自身より身分が上である騎士が現れた事で、クトゥネシリカは背筋を伸ばし、敬意を表す。
 それは、縦社会の集団に身を置く人間として、当然身体に染み込んでいる所作であり、
 意識はしなくても、また不本意な物言いをされたとしても、条件反射的に生まれる体勢だ。
「レキュール殿……この度は、御前試合への御出場、心よりお祝い申し上げます」
「それは良い。それよりも、もう少し殊勝な態度でいる事を心がけるんだな。
 女である以上、それが出来なければ、どの世界においても生きては行けないと知れ」
「……」
 それでも、決して譲れない信念があるとすれば、沈黙を持って答えるしかない。
 フレイアが心配そうに様子を窺う中、クトゥネシリカは項垂れ、視線を逸らした。
「弓兵訓練場に何か用ですか? 【銀朱】のホープ殿。弓兵に鞍替えするなら歓迎しますよ」
 空気が重くなる中、フェイルは笑顔を作らずに軽口を叩く。その様子を一瞥し、
 トライデントは足元に落ちていた矢を一本、緩慢な動作で拾った。
「弓矢、か。最早時代に取り残された武具を、敢えて選ぶ意味はまるでない」
「……それはそれは」
 クトゥネシリカとは違い――――フェイルには、騎士特有の精神は身に付いていない。
 その為、譲れないものがある場合、それを護る為には牙を剥く。
 その顔には、露骨な険が浮かんでいた。
「子供だな。やはり、デュランダル様の弟子と言う話は本当のようだ。
 まるで教育が出来ていない」
 その顔にいち早く気付いたトライデントは、嘆息交じりにそれを非難した。
 ただ、その愚弄の対象は眼前のフェイルではなく――――敬称の対象とした
【銀朱】の副師団長であるのは明白。フェイルはそれを、デュランダルを崇拝する
 クトゥネシリカに対しての揶揄と邪推した。
 実際、その非難を聞いたクトゥネシリカの顔色は露骨に変わっている。
 同じ事をフェイルが言えば、躊躇なく得物を抜いていただろう。
 ただ――――トライデントの話はそこで終わらなかった。
「腕は確かだ。素晴らしいと言うしかない。寧ろ、世間の評判はまだ低いとさえ言える。
 その才能に疑いの余地はない……が、所詮はそれだけだ。剣聖であられる
 ガラティーン様と比肩するには到底及ばない」
 その演説にも似た物言いで、真実はすんなりと発覚した。
 現在、【銀朱】には複数の派閥が存在している。
 大所帯である以上、それは自然な事ではある。
 どれ程崇高な精神性を説こうと、利権の為に長いものに巻かれるのは人間の性。
 寧ろ、騎士団のような組織こそ、派閥は生まれやすい。
 が、この【銀朱】において、最大派閥とそれに準ずる派閥は、いずれも冠となっている
 人間に、その意識がまるでない。
 群れる事に一切の関心がなく、己の技量と強さを研ぎ澄ませる、その一点のみを追求していた。
 だが、そのネームバリューは共に格別とあって、名前だけが旗となり、その元に多くの騎士、
 或いはそれ以外の連中が集っている。
 つまり――――トライデントは、その最大派閥である『ガラディーン派』と言う事であり、
 対抗勢力である『デュランダル派』に嫌悪感を抱いている、と言う事だ。
「あ、あの、お言葉ですが、トライデント殿。デュランダル様はこの男など……」
「黙っていろ、クトゥネシリカ。お前の妄言に付き合う気はない」
 そして、クトゥネシリカを『デュランダル派』と見做している事も、
 その態度からは確実だ。
 その時点で、既に相容れる事はあり得ない。
 クトゥネシリカがデュランダルの弟子になりたがっている理由は、
 単に尊敬していると言うだけのものではない――――フェイルはそれを確信し、
 やり切れない思いで溜息を吐いた。
「さて。自分がここに来た用件が聞きたいのだったな、フェイル=ノート君。
 君は確か、弓使い以外の人間と戦いたいと所望していた」
「ええ。そうですけど」
「自分と戦うが良い。了承するなら、自分が委員会と掛け合おう」
 それは――――紛れもない、文字通りの宣戦布告だった。
 フェイルは、思わず口元を緩める。
 理想通りの展開だった。
「それは、願ってもない話ですけど、一応理由を聞いても良いですか?」
「単純な話だ。君を完膚なきまで叩きのめしたいから、に他ならない」
 瞬間、トライデントの口角が不気味に上がる。
 その表情が見えない筈のフレイアが、怯える程に。
「僕に圧勝する事で、師匠の評価を落とすって事ですか? それは無理じゃないですかね。
 弓兵に槍兵が勝ったところで、皆それが当たり前って思いますよ。弓兵の評価は低いですから」
「そうだな。だから、その狙いはない。目的はごく個人的なものだ」
 そして――――それまで以上に、その口の端が釣り上がった。
「自分が一番快楽を感じるのは、他人の夢を潰す瞬間だ。夢が潰えた瞬間の人間の顔は、
 一生忘れられない。絶望なんて陳腐な表現では到底表せない、顔中の筋肉が弛緩した、
 怪物みたいな顔になる。最高だろう? この世に存在しない、別の生物に逢える。
 これが最高でない筈がない」
 それこそ、自分自身こそが怪物であるかのように――――トライデントは
 極限まで笑んだ。
 激昂を必死で抑えていたクトゥネシリカが、その怒気を蒼褪めさせるくらいに
 夥しい狂気を含んでいる。
 下品さはない。
 ただ、そこには万妖が憑依しているかのような、禍々しい異様さがあった。
 フェイルもまた、思わず息を呑む。
「君の野望は聞き及んでいる。それに対する執着心もな。それを壊したいだけだ」
「……成程。それなら、遠慮なくお受けしますよ」
 それでも、断る理由はない。
 そのフェイルの返事に、トライデントは笑みの濃度を下げ、一つ小さく頷いた。
「やはり、胆力は相当なものだ。君は才能がある。弓なんて役に立たない武器は
 捨てて、【銀朱】の一員にならないか?」
「そうなれば、師匠の面目は丸潰れですね。それはそれで面白い顔が見れそうだけど……
 遠慮しておきますよ。弓矢であんたのその目的を粉々にする方が、よっぽど有意義そうだ」
「残念だな」
 全く言葉とはそぐわない表情を見せ、トライデントは踵を返した。
「クトゥネシリカ。お前には後で通告がある。上司の部屋を訪ねるといい」
「え……それはどう言う事ですか?」
「ここでする話ではない、と言う事だ。では、フェイル君。次に会う時は……」
「戦争ですね」
 フェイルのその回答に満足したのか、トライデントの顔に再び狂気が宿り――――
 直ぐにそれは見えなくなった。
 その背中が完全に視界から消えた頃。
「……ぅ」
 フレイアが地面にへたり込む。
「だ、大丈夫か? どうしたんだフレイア」
「フレイア……あの方が怖い、です。見えないけど、とても怖、い」
「……」
 怯えるフレイアに対し、クトゥネシリカはそっと手を差し伸べる。
 そしてその手を、フレイアは言葉をかけられる事なく、合図もなく、
 正確に取った。
 その様子に、フェイルは二人の絆の全てを見た――――気がしていた。
「ノートさん。あの方と戦うの、ですか?」
 立ち上がったフレイアが、おずおずと問う。
 クトゥネシリカの視線も、フェイルの方に向いていた。
 その表情には、途方もない数の感情が入り混じっていて、とても
 それを特定する事は出来ない。
「……うん。折角貰ったチャンスだからね。大事にしないと」
 不安そうな眼を向ける盲目の少女に、フェイルは声で微笑む。
 だが、安心を与えるには到らなかった。
「どうしてそうまで、して戦う必要がある、んですか?」
 その質問は、とても純粋だった。
 純粋に、フェイルの人生を問い掛ける――――そう言う質問だった。
「フレイア。私達は戦士だ。戦う事に理由は要らない。皆、戦う事が使命なんだ。
 だから毎日修練を積み、技術や己を磨いている」
 それを察したのか――――フェイルより先に、クトゥネシリカが丸く収めようと
 無難な回答を提示した。
 王宮に身を置く戦士は例外なく、戦う為の理由を自分の中に持っている。
 戦争時であれば、共通の目的として『国の為』と言う、ある種のお約束が存在する。
 だが、そうではない現状において、目的は必ずしも一致しないし、何より
 奇麗であるとは限らない。
 中には、金の為、身分や自己顕示、或いはそれ以上に醜い理由を持っているかもしれない。
 そして、フェイルはそれを正直に話してしまうかもしれない。
 それをフレイアに聞かせる事はしたくない――――そう言う懸念が、クトゥネシリカにはあった。
 フェイルはそう、理解した。
「……僕は、本当の親じゃない人に育てられたんだ」
 それを踏まえた上で、暫し言葉を選び、フェイルはフレイアに向き合った。
「その人は、弓を作る職人だったんだ。とっても腕が良い職人でさ、
 たくさんの弓使いが、自分の弓を作ってくれってお願いに来たよ。
 自慢の……父さんだった」
 その様子を、クトゥネシリカは口を挟む事なく、黙って眺めている。
「でも、少しずつ時代が変わって……弓は人気がなくなっていったんだ。
 父さんの腕が鈍ったんじゃない。ただ、別の理由でお客さんが離れていった。
 とっても落ち込んでたよ。僕は、それを見るのが凄く辛かった」
 フェイルはそこで小さく息を吐き、空を仰ぐ。
 上空では、鷹が一羽、鷹揚と旋回していた。
「だから、僕が弓使いになって、誰よりも強くて、誰もが知るような、
 そう言う存在になって、父さんの愛した弓が終わった武器なんかじゃないって
 証明したいんだ」
 その鷹は、暫く空を遊ぶように飛び回って、その後直ぐに何処かへと行ってしまった。
 まるで、フェイルが話し終えた事を確認したかのように。
 或いは――――全てを話さなかった事に、失望したかのように。
「そうだったん、ですか。ありがとうございます、教えて、くれて」
「お礼なんて言わなくていいよ。こっちこそ、聞いてくれてありがとう。
 お陰で目標を再確認できた」
 苦笑しつつ、フェイルはフレイアの頭にポン、と手を乗せる。
 いつもなら、そんな動作を試みれば、即座にクトゥネシリカが怒鳴り散らすのだが――――
 その気配はなかった。
「……では、帰ろうか。フレイア」
 代わりに、そう促す。
 フレイアはニッコリ微笑みながら頷き、クトゥネシリカの手を取った。
「またね」
「はい。またお会い、しましょう」
 手を振るフェイルに、フレイアも応える。
 見えている訳ではない――――が。
「フェイル=ノート」
 そんな妹を傍らに、クトゥネシリカは半身の姿勢でフェイルに視線を向けた。
「目上の相手に対して、相も変わらず軽口を叩くその姿勢には、同じ王宮に身を置く
 者として憤慨を覚えるが……」
「悪かったね」
「だが。自分の誇りを前面に出せるその姿勢は、心底羨ましい」
 その視線が、微かに狭まる。
「御前試合、頑張ってくれ」
「良いの? 直属じゃなくても、一応は上司でしょう? あの人は」
「当然だ。デュランダル様を師匠と呼ぶ者が、同じ【銀朱】の騎士に
 あっさりと敗れる事は許されないぞ。必ず善戦するように」
 ビシッ、と指を差し、クトゥネシリカはそう命令した。
 その指を払うように、フェイルはそっぽを向き、言葉を被せる。
「善戦で終わる気はないけどね。勝たなきゃ、意味がないんだから」
「……強いぞ、あの人は。一つ上の世代にも、彼以上の使い手は【銀朱】にはいない。
 ガラディーン様の片腕となる日も近い、とさえ言われているくらいだ」
「知ってるよ」
 不敵にそう言い放つフェイルに対し、クトゥネシリカは微かに微笑んだ。
 それは初めて、クトゥネシリカがフェイルに見せた笑顔だった。
 そして、同時に。
「なら、善し」
 最後に見せた笑顔となった――――






  前へ                                                             次へ