同時に悲鳴にも似た声をあげたのは、その中の女性が、もう一人の『苦手』だからに他ならない。
 クトゥネシリカ=リングレン。
 王宮騎士団【銀朱】の一員であり、デュランダルの部下――――の部下の、そのまた部下。
 15のフェイルと三つしか違わない為、まだかなり若い。
 その上、女性蔑視の傾向が未だ強い騎士社会にいる事から、
 中々出世出来ずに悩んでいる、苦悩多き女性剣士だ。
 そんな彼女をフェイルが苦手としている理由は、ただ一つ。
「……どうして、あの男が良くて、自分はダメなのですか!? 自分は剣士です!
 奴より、自分の方が弟子として相応しい筈です! デュランダル様!」
 ――――そう言う理由だった。
 デュランダルに憧憬の念を抱く剣士は、この国には幾らでもいる。
 国外にも存在するだろう。
 が、それでも尚、デュランダルは弟子を取らない。
 師事される事を嫌い、数多の志願を全て断ってきた。
 クトゥネシリカも、その中の一人。
 ただ、彼女の場合はデュランダルの弟子になりたい一心で、王宮騎士団の
 一員となった程の執念を持つ。
 女性、しかも10代で騎士団に入るのは、並大抵の努力では叶わない。
 それだけに、フェイルに対しての妬みは計り知れず、憎悪を飛び越え、
 怨念、或いは詛呪の域にまで達している。
 フェイルにとっては、アバリス以上に苦手な存在だった。
「悪いが、何度来られても、君の期待に応える事は出来ない。諦めてくれ」
「そんな!」
 何度目のアタックだったのかはフェイルにはわかる由もないが――――
 その落胆振りから、かなりの回数である事は窺える。
 それをも無碍にし、踵を返したデュランダルと、目が合った。
『後は宜しく頼む』
『嫌ですよ。自分の所の兵士なんだから、自分で処置して下さい』
『その手の行動は苦手だ。知っているだろう』
 言葉ではなく、目での会話。
 理不尽な請求を押し付けられ、フェイルは地獄に落とされたような心境で、
 放心状態のクトゥネシリカに視線を向けた。
 その刹那――――
「……フェイル=ノート……見ていたのだな……自分の、この無様な姿を……」
 妖気のようなものが、全身から湧き出て来た。
「見たのは偶然だから、怒らないでよ……シリカ」
「自分をその呼び名で呼ぶな! リングレンさんと呼べ、と言っただろう!」
 憤怒。
 フェイルは基本、この王宮内では怒られっぱなしだ。
 ただ、その殆どは、隊長殿とこの女性によるもの。
 頭痛の種を目の前にし、逃げ出したい心境で、言葉を探す。
「って言っても、僕はそのリングレンさんの身内とも知り合いだし……
 区別するには、1stネームを呼ぶしかない訳で」
「あの子はお前より年下だ。呼び捨てにすれば良いだろう。そんな事もわからないのか。
 全く、何故デュランダル様は、こんな脳の停滞した男を弟子になど……」
 俯き、ブツブツと独り言を言い始めたクトゥネシリカに対し、フェイルは
 離脱を試みようと足に力を入れる。
 しかし、既に19周を走破してきた蓄積疲労により、まるで言う事を聞かない。
「聞いているのか、フェイル=ノート。自分は嘆かわしいぞ。栄光ある、我等が
 王宮騎士団【銀朱】の副師団長ともあろうお方を師事する事を許された
 唯一の人間が、このような砂利にも劣る愚か者とは」
「人間と砂利と比較する、その発想力には頭が下がるけどね。別に僕は
 誰かに許しを得た覚えもないし、師匠も僕を弟子って認めてる訳じゃない」
「その呼び方が何よりの証ではないか! おのれ……う、う、羨ましい……」
「泣かないでよ……体裁の悪い」
 本泣きする女性剣士を目にし、フェイルの頭痛は悪化の一途を辿っていた。
「……一体、どのような手立てでデュランダル様を口説いたんだ?」
 そんな最中、不意に顔を上げたクトゥネシリカは、目をドス黒くして
 奇妙な質問を投げ掛けてくる。
「この際だ。要らぬ誇りは捨てる。この世で最も忌み嫌う男に助けを請う等
 あり得ぬ事だが、止むを得まい。さあ、吐け。一体どんな口八丁手八丁で
 デュランダル様を絡め取った? 言え。さあ言え!」
「気持ちの悪い事言わないでよ! 誰が好き好んであんな天然ボケを絡め取るんだよ!」
「何!? お前……それはどう言う事だ。デュランダル様は天然なのか」
 クトゥネシリカは、崇拝する人間が『あんな』呼ばわりされた事より、
 そっちに食いついて来た。
「剣の次に料理が得意と公言して憚らないけど、実際の味は中の上なんだよ。 
 中途半端って言うか、こっちも褒めるに褒められなくて……」
「ふむふむ。そうなのか……いや、それは天然とは意味が異なるだろう?」
「調味料の分配をうっかり間違えるんだよ。だから、香りと味のバランスが異常に変なんだ。
 後、あんな家が何件も建ちそうなくらい高価な剣を良く忘れてくるし。この前なんて、
 その辺に売ってる安っすいロングソードを間違えて持って帰って大騒動に……」
「ふむふむ。何と言う心温まるエピソード……って、違う! 自分が聞きたいのは
 こう言う話ではない!」
 明らかに耳を大きくして聞いていたクトゥネシリカは、そこでようやく本分を
 思い出し、首を大きく振って自身を戒める。
 フェイルはそんな彼女をジト目で眺めつつ、疲労の限界に達している筈の身体が 
 更なる疲労を呼び込んでいる事を実感した。
 そんな折――――
「盗賊だ! 盗賊が忍び込んでるぞ!」
 耳を劈くような、大きな声が城の外に響き渡った。
 同時に、フェイルとクトゥネシリカは顔を見合わせる。
「このエチェベリア城に、盗賊だと……?」
「随分と、大胆な盗人だね」
 城と言う施設は、あらゆる建築物の中でも、最も盗みに入りにくい場所と言われている。
 理由はいわずもがな、攻め込まれる事を前提とした建物だからだ。
 城は、王を守る為の館。
 それは、国を守る為と同義でもある。
 国の象徴として、城を挙げる者も少なくない。
 そんな城に、戦争時でもないのに忍び込むと言うのは、正気の沙汰ではない。
 このエチェベリア城は、約6メートルのレンガによる城壁に囲まれ、更にその内側には
 お堀もあり、注水もされている。
 よって、城と城下町を結ぶ橋さえ塞げば、逃げ場はない。
 城門を閉じれば、更にお手上げ状態となる。
 まして、中には手錬の騎士が数多く屯在し、本日は【剣聖】も【銀仮面】もいる。
 大陸を代表する猛者が複数いる中に忍び込むなど、無謀を飛び越えて
 最早喜劇としか良いようがない。
「何をボサッとしているんだ。捕えに行くぞ」
 が――――クトゥネシリカはそんな状況に甘んじる事なく、自ら追い立てる事を
 宣言し、あまつさえフェイルを巻き込もうとしていた。
「いや、別に僕達下っ端が動かなくても、誰かが捕まえるでしょ」
「その人任せの精神も気に食わん! 何故デュランダル様はお前のような
 覇気のないロクデナシを弟子に……ブツブツ……」
「だったら、そんなロクデナシなんて誘わないで、一人で掴まえに行ってよ。んじゃ」
「あっ! 待て、フェイル=ノート! まだ話は終わってな――――」
 かなり休んだ事もあり、体力が回復したところで、フェイルは長距離走を再開した。
 盗賊を追い立てる声が遠くに聞こえる中、そのまま20周目をひた走る。
 が――――その声は、途絶える事なく、寧ろ徐々に焦りの色が混じり始めた。
 一国を代表する騎士団が、集団でも捕えられない盗賊。
 そのあり得ない人物像が、徐々に現実味を帯び始める。 
 特に盗まれて困る物もないので、危機感こそなかったが、ゴールとなる城門に
 差し掛かった頃には、俄然興味が湧いて来ていた。
 依然として、盗賊の逃げた方向を叫ぶ騎士達の声が場外にも漏れ聞こえている。
 もし、貴重なお宝を盗まれはせずとも、侵入を許した盗人を取り逃がしたとあれば、
 それは王宮騎士にとっては最大の恥辱であり、汚点。
 逆に言えば、盗賊にとってはこの上ない栄誉。
 この城門の前に居続ければ、その盗賊が現れるかもしれない――――フェイルの
 中で、そんな期待が膨らんで来る。
 もし。
 もしその盗賊を、弓矢で制する事が出来れば。
 そうなれば――――弓矢の復権の、大きな第一歩となる。
「しまった! こちらにはいない! 城門の方角だ!」
 そんな、女性の切羽詰った大声が聞こえて来る。
 クトゥネシリカは取り逃がしたらしい。
 フェイルは、大きく息を吸って、それを小さく吐きながら、矢筒の中の矢を
 一本、右手に取った。
 そのまま、その矢を弦に乗せ、大きく弦を引く。
 そして、城門から城へと続く橋の前で、左目を閉じ、右目を凝らす。
 鷹の目。
 遥か遠方を明瞭な視界で収める、奇跡の目。
 その目が、次の瞬間――――人影を捉えた。
 瞬時の判断。
 それが盗賊であると、フェイルはそう確信した。
 何故なら――――二階から飛び降りて来たからだ。
 鷹の目が、その瞬間を捉えていた。
 それを同時に、弦を離す。
 その距離、実に20m。
 飛び降りている最中の盗賊に、フェイルを視認する事は到底出来ない。
 一方、フェイルの射撃は、その盗賊が着地する瞬間を狙っていた。
 距離は遠いが、もし命中すれば、防御不可能。
 フェイルは、手応えを感じていた。
 確実に盗賊の身体を捉える――――そう確信していた。
 が。
「……!」
 着地した、まさにその瞬間。
 盗賊は、接近していた矢をわかっていたかのように、地面をそのまま蹴り、
 半ば強引に右へと大きく跳んだ。
 ただ、本来は高所から飛び降りた衝撃を逃がす必要があった着地が、かわす事を
 優先した着地となった為、体勢は大きく崩している。
 フェイルは直ぐに矢筒の矢を取り、二射目を放つ構えを取る。
 が――――ふとその顔を捉えた鷹の目が大きく見開かれ、その手も止まった。
 正確には、顔ではない。
 笑い顔を模した、白色の仮面。
 不気味な仮面だった。
 そして、それだけではない。
 盗賊は、その仮面の下から、フェイルを視認していた。
 次の攻撃に移っている事や、筒にあと何本の矢が入っているか――――そこまでも
 見透かされたような、そんな気がした。
 その邪念が、一瞬の隙を作る。
 盗賊はそのまま、城門に続く橋を渡る事なく、堀へと飛び込んだ。
 だが、これは完全に悪手。
 堀の周囲は、高い城壁に囲まれている。
 それを上るというのなら、確実にフェイルの矢の餌食だ。
 にも拘らず、フェイルはそれが叶わない事を、何となく予感していた。
 そして――――事実、その盗賊が堀の水中から上がってくる事は、二度となかった。
「フェイル=ノート! 盗賊は!?」
 他の数名の騎士団と共に、城内からクトゥネシリカが出てくる。
 フェイルは、まだ波紋の残る堀の方を指差し、逃走経路を示唆した。
 その後、騎士団は堀の中にまで入っての捜索活動を敢行したが、それも実らず、
 見つけ出す事は叶わなかった。
「不甲斐ない……これだけの騎士が集まりながら、盗賊の侵入を許すばかりか、
 取り逃がすとは」
 日が暮れるまで捜索に参加し、ずぶ濡れになったクトゥネシリカの搾り出すような声が
 聞こえる中、フェイルは一人、その盗賊の姿を思い返していた。
 或いは――――その仮面の奥に、同じ目を持つ人間がいたのかもしれない。
 そう思う程、あの一瞬、フェイルは『見られている』とはっきり感じた。
 一体、盗賊は何者だったのか。
 何が盗まれたのか。
 逃げ延びたのか、それとも水中で息絶えたのか。
 何故、ガラディーンやデュランダルがいながら、みすみす取り逃がしたのか――――
「くちゅっ!」
 思考を、妙に可愛いくしゃみに邪魔され、フェイルは小さく頭を抱えた。
「……そろそろ、着替えて来た方が良いんじゃない?」
 実は、先刻から、かなり目のやり場に困る状態になっていたりする。
 濡れた女性騎士の身体は、皮製の防具に守られ、透けてこそいないが、
 完全に身体の線を浮き彫りにしており、一つ間違えると、とんでもない所が
 露見しかねないような危うさがあった。
「い、言われずともそのつもりだ。おのれ、盗賊め……くちゅっ」
「何で、くしゃみだけ別人みたいな可愛い声になるの……?」
 そんな、様々な謎を残した騒動は『該当者行方不明』と言う線引きによって、
 静かにその幕を下ろした。


 そして――――そんな騒動も忘却の彼方に流されかけた、とある日の事。
「何ですか。話って」
 フェイルはデュランダルに呼ばれ、副師団長室を訪れていた。
 無駄に広く、無駄のない飾り付けが施されているその部屋は、余り居心地は良くなく、
 デュランダルも余り出入りはしていない。
 だから、その部屋に呼び出されると言う事は、何かしらの厄介事が舞い込んで来ると、
 そう確信せざるを得なかった。
「フェイル。俺の持つ権限を行使し、一つ命令をする」
 有無を言わせない口調。
 フェイルがデュランダルと顔を合わせてから、初めて聞く声だった。
「御前試合に参加しろ。国王様、そして他の観衆の目の中で、一対一の闘いをやれ」
 そして、その命令に――――フェイルは身体を自然と震わせ、口元を強く引き締めた。









 chapter 0. 


- failnaught -



 




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