいる。
『君は才能がある』
 かつて言い放ったその言葉通りに、一定の警戒心を持っているのか。
 或いは――――純粋に、弓兵が一対一でどのような攻撃手段をもって仕掛けるのか、
 見ていたかったのか。
 5分間、動きっ放しでいるフェイルは、まだそれだけの事を考える余裕があった。
 余裕を残していた。
「……さて」
 刹那――――試合場の中央から、殺気が放たれる。
 それは、まるで竜巻のような勢いで、一瞬にして観覧席まで波及した。
 尤も、それを感じ取れる人間は、限られているが――――フェイルはその側の人間だった。
 思わず、足が止まりそうになる。
 試合前に感じていた重圧すら上回る、常軌を逸した圧力が、暴風の如く襲い掛かってきた。
「そろそろ終わらせようか。どのような顔で潰れてくれるものか」
 フェイルの耳に、力を宿したその声が届く。
 それは、これまで慎重に戦っていた理由を明確に述べた文言だった。
 ある程度の善戦は、より敗北の落胆を増す調味料――――
「……!」
 暴風が、更に勢いを増す。
 フェイルの足運びにミスはない。
 だが、その律動を縫うかのような、完璧なタイミングで――――トライデントはその牙を
 フェイルへと向けた。
 槍は、決して軽い武器ではない。
 それを扱う多くの戦士は、パワー重視の戦闘兵。
 それ故に、機動力は然程ないと言うのが定説だが、トライデントにそれは当て嵌まらなかった。
 まるで小兵のような足捌きと体捌きで、フェイルの進行方向に先回りし――――
「ふん!」
 上体が飛び出すかのような勢いで槍を突き出す!
「……くっ!」
 フェイルの上体が、不自然に曲がる。
 その意図的な回避は、槍の直撃と引き換えに、大きなバランスの損失を生んだ。
 結果、弓矢を構えた体勢のまま、地面へと倒れ込む。
 ついに――――足が止まった。
 そして、矢筒に入った矢も、全て落ちてしまった。
「さあ、見せてくれ」
 一方、トライデントは穏やかな顔で、突いた槍を身体へと引き戻し、足元に転がったフェイルへと
 その槍のカットされた先端を向けた。
 突き下ろし――――その威力は、言うまでもない。
「どのような顔で啼いてくれるのかなあああああああああああ!」
 その、世にも恐ろしい絶叫の最中――――フェイルはと言うと、冷静に状況を分析していた。
 絶体絶命。
 回避できる体勢ではないし、直撃すれば死の危険すらある。
 そんな中――――自身でも驚くほど、頭の中は鮮明だった。
 接近戦で、弓を活かす方法。
 当初は、弓そのものを武器とするしかないと、フェイルは考えていた。
 矢を使わず、弓を白兵として扱う。
 そうする事で、弓は遠近両方で活かせる――――そう結論付け、王宮に来る以前には
 弓と似た形状の武器を探し、その技術を学んだ事もあった。
 しかしそれは、無意味だった。
 それは、いわば『剣を投げる』行為に等しい。
 それで誰も、『剣は遠距離戦にも使用出来る優れた武器』とは言ってくれない。
 同じように――――弓を打撃武器に見立てても、ただの破れかぶれにしか見えないだろう。
 それに気付いた時。
 フェイルは、一つの可能性を追求し始めた。
 もし、弦を引くだけではなく、握りを押し込みながら撃ったとしたら?
 接近戦では、細かな制矢は必要ない。
 重要なのは、早く、強力な射撃。
 その為に必要な事は、一刻でも早く弾力を生み出す事。
 通常、弓は矢を番えた状態で、弦を持つ腕を後方へと引き、それを離して矢を放つ。
 だが、もし固定しているもう一方の腕を、前方へ伸ばせば?
 当然、狙いはブレるが、それと引き換えに弓の弾力は増す。
 遠距離戦では使えないこの動作は――――近距離戦において、最大の鍵となる。
 フェイルはずっと、その訓練を繰り返してきた。
 その技術を応用すれば、転がりながらでも矢は放てる。
 弦を持つ右腕は固定。
 代わりに、握りを持つ左手を前へ突き出し、弓の弾力を得る。
 そして――――
「何!?」
 突き下ろしの体勢で勝利を確信していたであろうトライデントは、フェイルの
 所作に驚きを隠せずにいた。
 攻撃の意思を見せただけなら、嘲笑っていただろう。
 だが、フェイルのその円滑な動きは――――トライデントの機器察知能力を稼動させた。
 止まらない。
 矢と槍の交差。
 先に届いたのは――――フェイルの矢だった。
 それが、トライデントの眉間――――の上、頭部を掠め、宙へと凄まじい速度で舞い上がる。
 ほぼ同時に、トライデントの槍はフェイルの――――左肩を直撃した。
「うがっ……!」
 鈍い叫び声が響く。
 それでも、致命傷の判定はなされない。
 実際――――トライデントが狙った心臓から、槍は逸れていた。
 放った矢が、そうさせた。
「こ……のっ」
 激痛が左半身を襲う中、フェイルは足払いを仕掛ける。
 目的は、トライデントの転倒――――ではなく、避けさせる事。
 それは同時に、距離を生む。
 それは現実のものとなり、その隙を突きフェイルは立ち上がった。
 暫しの沈黙――――そして、歓声。
 期待薄の戦いは、この攻防を境に注目の的となっていた。
「……出来るな」
「そっちこそ。流石ですよ」
 トライデントの顔には、驚きよりも歓喜が浮かんでいる。
 フェイルもそれに応え、笑った。
 左肩が、完全に砕けている事を確信し、それを隠す為に。
 無論、気休めに過ぎないフェイクではあったが――――
「矢を拾え。更にその顔が絶望に染まるのを見たくなるような戦いを所望する」
「必要ないよ」
 冷や汗が伝う額を拭い、フェイルはその右手をそのまま真横へ伸ばし――――
 落ちてきた矢を掴んだ。
 先程、トライデントの頭部を掠めた矢。
「素晴らしい」
 その曲技に、素直な賞賛の声が生まれる。
 そして、それに応える余裕は、フェイルにはなかった。
 既にかなり体力は消費している。
 足も止まってしまった。
 左肩は、腕を微かに動かすだけで激痛が走る状態。
 弓を構えられるかどうかも怪しい。
 いや――――不可能だと、フェイルはそう自己判断を下した。
 つまり、正常の構えを取る事は、もう出来ない。
 トライデントは、それを見抜いている。
 そこまで見越し、大きく息を吐いた。
 御前試合第一戦は、佳境を迎えていた。







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